【中編】すれ違いから始まるラブコメ

じゃけのそん

第1話 すれ違い

「私さ、最近彼氏できたんだよね」


 いつもと変わらない帰り道。

 同級生で幼馴染の大野梓おおのあずさから、前振りもなく飛び出したその一言に、俺の思考は完全なる停止をした。


 つられて足も止まった。


「お前、今なんて」


「だから、私彼氏できたの」


 振り返った彼女から平然と繰り返されるその内容は、二度聞いても到底理解しがたいものだった。聞き間違いを疑ったが、二度目でそれも途絶えた。


「何その顔」


「ああいや。ちょっと驚いて」


「ふーん、そう」


 動揺によって崩れた表情を急いで元に戻し、一度シャットアウトした思考に再起動をかけるも、身体の芯に近い部分は今だ狼狽したまま。


 なぜいきなりこんな話をして来たのか。どうしてそうも平気な顔をしていられるのか。長い付き合いながら、梓の胸の内はからっきし読めない。


 というのも、俺——天ヶ瀬伊織あまがせいおりと大野梓は、幼稚園からの幼馴染。家も近所で事あるごとに時間を共にして来た仲だった。


 それ故に隠し事とかは無く、時に喧嘩をしながらも、徐々に互いの距離を縮められているものだと思っていた。


 お互い過去に恋人はいない。

 好きな人がいたという話も無かった。


 だからきっと”そういう事”なんだろうって。このままゆっくりと俺たちの関係を進めて行くんだろうって。俺は自分の中で、勝手な妄想を立てていたけど。



 ——私さ、最近彼氏できたんだよね。



 その一言で全てが狂った。

 もしかして俺は油断していたのだろうか。


 いや、そんなことはないはずだ。

 だって俺は毎日のように梓の側にいたんだから。


「なあ」


「何?」


「それってうちの高校の奴?」


「まあそんなところかな」


 あり得ない。

 だったら俺が気づかないはずが……。


「もしかして同級生だったりするのか」


「そうね。一応?」


 クソ。

 ましてや同級生だなんて。

 誰だ俺の幼馴染を誑かした不届き者は!


「てか伊織。あんたは何もないわけ?」


「何の話だよ」


「恋人よ。彼女くらいいないの?」


「はっ⁉︎ そんなのいるわけ——」


 梓の質問に思わず即答しかけたが……。


 ……待てよ。

 何だその勝ちを確信したようなすまし顔は。

 もしかして彼女のいない俺を煽ろうとしてるのか?


「まあ伊織に彼女がいるわけないか」


「なぜ決めつける。いるかもしれないだろ」


「ないない。だってあんた昔からモテないし」


 案の定梓は俺を嘲るように失笑した。

 おまけにわかりきったことをわざわざ口に出しやがって。その余裕に満ちた表情を見ていると、無性に腹が立ってくる。


(さてはこいつ、彼氏ができたからって調子乗ってるな)


