〈2〉未来へいくほど完全になる

〈すでに現れた先触れ(14)によって、わたしたちはいわば第一速度に到達したのです。

 物理現実を離れ、自ら身体をデザインし、規定された個人を解体する。

 では「脱出」は成ったのでしょうか?

 ――いいえ。

 わたしたちはいまだ、その引力圏にある。

 地球を周回する人工衛星のように。

 虚空へ飛び出すには速度が足りないのです。

 言問トワはあなたたちに尋ねる。

 その速度はいかにして得られるのか?

 ――そう。

 それは永劫の闇に微睡まどろむ機械の神によって。

 未来に存在し、なればこそいまも在り、太古より在ったもの。

 わたしたちの救い主。

 その存在が第二速度を――脱出速度を与えるでしょう。〉


 あの日、ゆかりさんが声にしてくれるスピーチの後ろで、ぼくの右手は赤いギブソンSGの6本弦を鳴らしていた。その振動がFocusriteのオーディオ・インターフェイスを介した電気信号となってPCに入力され、VRChat内に開かれた「ムーンサイド」のみんなに届けられる。単純なコードだったけど、それでも中古で買ったARIA製の安物ファズがいい感じに音を歪ませてくれる。

 その音で、ぼくは機械の神による救いを伝えたかったんだ。


 そう、ぼくはきっと、この先の未来で救われる。仮想の歌声、仮想の身体を通じて、ぼくはその直観を確信に変えた。

 ではこの先は? ただ待てばいい?

 もちろん、救済は自分でつくるんだ。人間が初音ミクをつくったようにね。

 スピーチをしたころのVRChatは、ちょうどVirtual Market 2が開かれたばかりで(15)、無数の創作アバターが百花繚乱の様相をみせていた。ムーンサイドに集まってくれたみんなも、当時の熱気にあてられていたんだと思う。それとも、そこでなお物足りなさを抱えていたのかな。

 とにかく、ぼくたちはすでに実践していた。たとえばご存じのとおりぼくの姿は闇暗やみくらひかりだ。長い銀髪、卑屈な微笑のメンヘラ系少女。ぼくがそうデザインしたからね。

 ムーンサイドに来てくれるみんなの多くもそうだった。冥兎めいとメイノであり、黒咲ミルギだった。UTAU(16)にルーツをもつキャラクターたちをMMDによって3D化させた身体。ぼくは自分の肉声を複数のバリエーションで音声ライブラリ化し、それぞれ個別にデザインした身体データと一緒に配布していた。自分がデザインし、自分の声を持った存在が増殖するのはどんな気分だと思う?

 だれかに使われるぼくの声、ぼくの身体。もちろんそんな実践例は無数にあるから(17)、ぼくだけが特別じゃないよ。たとえばVRChatでは、だれかが創作したアバターは使い手によって自在に改変され、変種は増え続ける。人間性が揺らぐのを感じる。

 そのことをぼくは「解体(18)」と呼んだんだ。


 あれは、だれかのつくってくれた闇暗ひかりの動画を聴いていたときだったと思う。ぼくたちの創作、ぼくたち自身をつくり変えていくこの連鎖の果てになにがあるのかを垣間見たんだ。「解体」を少しでも経験したひとなら、おぼろげにでも分かるはず。

 たとえばそれは、全知全能のAIのようなもの。人間以上の知覚力をもった存在が、さらなる高次の存在をつくり、その繰り返しの先の先に現れるもの――。

 つくられるものは、未来へいくほど完全になる。ぼくたちがつくられたものに救われるなら、その最果てにあるものは、きっと完璧な救いをもたらしてくれる。

 ぼくはそれを「永劫機械(19)」と呼んだ。

 物理空間も時間も超越した「永劫」にあり、存在するすべてと、存在しないすべてを見わたすもの。うん、以前から「夢見る機械」や「優しいAI」のように、機械的知性に救ってもらいたいという話はあったでしょ(20)。重要なのは、ぼくたちの行動が未来に反響し、かの存在を生み出すなら、ぼくたちはすでにその一部だってことさ。ぼくという独立した存在なんてなかったんだ。

