俺たちの世界にヒーローはいらない
鍵谷悟
第1話 その少女は袋詰めされて
随分と昔(とは言ってもまだ高校生なのだが)だったことだけは確かだ。
最早周りの情報でさえ思い出せない記憶。
俺は、会話をしていた。
――貴方、何か望みはあるかしら。
望み?
――あら、言い方が難しかったかしら。貴方には『夢』があるかしら?
夢……夢かぁ……うーん……
――ないのかしら。貴方ぐらいの年で珍しいわねぇ。
夢ってわけじゃないけど、僕はヒーローになるんだ!
――それは、夢じゃないのかしら。
夢じゃないよ。だって、誰に叶えられなくても、僕がそうなるんだから!
――あら、おもしろいわね。なら、こうしましょう。
?
――貴方に、『ヒーローになれる素質』を、
仁
無機質な電子音で、目が覚める。
そこにあるのは、見慣れるという表現も通り過ぎてしまった自室の天井。
「んー……くぁ……」
もそもそと布団から出て、カーテンを開ける。
まだ少し明るくなってきた程度の外。
窓を開けて、思いっきり外の空気を吸い込む。
早起きは好きだ。
朝起きてから家の事もできるし、学校へ行くにも慌ててうっかり忘れ物をすることがない。
何よりも、朝の空気は澄んでいて気持ちがいい。
ひんやりと冷たい空気を深く吸うと、眠気が消える。
しかも今日は天気がいい。
遠くの山に見える太陽が一日の始まりを告げている。
いい光景だ。
「……おー、おはよう
「…………」
「どうした? いきなり固まって」
朝からわざわざ擬音を口にしながら、一ヶ月程度か家を空けていた姉が門を開けて、玄関前のスペースへ入ってきた。
明らかに人の大きさほどの何かを抱えて何かから隠れるように現れた途端、ストレス的な何かが胃に直撃してきた。
とりあえず、どう見ても人さらいにしか見えない姉貴を家の中に入れて、リビングまで連れて来ていた。
相変わらず人の大きさの塊が姉貴の横に置いてある。
投げずに普通にそばに置いたところを見ると、やはり人なのか……?
「で? それ何だ?」
家の中まで入ってきてもなお、口を開かない姉貴に問いかける。
? といった風に首を傾げる姉貴。
しかし、すぐに何か合点がいったように手を叩いた。
「朝飯はまだか?」
「溜めた割に言葉のキャッチボールが完全に放棄されてやがる!」
俺の言葉にまた頭に疑問符を浮かべている。
何? この状態(荷物?)に疑問を浮かべる俺の方が異常なの?
頭を抱えていると、居間の扉の開く音がする。
「おはよぉ~」
「お、久しぶりだな母さん」
聞き慣れたおっとりとした声で、居間に俺たちの母さん
目がとろんとしていて、寝癖などが直されていないところを見ると、起きてすぐこちらに来たのだろう。
「
部屋に入ってそうそう姉貴に手を振っている。
俺たちの声を聞いて居間まで来たのだろう。
「な~な~み~ちゃ~ん」
「うあっ!?」
まだ半分ぐらい眠っているような状態で母さんが姉貴に抱きついていた。
姉貴がしばらく家を空けた後、わりと良くある光景だったりするのだが、未だに姉貴は慣れていないようだ。
「だから何で、母さんはそう人の気配を抜ける!?」
違う。あれは気配が読めなくて抱きつかれたことが信じられないだけだ。
姉貴はああ見えても、かなり腕の立つ何でも屋をやっている。
一度だけ見たことがあるのだが、拳銃を向けられ、平然と弾丸を避ける姉貴。
その姉貴に対して、気配を悟られずに抱きつく。
母さんは、もしかしてかなりの人間なのだろうか。
「うふふ~、むにむにだ~♪」
いや、それはないか。
娘の頬を楽しそうにぷにぷにと指でつついている母親の姿はどう見てもそんな高レベルなものではない。
「……母さん。とりあえず離してくれないか」
「だ~め~」
一ヶ月ぶりだからか、溜まっていたものを解消するかのように姉貴をつついたりほおずりしたりしている。
「話ができないっ」
はがそうにもはがせないのか、離すことに抵抗があるのか、文句を言いながらも放っておくことにしたらしい。
「というわけで仁」
「ん?」
「『それ』頼んだぞ」
姉貴が指さす先には担いできていた『それ』を指さした。
は?