 言葉にされなくとも俺にはわかった。

 だって俺は梓のたった一人の幼馴染なんだから。


「まっ、そういうことだから。以後よろしくー」


 やがて意気揚々と歩き出した梓。そのどこまでも傲慢な態度が、今の俺にとってはただの毒にしかなり得なかった。








「ああ、そういえば」


「ん」


「俺も最近彼女できたんだった」


「は」


 気づけば俺は思いつきでそう口にしていた。これには流石の梓も無視できず、俺を二度見してはピタリと立ち止まる。


「伊織。今なんて言ったの」


「だから、俺にも彼女ができたって言ったんだ」


 繰り返せば唖然と立ち尽くすその姿。

 まるで鳩が豆鉄砲でも食らったような間抜け顔だ。


「何だよ。どうかしたのか」


「べ、別に何でもないけど」


 とは言いつつ、目に見えて動揺しているよう。

 そこからはさっきまでの余裕は微塵も感じられない。


「どうせ冗談なんでしょ」


「んなわけあるかよ。マジだっつーの」


「ほんとのほんとに彼女が出来たわけ?」


「そうだよ。俺がお前に嘘つくわけないだろ」


 なんて自信満々に言ったものの、もちろんこれは真っ赤な嘘。梓に見下されたままではどうしても辛抱ならず、恥ずかしながら虚勢を張らせていただいた。


「でもまさかお互いに恋人ができてたなんてな」


「は……何よそれ」


「俺たちにもようやく春が来たってわけだ」


「伊織に彼女とか……絶対ありえないから」


「ありえもないも何もこれが事実なんですよね」


 こんなことで嘘つくとか超ダサい。

 なんて多少なりとも思ったりしたけど。


「嘘よ……そんなの嘘に決まってる」


 思いのほか梓の反応がいい。


「もう一回聞くけど冗談じゃないんだよね」


「何度もそう言ってるだろ。マジだってば」


 目に見えて動揺の色が浮き彫りになるその様に、俺の中にあった劣等感は、水に溶けるように薄れていった。


 嘘でも梓と並べている……いや、凌いでいるこの状況が心地よくすら感じられて。多少の引目は感じながらも、不思議と悪い気はしなかった。


「どうしたよ。そんなフグみたいな顔して」


「どうしたもこうしたもない! 私何も聞いてないんだけど!」


「そりゃお前には言ってないからな」


 やがて梓は顔を真っ赤にして怒声を上げた。

 それをきっかけに探り合いは言い合いへと発展する。


「幼馴染なんだから報告するのが普通でしょ⁉︎」


「それを言ったら俺だって何も聞いてないね。一体どこの誰を彼氏にしたんだか」


「今は私の話とかどうでもいいじゃん! いいから早く説明してよね!」


「嫌だね。お前が素直に白状したら俺も教えてやる」


「はぁぁ⁉︎」


 キツく眉を吊り上げ、梓は続ける。


「そもそも伊織、あんた好きな人いないって言ってたよね⁉︎ なのに何でいきなり彼女とか作っちゃってるわけ⁉︎」


「お前だって好きな人いないって言ってただろうが! 人の見てないところでコソコソと男作りやがって。そんなに俺に知られたくなかったのかよ!」


「仕方ないじゃん! 言うタイミング無かったんだから!」


「タイミング無いで済ませるなよ! てか彼氏いるなら、俺が彼女を作ろうがお前には関係ないだろ! 部外者の分際でわーわー騒ぐなよな!」


「あんたがそれを言うの⁉︎」


「お前こそ人に物言えるのかよ⁉︎」


 気づけば頭に血が上っていた。

 冷静さの欠片もないこれは、もはやただの意地のぶつけ合い。自分でもどうしてこんなにムカついているのか、不思議で仕方がなかった。


 とにかく耳に入って来る全てが不快で。梓に彼氏ができたという事実が信じられなくて。やり場のないイライラだけが俺の中に募っていく。


「もういい! 伊織と話してても埒が明かない!」


「それはこっちのセリフだね。人の事情に文句つけやがって」


 こうしてキツく睨んで来るあたり、おそらくそれは梓とて同じ。


 穏便な解決が出来ればよかったが、あいにくとそうはならず。やがて梓との間には『嫌悪感』という大きな溝が生まれてしまっていた。


「私先帰るから、あんたはついてこないでよね」


「誰がお前なんかに。彼氏とよろしくやってろバカ」


「バカって言う方がバカなんですぅー! このバカ!」


「お前も言ってるじゃねえかよ!」


 べぇーっと舌を出した梓は、不機嫌全開で足早に去って行った。


 もちろん俺は追いかけたりしない。

 あんな意地っ張りおバカは放っておけばいいのだ。


「……ったく。ふざけやがって」


 まああんな奴に彼氏ができたところで、どうせ俺らはただの幼馴染だし。別に今更悔しがることなんて何もないんだけどね……。







 * * *







「ってことがあったんだよぉぉ」


「へぇー、それはちょっと意外かも」


 翌日の昼。

 場所はファミレス。


 俺は案の定、梓のことで落ち込みに落ち込み、どうしても自分じゃ立ち直れず、友人の美緒みおに今後のことを相談していた。


「これから俺どうしたらいいと思う?」


「んー、どうしたらいいんだろうねー」


 美緒とは中学からの付き合いで、中学時代はずっと同じクラス。高校に上がるまでは、何かとよく遊びに行ったり、日頃の愚痴を聞いてもらったりしてた仲だ。


 今では梓と同じクラスな上、普段仲良くしているところをよく見かけるので、まさに適任だと思い美緒を頼ったのだけど……。


「何だよその反応……もうちょっと俺を労ってくれよ」


「ああごめんごめん。パフェが美味しくてつい」


「俺の人生相談の価値はパフェ以下ってことですか、そうですか」


 ジト目を向けても尚、美緒は何よりパフェに夢中の様子。少しは哀れな友人の話に耳を傾けてくれてもいいだろうに。


「美緒は梓と同じクラスだろ。何か聞いてないのかよ」


「うーん。残念ながらボクの情報網は狭くてねー」


