逃げる兎と護る刃

玉葱剣士

第1話 弥吉と清十郎

 昔の仕事には華があった粋であった。ひとつの仕事に数年をかけた。引き込みを入れ奉公人の数、それぞれの奉公人の趣向、間取り、倉の鍵の蝋型をとり鍵師に鍵を作らせる。風の様に忍び込み去る。盗まれた方は倉に入るまで気付かない。


 ところが最近の盗みはどうだ。人を殺し女を犯す何でもありの畜生働きが流行りだ。あいつらは人ではない。よく親父に言われた


「盗人は盗む人と書く人間だ。殺し犯すような奴等は人間じゃねぇ。獣だ畜生だ。俺達には守るべき掟がある。人を殺さず女を犯さず貧しきからは盗まずだ。忘れちゃいけねぇよ」


 親父の名を継ぎ、二代目脱兎の吉弥になり10年近く脱兎の一味を率いてきた今も掟を破ったことはない。掟は俺達、盗人にとって矜持だった。



「弥吉のお頭! これを食ってみてくだせぇ。昨日、親父殿に教えてもらってよぉ。なめろうだよぉ。人様に出すのはお頭が初めてだ」


源三は満面の笑みで弥吉に前になめろうの皿を置いた。


「源三! てめぇは何回言えばわかるんだ!お前はもう堅気だ。お頭なんて俺を呼ぶな。お豊や親父殿がどう思う?客が入ってきたらどうする?」


源三は元は脱兎の弥吉一味の盗賊であったが、お豊と夫婦になり堅気になった。今はお豊の親父殿の居酒屋で修行中だ。


「親父殿もお豊も俺の過去を知った上で婿に迎えてくれたんでぇ。弥吉の兄貴のおかげたよぉ。表の札は仕込み中になってらぁ誰も入ってこねえよぉ。」


「この野郎はよ! 俺はおめえの兄貴になった覚えはねぇ。」


と言いながらなめろうを口に運ぶ。味付けはさすがだ。しかし特筆すべきは舌にねっとりと絡み付く食感だ。これは酒がすすむ。


「美味いじゃねぇか。ちくしょー」


と弥吉は言いながら酒を飲む。


「だろおぅ」


源三は得意顔だ。すると、お豊が奥から顔を出す


「弥吉のお兄さんじゃありませんか。騒がしいたりゃありゃしないですねぇ」


「お豊。この野郎はよ。まだ俺をお頭と呼びやがる。源三の野郎をちゃんと躾なおしやがれ」


「本当にうちの人と弥吉のお兄さんは仲がいいから私は嫉妬しちまいますよ」


と言いながら、お豊は中に引っ込んだ。


「うるせー。源三、お前も仕込みに戻れ!」

 

と弥吉が言うと源三も肩をすくめて奥に引っ込んだ。そして一人で酒を飲みはじめた。一本を飲み終えようとしたとき店の戸が開いた。


「ごめん。おや、弥吉さん、お待たせしましたね」


精悍な剣客風の男が店に入ってきて弥吉の向かいに座った。名は橘 清十郎といい脱兎の弥吉一味だが剣客だ。剣の腕前はかなりのもので弥吉にも剣術を教えている。お互いの父親に勧められ弥吉とは義兄弟の間柄だが、お互いにどこかヨソヨソしい。


「清十郎さん、ちょうど一本が空いたところですよ。そんなには待ってはいませんよ。まあまあ、一杯やってください。話はそれからです」


弥吉が酒を注ぐと清十郎はクイッと杯を空にして話だした。


「とりあえずは三蔵が野郎を後をつけてます。弥吉さん、私はね。お静さんの見立てが正しいような気がします」


「私もそう思います。清十郎さん。女の勘てやつは馬鹿にできない時がありますからね。お静さんならなおさら年期が違いますよ」


「確かにそうですね。盗みに入る相手先に奉公し内情を探り盗み当日には一味を引き込む。常に戦場にいるようなものですからね。剣客が数十年もを修行をした程の勘の働きに相当するかもしれませんね。三蔵はどうでしょうか?」


と言いながら清十郎は笑う。


「三蔵なら上手くやりますよ。昨晩、清十郎さんが帰った後に三蔵が手下を雇う金をせびりに来ましたからね。渡した金のいくらかは博打ですってるでしょうけどね。気長に飲んでまちましょうか」


弥吉は杯を空にした。


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