#19-1
#19
翌日。
12月4日の午前6時30分。早朝の墓地を歩く一人の男が居た。彼の目指す先には、『水原家の墓』と書かれた墓石が立っている。つまり、桜が納骨される予定の墓だ。鼻唄まじりで歩く彼の手には、薔薇の花束が握られている。墓地とは不釣合いなその花束を揺らしながら歩く彼は、自身の目標地点に一組の男女の姿を見つけ、穏やかに唇の端を上げた。
手を合わせていた男が、花束を持っていた男に気づき、声を掛ける。
「及川匠、だな。こんな早朝から、ご苦労なこった」
早朝の冷気の水面の上を、緊張感の波紋が静かに広がった。
「どうも、初めましてですね、三枝大樹警部補。そちらは、お久しぶりです、楢井崎圭さん」
「その節は、お世話になりましたっす。今回の節は、見逃す訳には行かないっすけどね」
「おや、恐ろしい。それにしても、こんな早い時間にこんな場所で出会うとは、奇遇ですね」
「奇遇じゃねえよ。ここの和尚から聞いたんだよ。ここんとこ毎日、この墓に、薔薇の花束が供えられてるってな」
目の下にクマを刻んだ圭が誇らし気に言う。
「ちなみに、和尚さんからの情報は、私が仕入れた情報っすよ」
時間は昨夜に飛ぶ。
「おいナラ、今夜付き合ってくれとは言われたが、朝まで掛かるってのは聞いてねぇぞ」
墓地の駐車場に覆面パトカーを止め、その中で二人は肉まんを貪りながら、水原家の墓を監視していた。
「一晩中、と言う意味では、今夜付き合って、は合ってると思うっす」
「屁理屈こねてんじゃねぇ。ったくよぉ、張り込みなら一人でやりゃいいじゃねぇか」
「この冬の寒空で、車が無い状態での張り込みは生死に関わるっす」
「ったく、確かな情報なんだろうな? 水原家の墓に、及川らしい男が毎日知らない内に、薔薇の花束供えてるってのは」
「和尚さんも大分訝しんでたんで、確かな情報っす。まぁ及川かって言われたら、まだ分かんないっすけどね」
「それにしてもよぉ、不思議だよな。検死が終わったばかりで、葬儀もこれからだろう。あの墓に水原桜の骨は埋まってない。なのに、毎日来る理由なんてあるのか?」
「その辺りも、とっ捕まえて聞いてみればいいじゃないっすか」
「まぁ、そうだな。ふぁわぁ~あ。よし、俺は仮眠を取る。及川が来たら起こしてくれ」
「え? え? ちょっとぐっさん! そりゃないっすよ!」
「お前の張り込みに、車を出してやったんだ。その位の恩返し、してもいいだろ。そんじゃ、お休み~」
「……ったくもぉ」
「和尚の知る限りは日曜から、つまり、水原桜が屋上から飛び降りた翌日からって事になる」
「薔薇の花束持参の墓参りなんて、かなり目立つっすからね。昼間は和尚さんや他の人に見つかる可能性も高いっすから、誰にもばれずに供えているなら、夜中か早朝だと踏んだ訳っす」
「そんで、昨夜からずっとお前を待ち構えていた」
「ずっと起きてたのは私だけっすけどね!」
「成程、それは、ご苦労様でした」
「それはこっちの台詞だよ。司法解剖もあったから、この墓にはまだ水原桜の骨は入ってねぇ。それなのに、こんな時間にそんなご大層な花束持って毎日墓参り、一体何のつもりだ?」
「何のつもり? これは面白い事を仰いますね。その真意を掴んだ故、貴方方は私の所へ来たのでしょう?」
「お前の口から聞きたい事もあるんでな。とりあえず、署まで御同行願えるかな?」
「それは、任意ですか?」
「建前上はな」
「拒否すれば?」
「正式に令状を取るしかねぇよな。そんで、真昼間に堂々とど真ん中から、菱川雷太の秘書であるお前を捕まえに行く。お前を拾ってくれた菱川雷太、もとい菱川グループは相当迷惑を被るだろうな」
そこで匠は、やれやれと言う風に首を振った。
「流石警察、脅迫がお上手ですね」
「お前に比べりゃ子供の遊びだよ」
「ご謙遜を」
「とにかく、一緒に来て貰おう」
「ぐっさん、ちょっと待って下さいっす」
圭が、動き出そうとした大樹の袖を引く。
「なんだよナラ」
「このまま警察に連れて行かれたら、私がこいつから話を聞くチャンスが無くなるっす。お願いしますっす、私に10分、時間を下さいっす」
「お前、この為に昨夜から張り付いてたんだな。正式な令状取る前に、直接こいつの話聞く為に……」
「話が早くて助かるっす」
「あのなぁ、気持ちは分からねぇでもねぇけど……」
「私は別に構いませんよ」
「お前の意見は聞いてねぇよ」
「お願いしますっす!」
「……10分だけだぞ?」
「ぐっさん、あざっす」
圭はニヤリと笑って、大樹の一歩前に進み出た。目の前には、及川匠がにこやかな笑顔を浮かべている。
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