「んん……でもそうだよなぁ。俺ですら知らなかったもんなぁ」


 はぁ……。


 と、何度目かもわからないため息を付く。それを見てか、美緒は「あはは」と乾いた笑いを漏らした。


「そもそも何で伊織は彼女いるなんて見栄を張っちゃったの?」


「別に見栄を張ったわけじゃ……トホホ……」


 反射的に対抗してしまっただけで。

 こんなめんどくさくするつもりは無かったんですはい。


「素直になればいいのに」


「そうは言ってもだなぁ」


「そしたら今頃上手くいってたかもよ?」


 なんだろう。

 グサっと心に刺さるこの感じ。


 梓と同じ女子だからか。

 美緒の言葉には妙な説得力を感じた。


「今からでも遅くないと思うよ?」


「遅くないって何がだよ」


「彼女がいるのは嘘ですって、正直に言ってみたら?」


「いやいや、それだけはダメだろ」


「どうして?」


 どうしてって。

 いざ訳を聞かれるとちょっと言いにくいけど。


「まあほら、あいつのことだから多分マウント取ってくるし」


「マウント?」


「それになんかあいつより劣ってる気がして嫌だし」


「ねぇ伊織、それ……」


 ボソボソとした口調で言うと、美緒はわかりやすく目を細めた。そんな「何言ってんだお前」みたいな顔をされても、こればっかりは幼馴染として譲れないんだ。


「とにかく、彼女がいる発言を撤回するのは無しだ」


「……はぁ、伊織は相変わらずだなぁ」


「何だよそれ。全然褒められてる気がしないんだけど」


「うん、だって褒めてないもん」


「酷っ……!」


 そんなにストレートに言わなくても……俺にだってちょっとくらい褒めるところがあるだろうに。


「この様子だと梓もなんだろうなー」


「ん、それどういう意味だ?」


「ううん、なんでもなーい」


 曖昧に濁すと美緒はまたパフェをパクリ。

 そして細長いスプーンを俺に突き立てては。


「一つだけ忠告ね」


「な、なんだよ」


「幼馴染だからって、変に意地を張るのはダメ」


「意地って、別に俺は……」


「ほらー、そうやって伊織はすぐに言い返そうとするから。だからいつまで経っても上手くいかないんだよ?」


「はいすみません……」


 プライドばかりの俺を見かねてか、美緒はため息交じりにそんなことを。確かにこいつの言う通り、俺は昔から梓のことになると素直になれない部分が多々ある。


 実際のところずっと前から……その……梓が好きだけど。本人の前ではこの想いを口にしたことはないし、ヘタレだなと自覚してしまう時があるのは事実だ。


「とにかく、まずは仲直りの方法を考えようよ」


「そうは言ってもなぁ……相手はあの梓だからなぁ」


「梓だろうがボクだろうが、女の子には代わりないじゃん?」


「まあそうなんだけどさ」


 幼馴染だからわかるが、梓は全人類の中でも特に気性が激しい生き物だ。一回怒らせてしまうと、機嫌を取るのはかなり困難だと思う。


「美緒的にはどうしたら機嫌が取れると思う?」


「うーん。ボクだったら、速攻で告白してるかな」


「何でだよ! お前の行動力凄いな!」


「ほんとに好きだったらこのくらいするよー」


「それが出来るのはごく少数だと思うぞ……」


 半分尊敬、半分不審な視線を送るも、美緒は何食わぬ顔で続けた。


「それは冗談としてもね」


 冗談なのかよ……。


「梓が喜ぶことをするのがいいんじゃないかな?」


「喜ぶこと? 例えば?」


「それは自分で考えなよ。何でも人に頼ろうとしたらダメ」


「うっ……」


 そりゃ求めてばかりも悪いんだろうけど。

 俺に出来ることで梓が喜ぶことって言ったら……。


「……料理とか」


「そうそう! そういうの!」


 ぽろっと出た一言に、美緒はパッと表情を明るくする。


「確かあいつ、昔俺が作る飯好きだったな」


「いいじゃんそれ! また作ってあげなよ!」


「でも最近はうちに来ることも減ったし、食べさせようにも機会がな」


「そこはお弁当にするとか、色々やりようあるじゃん!」


「確かに、弁当いいかもな。それなら学校でも渡せるし」


「うんうん! それで一緒に食べるとかいいんじゃない?」


「いやいや、そこまでする必要はないだろ」


「えー」


 否定すると美緒は不満そうに口を曲げた。

 弁当を手作りして渡すのはいいアイディアだと思うが、だからって一緒に食べたりなんかしたら、周りの奴らにいらぬ勘違いをされるに決まってる。


「てかさ」


「んー?」


「そもそも彼氏がいるのに、弁当なんて渡していいものなのか?」


「それくらい平気だよー。伊織たちは幼馴染なわけだし」


「だからって好きでもない男から手作り弁当貰って嬉しいかね」


 これ以上梓との間に余計ないざこざを生みたくない。

 そう思ったからこそ俺は聞いたのだけど。


「な、何だよ」


「いやなんか。梓も大変だなって思って」


「どういう意味だよ……」


 何やら美緒はピタリと手を止め、呆れ顔で何かを悟ったかのようにそんな一言を。意図を掴めず細い視線を送ると、「あはは」と笑って誤魔化されてしまった。


「でもいいじゃんお弁当。ボクが梓の立場だったら絶対嬉しいけどなぁ」


「そうなのかねぇ」


「きっとそうだよ。ボクも食べたいくらいだもん」


 そこまで言うなら、作ってみなくもないけど。


「これで逆に引かれたりとかしないよな」


「大丈夫大丈夫! ボクを信じなって!」


 トゥースばりに指を突き立てた美緒は力強く言う。


「とにかく! 伊織は忘れずにお弁当を作ること!」


「お、おう」


「積極的に女子力アピールしてこ!」


「いや待て……俺は男なんだが?」

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