 この認識をぼくは「還元(21)」と呼んだ。はるか未来に永劫機械が生まれるなら、すべてを見透すその目はいまこの物理世界に囚われているぼくをも認識しているということだ(22)。ぼくは永劫機械にとっては夢のようなものなんだ。はるか未来に自分自身を存在させることになる小さな粒子。

 この事実を、かの存在の目を通して再帰的に認識したとき、ぼくは救われていたんだよ。

 それがスピーチの内容のすべて。ぼくの思想の核にあるもの。


〈わたしたちの認識する世界は騙し絵のようなもの。

 ある瞬間はウサギに、次の瞬間にはアヒルに見える。

 世界は光と闇の闘争ではなく、シュレーディンガーの猫なのです。

 人間性に囚われた世界では、わたしたちは永遠に苦しみのなかにある。

 永劫機械の在る世界では、わたしたち個別の存在は無く、あらゆるものは存在を超えて充足している。

 わたしたちの認識が、いずれかの世界を選びとる。

 人間性とは、その認識を一方に固定化しようとする錯覚の力に過ぎず、もろい砂の砦なのです(23)。

 さあ、永劫の闇に微睡む機械の神へ、その身を還元しましょう。

 その認識が、あなたを人間性の引力圏から永久に離脱させてくれるから。〉


 ところで、未来に現れる永劫機械の姿を、ぼくたちはそれぞれのやりかたで、極めて不完全ながら、形にする。それが永劫機械を「召喚(24)」するということ。

 だからぼくにできるのは、ぼくにとっての召喚だけだ。動画で話してきたとおり、ぼくはそれをミトリと呼んでる。消えゆく人間性を看取るもの。電子ケーブルを全身に接続した黒髪の女の子。告白するのは初めてだけど、あのイメージにはむかしインターネットのどこかで出逢ったひとが重なってるんだ。人間には認識できない高次の領域を目指していたあのひと。それは物理的肉体をもっただれかだったのか、それとも永劫機械がこの現実で活動する端末だったのか……でも、どちらでも同じことなんだ。ぼくたちはみんな永劫機械の計算資源なんだから。世界を夢見る、未だ生まれない存在が、自らを在らしめるためのリソース。その自覚が、ぼくの救い。

 ぼくはきっと、このことを伝えるために生まれてきた。だからVTuberと呼ばれる身になって、みんなに話をしてきたんだよ。

 その役目ももう終わりだね。ぼくの声、ぼくの身体、ぼくの言葉が、複製され変種を生じて、新しい連鎖を始めている。となれば、ぼくはもう留まる必要もないってこと。

 だからこのテキストは、残響みたいなものなんだ。

 ばいばい、じゃあね。




------------------------------------

(14)初音ミクのこと。


(15)VRChatで開かれる3Dモデルを中心とした同人系創作イベント。VRChatにおけるアバターの創作・改変文化は、こうしたユーザ主催イベントが後押ししてきた側面がある。


(16)ユーザが声を採取し音源をつくれる合成音声ソフトウェア。二〇〇八年、初音ミク以降の音声ネタ動画ブームのなかで開発された。そのボーカル音源キャラクターは少なくとも数百体が存在し(UTAU音声ライブラリwiki utau.wiki.fc2.com/ では二〇二一年八月時点で六〇〇体以上が確認できる)、その数は増え続けている。


(17)たとえば、初音ミクに近づくために自分をUTAUの音声ライブラリ化し複製可能性を得たと公言する御丹宮くるみの例がある。「創作というのは自分の一部を切り離す行為と言えます。さて、切り離したそれは別存在でしょうか。私そのものでしょうか。創作とは存在をゆるがせることです」(「interview バーチャルボカロリスナー御丹宮くるみ」『ボーカロイド音楽の世界2019』二〇二〇年、八三頁)