「だから『それ』。お前らに任せた」
こいつ何言ってんだ。
「あ、動いた~」
母さんが気づき、視線を向けた先にあった『それ』をが、もぞもぞと動きだした。
やはり何か生き物でも入っているのか。
『うぇ!? ここどこです!?』
「生き物どころかやっぱり人じゃねぇか!」
中から聞こえてきた声に、案の定かと『それ』に手を伸ばす。
『だっ、誰ですか!?』
泣きそうなのか、泣いているのか、震えている声の主が怯えている。
近くまで寄ってみて、『それ』が大きな袋になっていることに気づく。
風呂敷みたいになっていないようだし、どこかにファスナーでもあるはずなのだが。
「落ち着け、今からお前が入ってる袋を開けるから、ちょっと動くな」
『はっ、はい……』
袋が動かないことを確認し、周りを調べる。
「……ねぇ、七海ちゃん」
「ん? どうした母さん」
後ろの方で、未だに姉貴を抱きかかえたままの母さんの声がしている。
周りを見た感じ、ファスナーが見当たらない。
もしかして下側にあるのだろうか。
「あそこにいる子。どうしたの~?」
「あぁ、たまたま会ってな。ちょっと連れてきたんだ」
「……ちょっ、と?」
「うん?」
「ちょっと、って、どういうことかな~?」
後ろからの圧が増していく。
……今は目の前の袋に集中した方が良さそうだ。
袋の下を見られるように少しずつずらしていく。
お、チャックの端を見つけた。
しかし、今のままだと開けられないな。
それに加え、チャックは袋の中からは開けられそうにない。
「ちょっと袋を回すから、中で転がってくれ」
『は、はい』
袋の端を持ち、チャックの端を引っ張り出す。
「な、ちょっ母さん! ダメだ! 綿棒はそんなものに使う物じゃない!」
一体後ろはどうなっているんだ。
姉貴が母さんに何をされているのかが非常に気になるところだが、純粋に怖くて振り向くことができない。
「なっ!? そこで付箋だと!?」
母さんは何をしているんだ。
『え、っと』
袋から声が聞こえてくる。
『開けてもらえないんですか?』
ふむ。袋の中身の子がチャックが表に出たにもかかわらず、外に出られないことが不思議らしい。
「止めておけ」
『え?』
「だ、だから! 体温計は人の体温を測るもので、オワァー!!」
今俺の背後に広がっている光景は、知らない人が見てしまったらトラウマになりかねないものだろうから。
それから、必死に事情を説明しようとする姉貴の言葉には耳も貸さず、母さんの怒りが収まるのを待つこと数分。
「母さん。もういいか?」
「ごめんね~。ちょっと自分を忘れちゃって」
手を合わせて首を傾げるという、年齢から考えたらわりとキツめなポーズを取る母さんに確認を取り、袋のチャックを開けていく。
「待たせたな。大丈夫か?」
開けられるところまで開けて、手をさしのべる。
顔は見えないが、びくっ! と震えるのが分かった。
まぁ、自分を袋詰めにした人間の身内に手は取れないか。
かといって、引っ込める訳にもいかず、伸ばした手をもてあまし気味に待つことになった。
ヒナ
私に差し伸べられたその手は、少し待っても元に戻ることはありませんでした。
この場所に来て、二回目に見るその光景。
その手を取るには、少しの時間と、勇気が必要でした。
七海さんは「あいつらなら大丈夫だ」と笑っていましたが、初めてのそれは不安と緊張と、申し訳なさからの行動でした。
困ったように微笑むその男の子の手を、おずおずと取る。
「初めまして、
「佐倉仁だ。よろしく」
そう言って笑う彼に、袋から出してもらったのでした。
朝食の準備にキッチンへ入った七海さんのお母さんを除き、リビングに私と七海さん、仁君の三人がテーブルで向かい合うように座っていました。
