ケビン・オーティア Cabin・Otier

第1話 ケビン・オーティアの朝

 時計とは、約束を把握できるようにしたもの。

 月日が流れることは約束され、太陽が昇る事は約束され、万物の成長は約束されている。 それら約束事を規則正しく把握するための物が時計だ。

 故に、その精度は信じられるよう磐石で無ければならず、いかなる事象、変数にも干渉されず、その本体は狂わぬ様に強固でなければならない。

 窓ひとつしかない屋根裏部屋で、癖の強い黒髪の青年、ケビン・オーティアは不変のそれを時折反芻しながら、視線の先にある懐中時計を組み上げていく。

 ゼンマイ、テンプ、アンクル、ガンギ車、そして歯車を慣れた手つきで配置していく。 続く部品たちも、頭の中に描いてある設計図の通り正確に、寸分違わず確実に。

 その全てが精密に組み合わさり、最後に文字盤の上へ風防であるガラスケースを被せてリューズを回し、問題なく秒針が時を刻むことを確認したとき、ケビンの腹時計も朝食の時刻を告げた。


「ああ、もう朝か。 また寝忘れた……」


 一度凝り固まった背筋を伸ばし、今組み上げた懐中時計と肩掛けのバッグを掴み、ケビンは階下に降りた。 そこで一度手にしていたものを木組みのテーブルに置き、壁際に設えてある戸棚を開く。


「……そういえばもう買い置きは無かったっけ」


 そこに目当てのもの……口に入れられるものは何一つ置いてはいなかった。

 ならば、いつまでもここにいる理由は無い。 ケビンは財布と先ほどテーブルに置いた荷物を手に家を出た。

 向かうのは、大陸中央に位置する王都よりはるか北西に位置するグレイドハイド領の町、バーンウッド。 そこから少し離れた森の中にある石造りの家から外に出ると、気持ちのいい快晴が酷使した目に程よく沁みた。

 少し離れたといっても歩けないほどの距離ではない道のりは、一晩中腰掛けて凝り固まった体の節々を伸ばすのにちょうどいい運動を兼ねた。

 生い茂った木々を抜ければ、遠目にではあるがその町の全体が見えてくる。

 今ケビンが向かっているバーンウッドは、人口三千人程の交易を中心とした町だ。 景観は木材と石材を中心とした建物を中心とし、ケビンの住む森のほうから流れてくる川が町を横断するような形で流れている。 道も特別な舗装はされておらず、白みの強い土が縦横無尽に街中をはしっている。

 だが、この比較的大きな町であるバーンウッドのウリはそんなことではない。 街の北側に断崖の如く聳え立つ巨大な構造体が、バーンウッドの最大の象徴だ。

 その巨大な構造物は人々から“シップ”と呼ばれ、その全体は氷山のごとく、地下深くに埋まっている。

 バーンウッドはその構造物を調査する目的で出来た町と言われている。 言わば、調査拠点として発達し、大きくなった典型だ。

 現在では大々的な調査活動は規模を縮小し、調査団として活動していた人々はバーンウッドに居つくように根を張り、家族を持ち、平穏な日々を送っている。

 ケビンが今向かっているのは、そのバーンウッドで朝から上手い朝食が食べることができて、夜は生演奏の聞ける酒場として人々が寄り集まるミュージック・バー。

 料理をしないケビンは朝食と言えばほとんどここで摂っている。 時計を一から組み上げられる程度に手先が器用でも、料理は殆どしない。 軽く腹に入れる程度の物しか備蓄を置いていないのもあるが、食材を家に用意しておいても、今日の様に熱中してしまうと、結局はそれらを調理しないまま駄目にしてしまうことが多いからだ。


「おはようございます店長」


「いらっしゃいケビン。 モーニングでいいか?」


 スイング・ドアを潜って出迎えてくれるのは、いつ寝てるのか分からないくらい昼夜問わず同じ姿勢、同じポジションでカウンターに居るちょび髭に短い白髪をオールバックで整えた初老の主。


