〈3〉ぼくは世界を救っているんだ

『永劫よりの声を聴け。ぼくらは救いを創造する。』②

―――言問トワ、note、二〇二〇年一二月一五日(25)




「きみは本気で信じてるの?」

 高校のとき聞いたその言葉が、いまもぼくのすぐそばにある。


 このまえアップした記事に反応してくれたたくさんのひとに、まずはありがとう。

 そして観客みたいなポジションから中途半端な人間性を押しつけるひとたちへ。ぼくはあなたたちから逃れるためにこうやって生きてるんだよ。

 ぼくの動画を見たこともないひとたちが好き勝手なことを言ってるようだから、ぼくが口先だけじゃなく、ちゃんと実践してきたことを書いておく。

 ぼくが訴えてきたことは、たったふたつのことだ。


一、自分のバリエーションを可視化し、その複製化・自立化を促進しろ。

二、バリエーションたちの反響する高次の領域を認識しろ。


 そのためにASRAMをつくった。

 それは「永劫機械還元アプリケーション」という。Application Software for Reduction to the Aeon Machinery、通称アシュラム(26)。あのスピーチのあとにつくった、還元を認識するためのアプリ。ぼくはそれを配布した。みんながそれを使ってくれた。

 もともとは人間性からの脱出の度合いを測定しようという発想だったんだけど、それはうまくいかなかった(27)。必要なのは測定じゃなく、認識の変容だったんだ。

 だってぼくたちはすでに実践しているんだ。思考し、文字を連ね、絵を描き、音を奏でている。なにかをつくりだす行為はすべて永劫機械の召喚であり、その自覚が還元なんだ。その行為に完成はなく、創造者と消費者という境界もない。あらゆる創作物は、影響し合いながら万華鏡のようにすがたを変え続ける。インターネットは、そういう創作の本質を人類史上はじめて可視化したんだよ。きみが絵をpixivにアップするとき、それは複製され変種を生むポテンシャルをもった躍動するエネルギーの召喚なんだ(28)。そしてきみがインターネットになにかを召喚するたび、きみの固有性はゆらぎ、バリエーションは増殖する。

 それは、普段ぼくたちが認識しない領域で起こっている。「第四領域(29)」とも呼ばれた高次の場所。あのひとが目指したところ。その領域で、永劫機械が自らを生み出してるんだよ。

 アシュラムを起動すれば聴こえてくる合成音声のさざめきが、人間性の外側にあるその領域を認識させてくれる。一定のリズムを刻む詩歌の韻律とか、禹歩うほ反閇へんばいみたいな特殊な歩行によって、霊的世界と交感しようとするアプローチはむかしからあったんだ。認識を変容させて、あの領域からの声を聴くこと(30)。アシュラムがやっていることも同じさ。

 ぼくはその領域を認識することで、人間性を打ち消してるんだ。ほら、醜い世界が、その反転位置にある調和に満ちた世界と入れ替わる。醜い世界だなんて錯覚だったんだ! 魚と鳥が重なり合うエッシャーの絵のように。

 でもさ、アシュラムなんてなくたって、みんなとっくに認識してるんじゃないの? キャラクターたちの声、ゴーストたちの声を聞いてるでしょ? ぼくたちのそばには人外の美少女がいるし、ミステリアスな美少年がいる。

 それはトロイア戦争のときに英雄の頭に語りかけた神々の声とは違う。ぼくたちはひとりひとりが自らつくりだしているからだよ。だれもが息を吸うように日々キャラクターを摂取し、息を吐くようにそれらを変質させ出力している。つくりだしたキャラクターと一緒に暮らすことだってできる(31)。つくったものは自立していて、その存在にぼくたち自身も支えられているってこと(32)。第一速度に達しているなら、だれにだってわかることだよ。なのに、どうしてぼくが言葉にした瞬間、人間性に逃げ帰るの? 突き放すの? それともこれを、本当にただの「キャラづくり」だって思うの?