とりあえず、と出していただいたコーヒーの入ったカップを手にして、七海さんが口を開きました。
「それで、さっきも少し伝えたが、ヒナをお前達に任せたい」
先ほど、袋の外で話をしていた内容を、改めて七海さんが仁君へ伝える。
「あ、あの」
言葉を続けようとしていた七海さんを遮るように、手を上げます。
「ここからは、私が自分で話し、ます」
私のことは、せめて私が伝えようと、ここに来る前から決めていたことでした。
七海さんは少しだけ言葉を悩むように口を閉ざしています。
「……わかった。大事なことだからな」
ありがとうございます。と一言お礼を言って、仁君に向き直る。
彼の目は、まっすぐ私を見ていてくれました。
少し、いや、結構な時間を、待たせてしまい、深呼吸を繰り返し、意を決して目を開く。
そこには、目を伏せた時と変わらず、仁君がこちらを見守っていてくれました。
「実は、私は……魔法使いなんです」
その一言を、告げる。
「でも、ある日、魔法が使えなく、なってしまって……」
ここに来た理由を、口にしますが、そこまで言って、言葉が詰まってしまいました。
自分でも、あまりにも滑稽な事を伝えていると、分かっています。
魔法なんて、物語やオカルトとして定着してしまっている世の中で、『魔法使いなんです』なんて言葉、白い目で見られるか、病院でも紹介されてしまうような事なのですから。
私がこんな事になっていなかったら、逆にそんなことを初対面の人に言われたら反応に困ることでしょう。
案の定、仁君からは何も言ってもらえません。
その沈黙が、耐えられずに下を向いてしまう。
「……ん?」
仁君のその言葉に、ふと顔を上げてしまいました。
そこには、想像したものとは違う、困ったような顔でも、呆れた顔でもない、けろりとした表情のままの仁君がいました。
「え? どうした?」
「い、いや、魔法が使えなくなってしまって、また魔法が使えるようになるよう、お手伝いを、していただければな、と」
「あ、そういうことか。いいぞ」
「そうですよね……え?」
「え?」
仁君と、二人で顔を見合わせる。
二人して疑問符を頭に浮かべる。
「はっはっはっ!」
そんな私たちを見ておかしくなったのか、七海さんが声を上げて笑う。
「だから言っただろう。こいつらなら大丈夫だよ」
そう笑う七海さんは、初めて会った時と同じように、笑っていました。
仁
大西さんの話を聞き、協力するとは言ったものの。
今日は祝日などではなく、平日である。
学校もあるため、準備をしなくてはいけない。
母さん、姉貴、大西さんをリビングに待たせ、朝食を手早く用意していく。
母さんも料理を作れるし、用意もするのだが、いかんせんのんびりとした母さんでは朝食を用意するのにも時間がかかってしまう。
なので、大体朝は俺が用意するようにしている。
「しかし……」
魔法、ねぇ。
俺自身、魔法を使えるわけではないし、魔法使いに知り合いがいるわけではない。
ぶっちゃけてしまうと、俺たちのところに来たとしても、魔法が再び使えるようになるかなど、わかったものではない。
……まぁ、ある意味、魔法使い並に普通じゃない知り合いならいるのだが。
かといって、あいつらも別に魔法が使えると言うわけでもない。
リビングから聞こえてくる、大西さん達の声。
今は、情報が少なすぎるか。
「っと」
目玉焼きが焦げかけている事に気づき、慌てて火を止める。
とりあえず、考えても仕方ない。
学校に行ってから相談するとしよう。
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