「はい、お願いします」


 お決まりの挨拶を済ませ、定位置となっている窓際の席に腰掛ける。

 早朝のこの席は窓からの日差しが徹夜して靄のかかった眼と頭にいい塩梅だ。 だからケビンはここの席が気に入っている。 

 それは情緒的な意味だけではなく、酷使した集中力と脳は太陽の光を眼球から取り込むことで覚醒するからだ。

 徹夜で作業することが少なくないケビンにとって、これはある意味必要な儀式なのだ。

 料理を待っている間に、離れた場所で雑談をしていたグループからキャップを被った男が一人だけ離れ、ケビンのいるテーブルへと近寄ってきた。


「ようケビン。 また徹夜か?」


「おはようエタン。 まぁ、結果的にまた徹夜になったってだけだよ」


 エタンは運送業を生業にしている青年だ。 誰にでも気さくに話しかけ、その人当たりの良さから請け負った営業先での受けも良く、実際話していて気持ちのいい男でもある。


「まったく、いつも通りってことだな。 ――なぁ、もし眠らなくても健康でいられる方法があるんなら教えてくれよ。 こっちは夜通しトラックを走らせたせいで体が超ダルい」


 そう言ってエタンはくたびれた表情と仕草でケビンの前の席に腰掛ける。

 人の一生のうち、三分の一は睡眠だ。 生物である以上、疲労は休息を取ることで回復する。 だが睡眠を削ると疲労は蓄積し、本来発揮すべきポテンシャルの低下を招く。

 だからそれを解消できるプランがあるのならば、誰だって喉から手も出したくなるだろう。 少なくとも、エタンにはケビンがそう見えたようだ。 本当にそんな方法があるのなら、快くケビンも答えただろう。 だが……。


「あるわけがない。 それより睡眠の質を上げたほうがエタンの望みに適うんじゃないか? 車中泊をやめるだけで大分違うよ、きっと」


「なら何でお前はそんなに平気なんだ? 一昼夜椅子に座ったままで朝日を拝んでる時点で俺と変わらないだろ」


「平気なわけないじゃないか。 だからコーヒーを飲んで目を覚ましに来たんだよ。 エタンはこれから仕事?」


「おう、飯を食ったら隣町の“ハイランバーグ”まで鋼線を運んでくる。 そんで、帰ってくる頃にはお前の食うパンをしこたま運んでくるさ」


「いつもご苦労様。 バーンウッドは君のお陰で食卓にパンが並んでる」


 そうこう話している間に、ベーコンの焼けた良い匂いがカウンターから運ばれてきた。


「お待ちどうさま。 そのエタンが運んだパンを使ったモーニングセットだ。 で、今日はどうする?」


 料理を運んできた店長はそう言って、先ほどまでエタンもいたカウンター横にある掲示板を親指で示す。 そこには“JEM・TOTO”と書かれたネームプレートがいくつも並んでいる。


「ケビン、お前はどれに賭けるんだ?」とエタンがニヤッと笑う。


「店長もエタンも知ってるくせに聞くんだもんな。 僕はやらないよ」


「相変わらずお堅いなお前は。 一回くらいやってみろよ。 俺はそのビギナーズラックに便乗させてもらうからよ」

 JEM・TOTOとは、機兵槍試合、ジョスト・エクス・マキナの勝敗結果を予想する公営ギャンブル。 成人であれば誰でも参加でき、現地で白熱する試合を見ることができない人々は、ラジオで放送される勝負の様相に一喜一憂して盛り上がっている。

「なら僕はエタンの為に尚更手を出すわけにはいかないな。 それより、はい。 リューズの調子が悪いって言ってたの直しといたよ」

 ケビンは持ってきていたバッグからコースターくらいの大きさの懐中時計を取り出した。


「早いな。 昨日渡したばっかりだろ」


「こんなの片手間だよ」


「そうか、まぁ助かったよ。 運び屋は時間に正確じゃないといけないからな。 いくらだ?」


 エタンは懐から財布を取り出そうとするが、それを僕は首を振り、片手で制した。


「いいさこのくらい。 言ったろ、片手間だって」


「……そうか、悪いな。 それじゃあお言葉に甘えておくよ。 ケビンはそれ食ったら商会に行くんだろ。 よかったら乗っていくか?」

「え、いいの?」


「それくらい片手間だ。 それじゃ、食い終わったら声をかけてくれ」


 エタンは再びJEM・TOTOの掲示板に戻り、賭け仲間達と注ぎ込む金額を話し合いながら談笑を始めた。

 ケビンはその様子を遠目に見ながら、冷めないうちに一口目のコーヒーを飲んで頭の靄を振り払うことにした。

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