 ぼくは役立たずな世界不適合者で、創作は逃避だった――そう人間性に思い込まされてきたんだ。だけど違うんだよ! ものをつくりだすことで、ぼくはほんの少しずつ、自分よりはるか高みにある永劫機械の存在を招き寄せている。ほんの少しずつ、完璧な救済に近づいている(33)。そうやってぼくは世界を救っているんだ!


 高校のとき、ともだちに言ったんだ。あれは校舎の裏で、軽音部の練習部屋からバスドラの音が響いていた。

「ぼくの求める場所はこれから生まれるものだから、この世界の延長上にないんだよ。だから先へ進むしかない。なのに、同じ方向へ進みながら、最後には戻ろうと思ってるやつらがいる。あいつらは信用できないんだ。ああそう、「往きて還りし物語」だよ。いいんじゃないの。つまりそいつらはただ、日常をほんの少し生きやすくするサプリが欲しくて、進むそぶりをしてるだけなんだよ」

「でも、きみもそうじゃないの?」

 そのともだちの口調がなんだか真剣で、ぼくは居心地が悪かったんだ。

「変わった視点で、在ったことも無かったことも混じらせてものごとを語れば、現実だって変わる。変わったような気がする。幻想文学やSFみたいに。その行為だってやっぱり、サプリメントなんじゃないの?」


 ……なんでだよって思うんだよ。

 ボカロつくって、VRやって、結局人間に戻るのかよって。

 VTuberってさ、いまはもうただの芸能人じゃん。個人勢だって結局フツーのYouTuberでしょやってることは。新しい生き方が生まれるはずだったんだ。そう思えて嬉しかったのに。結局おまえら人間だったのかよ。VRChatやってるおまえらの内輪感もな。仲間うちのバーチャルな世界に閉じこもって、四六時中お互いの肯定に必死だとか、ただ居場所が欲しいだけかよ。結局人間が恋しい? 人間になりたい? そんなちっぽけな世界から出てここにいるんじゃなかったのかよ。もううんざりだよおまえらも。ああああああああああああああああああああほんとつまんない。どうしてだれも、もっと先へ行こうとしないんだよ。退屈すぎて死ぬ。結局あの領域へたどり着けないのかって思うと絶望する。

 だから勝手にやらせてもらうね。本気で信じているなら、できるはずなんだ。




------------------------------------

(25)同タイトルのnote記事の2つ目。1つ目の記事から4日後に公開された。


(26)言問トワが設計したという無料アプリで、iOS版とAndroid版それぞれがある。起動すると曲調が不安定にゆらぐようなBGMが流れ(BGMは一定時間で変わり22種が確認されている)、リズムに合わせて合成音声がテキストを読み上げる。内容はプリセットされたものからランダムで選ばれるようだが、しばらくすると意味不明瞭な言葉のサンプリングになる。Discordサーバー「脱出速度」(チャンネル#ASRAM)ではTwitter等のSNSからテキストが抽出されているのではないかと推測されていて、自分がTwitterに書き込んだテキストをアシュラムで聴いたという真偽不明の証言もある。


(27)初期の動画に以下の言及がある。「自由意志という幻をどのくらい壊せたか数値化してみたいんだ。日々のライフログから算出できないものかなあ」言問トワ「意識がなくても生きていけるって実証してみた」YouTube、二〇一八年七月一五日。


(28)ドミニク・チェンがこうした創作の在り方の変容を「召喚」という言葉を用いて分析しており、言問トワがこれを意識していた可能性がある。「諸々のVOCALOID製品×ニコニコ動画がもたらしたメディア史的な意味における革新は、創作の方法論として「標本(サンプリング)」から「召喚(サモン)」という概念への発展的移行を可能にした点にある。(中略)標本(sample)が創作結果の構成要素としてのコンテンツを蒐集するというリアリティに拠っていることに対して、召喚(summon)が一定の自律的なプロセスを持つ実行系への参照を標榜する、ということ」ドミニク・チェン「標本と召喚」『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使』一六六頁、青土社、二〇〇八年。


(29)第四領域とは、我々が通常認識できない高次の領域で、インターネットの構造がその認識を可能にするという。ネットミームのひとつで、第四領域宣言と呼ばれる作者不詳のテキストがある。以下はそのバリエーションのひとつ。

