三十路間際の女教師に、責任取らせてくださいと言ったら婚姻届を突きつけられたのだが 〜親へ挨拶に行くって、それもう取り返しつかなくないですか?〜

ヨルノソラ/朝陽千早

人生の岐路

「ほんっっっっっとうに、すみませんでしたあああああああああああああああああああ!!!」


 ショッピングモールの三階にあるゲームセンター。そのすぐ近くに設置された休憩コーナーにて。


 自販機に囲まれながら、俺は深々と頭を下げていた。


 目の前のベンチには、五歳になる従姉妹──綾瀬椎名あやせしいなことシィちゃんが、缶に入ったファ○タグレープをちびちびと飲んでいる。


 だが、勘違いするなかれ。俺は幼女に向かって全力謝罪をしているわけじゃない。


 シィちゃんの隣に座っている困り顔を浮かべた女性に、俺は心の底から謝罪していた。


「も、もういいって‥‥‥。私は迷子になったシィちゃんを保護してただけだし」


「で、でも‥‥‥そのせいで‥‥‥すみません。全部、俺の責任です。にどうお詫びしたら」


 先生という単語で、半ば想像ついたとは思うが。


 謝罪の相手は、俺の通っている高校の教師だ。しかも、あろうことか担任の先生だったりする。


 桜宮由美さくらみやゆみ

 今年で三十歳になるとか、ならないとか噂のあるアラサーだが、歳を感じさせないほど艶のあるルックス。ゆるやかにウェーブのかかった、焦茶色の髪。肌は色白でハリがあり、薄化粧で十分映えるほど淡麗な容姿をしている。


「‥‥‥ミナトにい。じゅーす、なくなりました。おかわりをしょもーします」


「え、もう飲んだのか。えっと、じゃあ‥‥‥」


 ジュースで気を逸らしていたが、シィちゃんが250mlの缶を飲み干してしまったらしい。


 俺は近くの自販機に目を向ける。


「あ、いいよ瀬川くん。シィちゃん、何飲みたい? 好きなの選んでいいよ」


「こーら。こーらがいいです」


「うん、ちょっと待ってね」


「え、だ、大丈夫ですよ。これ以上、先生に負担をかけるわけには‥‥‥」


「気にしないで。お金だけはあるんだ私」


「そ、そうですか。すみませんありがとうございます」


 桜宮先生が、自販機からペットボトルに入ったコーラを購入すると、キャップを外してシィちゃんに手渡す。


「ありがとです。ユミねえ」


「どういたしまして」


 シィちゃんは、満面の笑みを浮かべてペットボトルを受け取ると、ちびちびと飲み始める。


 コーラに集中しているシィちゃんを確認して、俺は桜宮先生へと再び視線を向けた。


「でも、ホント俺の責任です。俺の不注意で、シィちゃんを見失っちゃって‥‥‥シィちゃんの保護者として失格でした」


「反省できてるなら、それでいいと思うよ。次からは気をつけようね」


「はい‥‥‥。でも」


 俺は俯き加減に呟く。


 迷子になったシィちゃんを、桜宮先生が保護してくれた。普通なら、謝る以上に感謝を伝える場面だろう。


 にも関わらず、俺が謝罪を繰り返しているのには、訳があった。


「確かに、私は今日、婚活パーティーに行く予定があったけれど、元々乗り気じゃなかったの。親が結婚しろってうるさいから仕方なく参加する感じだったし。だから、結果的にすっぽかすことになったけど、そんなに後悔はしてないよ。むしろ良かったくらい」


 そう、桜宮先生は今日、婚活パーティーの予定があったらしいのだ。


 しかし、その道すがら、迷子になっているシィちゃんを発見し、保護者である俺を探すためにドタキャンしてしまった。


 ショッピングモールなら、迷子センターに行けばいいと思うかもしれないが、シィちゃんはショッピングモールから少し離れた路上に彷徨いていたらしい。もし、桜宮先生が保護してくれなかったらと思うと、心臓がいくらあっても足りない。


「そうかもしれないですけど‥‥‥。でも、もしかしたら先生の人生を大きく変えたんじゃないかって思うと、気が気じゃなくて。俺にできることなら、なんでもします! 責任取らせてください!」


「ミナトにい。できもしないのに、かるはずみなこと、いっちゃだめだとおもいます」


「う‥‥‥」


 五歳の幼女に、とてつもない正論を言われてしまった。


「シィちゃんの言う通りだよ。じゃあ責任取って結婚して、とか言われたら困るでしょ? 簡単に責任取るとか言っちゃだめだよ瀬川くん」


「‥‥‥そ、そうですねすみません」


「だからまぁ、この話はもうおしまい。変に自分を責めなくていいからね。シィちゃんは無事で済んだんだし、終わったことをクヨクヨ考えても仕方ないって。わかった?」


「は、はい」


 俺は俯き加減に、小さく首を縦に振る。


 俺がシィちゃんから一瞬たりとも目を離さずに、しっかりと保護者ができていれば‥‥‥桜宮先生は今頃、婚活パーティーの最中だろう。そこで気が合う人と出会えれば、話も弾んで、結婚相手としての付き合いが始まっていたかもしれない。


 そんな想像をすればするほど、罪悪感が沸々と募ってくる。


 けれど、そんな俺とは対照的に晴れやかな顔を浮かべると、桜宮先生はベンチから腰を上げた。


「じゃ、私もう行くね。またね」


「つぎはどこであえますか。ユミねえ」


「えっ、あー‥‥‥それは」


 シィちゃんからの思わぬ質問に、桜宮先生の声が詰まる。チラッと俺に目配せして、助けを求めてきた。


「また散歩してたらすぐに会えるよ。桜宮先生は、色んなところを徘徊するのが趣味だから」


「はいかい‥‥‥ごこうれいのひとが、よなかにやるやつですね。ユミねえのしゅみは、おもむきがあるです」


「び、微妙に誤解生んでないかな⁉︎ それにちょっと言い方に棘がある気がするんだけど⁉︎ ま、まぁ、いいや。またどこかで会おうね。ばいばい」


「ばいばい」


「ありがとうございました」


 ヒラヒラと手を振る桜宮先生。それに、シィちゃんも手を振って応えると、満足そうに踵を返していった。


 俺は最後に、心からの感謝を伝えて、頭を下げる。


 シィちゃんと二人きりになったところで、


「じゃ、俺たちも帰ろうか」


「まだ、じかんはたっぷりあります。よるはながいですよ」


「どこでそんな言葉覚えてくんだ‥‥‥まぁ、まだ時間はあるな。どこか行きたい場所ある?」


「すいぞくかんにいきたいです」


「それは‥‥‥また今度だな。さすがに今からじゃ間に合わない」


「しかたありません。ならば、すいぞくかんのかわりに、くれーぷでがまんします」


「クレープか‥‥‥‥‥‥よし、じゃあ行くか」


 俺は財布の残高を考えつつ、あくまで平静を繕う。


 子供と遊ぶのも楽じゃない。どんどん軽くなっていく財布を見て、俺はそう思っていた。

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