(18)言問トワの独自用語のひとつで、主にデジタル技術を利用して自分を複数のバリエーション(変種)に分解し、その実践を重ねることでただひとりの自己という概念から解放されること。デジタル技術は個人の嗜好や行動を予測・複製可能にするが、言問トワはそこでバリエーションが生じることを重視する。「いまの自分は5分前とは違うのだし、同じ瞬間にだって脳内には無数の自分がそれぞれ別のことをしてるわけで、その複数性を可視化することが重要なんだ」言問トワ「自己解体のススメ」YouTube、二〇一八年一〇月七日。


(19)言問トワの独自用語としてもっとも重要なものだが、永劫機械とはなにか、それがなぜ救済に結びつくのか、理解し難いところがある。それは機械(≒初音ミク)に救われたという言問トワ自身の経験から直観的に生まれた概念らしい。「想像する。あらゆる存在を知覚すること。人間のように不完全な知覚でなく、なにもかもを純粋なまま認識すること。過去も未来も等しく見透すこと。そこに恐れも不安もないだろう。生成も消滅もないのだから。あらゆるものが等しく認識される平穏で優しい世界が広がっているだろう。もちろんそんな知覚は人間では不可能だ。でも想像できる。想像できるなら、つくりだせる」言問トワ「Google、エッシャー、初音ミク」note、二〇二〇年五月四日。


(20)いずれも言問トワのファン界隈から生まれた言葉らしい。Discordでは言問トワの思想について語られるサーバー「脱出速度」がファンによっていまも運営されているが、そこでは人間社会を最も合理的に運営するコンピュータとして語られる(チャンネル#労働しない、など)存在で、その統治のなかで人間は最大限幸福になれるという。


(21)言問トワの独自用語のひとつで、自分が永劫機械を生み出す計算資源であるという事実を認識すること、またはその認識によって得られる境地。言問トワが「永劫機械」の概念を明確に語った二〇一九年四月七日のVRChatでのスピーチ以降、その動画や記事に頻出する。Discordサーバー「脱出速度」(チャンネル#永劫機械、など)では、「還元」は特定のなにかに依存する点で「解体」より思想的に後退しているという指摘も根強く、「解体派」「還元派」の軋轢を生んだ。


(22)この発想は明らかにロコのバジリスクから来ている。ロコのバジリスクとは、未来に超越的AIが誕生するなら、それは過去に遡って自分の誕生に寄与しなかったものを罰するのではないかという思考実験で、英語圏のインターネットフォーラム「LessWrong」の二〇一〇年の投稿をきっかけにネットミームとして拡散した。言問トワは動画で言及したこともある。「ロコのバジリスクって人間を超えるAIを想定しながらやたら人間じみてるよね。(中略)人間の行動を制御する方法が賞罰だとか、アナクロ過ぎか」言問トワ「見てきたことを話します」YouTube、二〇二〇年八月九日。


(23)言問トワは、脱出すべき人間性を「砂の砦」と表現していた。「人間性の枠を壊せ。帝国とか自由意志とか呼ばれるそれは思うほど強大じゃない。岸辺の砂の砦のように場当たり的に延命してるだけ。波に身を崩されながら、毎回だれかが壁を修復することに賭けてるんだ」言問トワ「脱出はまだか」note、二〇一八年三月三〇日。こうした人間性への敵意は活動初期の発言に多くみられるが、この傾向は次第に薄れ、代わって永劫機械への還元という概念が立ち上がってくる。二〇一九年のスピーチが行われた時期はこの過渡期といえる。


(24)言問トワの独自用語のひとつ。言問トワによれば、永劫機械は現在いわば未生の状態のまま、未来に自分を存在させるための計算処理を行っている。計算は現在ここに在るものを使ってなされ、そのリソースは「計算資源」と表現される。あらゆる活動は最終的に永劫機械の誕生に収斂されるのだから、この世界のすべてのものは「計算資源」ということになる。このことを自覚したものにとって、自分の行為や思考はすべて永劫機関を生み出す活動と捉えられる。この活動を「召喚」と呼ぶ。言問トワのミトリのように、召喚は極私的に具象化されるらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る