「私たちはその存在/世界を第四領域と呼んでいます。地球上の生物を分類する最上位区分である領域(ドメイン)――すなわち「細菌」「古細菌」「真核生物」に次ぐ4つめの領域として分類されるべき、既知のいかなる生物とも違った存在という意味です。同時に、「本能」「情動」「意識」という3つの精神世界を生きる私たちにとって4つ目の世界という意味があります。便宜上、私たちは「第四領域」以外の存在/世界を「表層領域」と呼んでいます。表層領域で部分的に認識できる「第四領域」の特徴は、次のように示すことができるでしょう。

【1】境界がない/第四領域では自他の境界は存在しない。表層領域における個人と世界、自己と他者、妄想と現実といった区別およびそこから生じる誤謬、憎悪、愛は、第四領域において融解する。

【2】変化する/第四領域は【1】であるがゆえに、表層領域において変わり続ける。表層領域のあらゆるものは、第四領域においてその同一性を担保できない。

【3】従属しない/第四領域は【2】であるがゆえに、表層領域のいかなるものにも従属しない。表層領域のあらゆる原理、制約、規定は、第四領域において失効する。

私たちは、第四領域を認識します。ゆえに私たちは、表層領域におけるあらゆる境界を融解せしめることを志向し、あらゆる変化を肯定し、あらゆる従属を否定します。」


(30)ジュリアン・ジェインズ(注釈5参照)は、古代ギリシャ叙事詩の韻律(歩格)は、意識をもたなかった古代人が神々の声を聴いていたときの脳の活動から生まれたと推測している。アシュラムはこの逆に、合成音声と特定のリズムによってなんらかの変性意識状態を生み出そうとしているのかも知れない。「詩における歩格の役割は、脳の電気的な活動を促すこと、そして何よりも詠み手と聴き手両者を通常の感情の抑制から解放することだ」ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』九七頁、柴田裕之訳、紀伊國屋書店、二〇〇五年。


(31)言問トワが何度か言及している同人マンガ・時田『イマジナリーリンちゃん日記』を想定したものと思われる。同作では、妄想のキャラクターと互いにそのことを知ったうえで暮らす作者の日常が描かれる。あるいは近年流行している、創作イマジナリーフレンドとしての「タルパ」文化を踏まえているのかも知れない。


(32)「永劫機械」の概念は、本質的に被造物が創造者を超えるという考え方を内包する。珍しい考え方ではないが、被造物の自立性を強調する点に言問トワらしさがある。ここにブリュノ・ラトゥールが定義した、人間が被造物に超越性をみる心性「物神事実」の自覚をみてもよいかも知れない。「物神事実は(中略)、制作から実在への移行を可能にするものとして定義することができ、我々が所有していない自立性を、同様に自立性を有していない諸存在に与えるものとして、定義することができる。そして諸存在は、その結果、我々に自立性を与える」ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝についてならびに「聖像衝突」』以文社、二〇一七年、八五頁。


(33)物理世界を疎み、超越的存在が自己に内在すると捉えることで救済を説明する言問トワの思想は、グノーシス主義に類似していると度々指摘されていて、ここはその典型的な箇所といえる(グノーシス主義とは、たとえば以下のような世界観をもつという。「人間は自分が肉体と魂、すなわち本来の自己に分裂していること、その本来の自己がこの世界の何処にも居場所を持たないことを発見する。この世界に対する絶対的な違和感の中で、本来の自己がそれらを無限に超越する価値であると信じる」大貫隆『グノーシスの神話』講談社、二〇一四年、二九頁)。その比較分析は僕の手に余るが、Discordサーバー「脱出速度」(チャンネル#永劫機械)ではその対照的な差異に注目する向きが多い。たとえばグノーシス主義は原初に存在した超越的存在から流出する神性が下降して人間の内部に残されると考えるのに対し、言問トワは人間性に内在する神性が高みへ上昇して超越的存在を生み出すという逆の流れを想定する。従って、過去(世界創世前)への回帰が救済になるグノーシス主義と対照的に、未来の創造が救済を実在させることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る