第120話 金色の羊毛

 白亜の古城。

 なんでこんな舞台が整えられているのか分からない。

 ただ、広場から続く豪奢な門も、そこから続く通路も、人間のサイズに比べれば大きく作られている。

 誰が、何の為に……考えても仕方がないことは、この通路の果てで聞けばいい。


 そこにはきっと、僕らの希望を受け止めてくれる存在がいる。


「つっ!」


 肩を貸すメロンが痛みの声を上げる。


「大丈夫か?」


「ん、へーき……」


 それは無理をしている笑顔。

 だからといって、もう何も残っていないし、何もできない。


『医療用のナノマシンももうお終い』


 僕らのゆっくりとした歩みに続く円筒形のボディから聞こえるミライの声も平坦だ。

 アルゴー号も失い、設備も装備も失い、皆を失った。

 ボディだけじゃない、船にあるバックアップも含め、皆の痕跡は、もう僕らの記憶と記録の中にしか存在しない。

 

 もし、肉体を貰えるとしたら、皆を復活させることはできるのだろうか。

 僕らの記憶から、寸分違わぬ容姿を持つ肉体を生み出せても、それは皆と呼べるのだろうか。

 その存在を規定するものはなんだ。

 僕らの記憶だけで、その人を再構築できるのか。


 それならば、記憶喪失だと思えばいい。もう一度、思い出を作り上げればいい。

 すでに一度、やってきた道じゃないか。

 僕らは記憶を失っていても、僕らだったじゃないか。


 話すエネルギーを足の動きに変え続け、通路はやっと終点を迎える。


「メロン、ミライ、着いたよ」


 立ち止まり、支え直し、声をかける。

 メロンはほんのわずかヘルメットに覆われた頭を縦に振る。


 金色の、シンプルな両開きの扉。

 レリーフも無ければ凹凸も無い。

 僕が扉に触れても何も起こらない。


 メロンが僕に微笑みながら扉に触れると、取っ手すら無い扉は、自然と向こう側へ開いていく。

 光に満ちた広い部屋だ。

 その中央に、椅子に座る人影が一つ。


『さて、キョウ。ここで最後の選択だよ』


 僕の背後から無機質な電子音声。

 その合成された声の主がミライであると、誰が証明できる?


『ボクはミライだよ。正しくは未来みらいから複製された、体を持たず、人工の有機脳だけの存在。情報の入出力は全部このボディを通して行っている、それがボク。ああ、しゃべらなくていい。ボクは君の言語野の信号で何を言いたいか分かるからね、余計なエネルギーは取っておいて』


 選択って何の事だ?


『確証がないままここまで来たけど、おかげさまで「金色の羊毛」はあそこに存在している。メロンを連れてきて正解だった。後はアレに願うだけなんだけど……ね、キョウ。あなたは、とメロン、どちらを選ぶ?』


 お前……ミライ、未来みらいなのか?


『もう一つの未来みらい、274年、ずっと生き続けてきた未来みらい、一人でずっとずっとずっと、人工脳として生かされてきた未来みらい、だよ』


 なぜ思い至らなかった?

 コピーされた人格が、別の経験の果てに別の人物になっていたと、なぜ思い込んでいたんだ?

 ミライは未来みらいの、もう一つの未来じゃないか!


『思い至らない様に、演じていたからね。別人を装うとね、皆もそれを求めるんだよ。人格のパラドックスなんて、めんどくさい論争が巻き起こるのは計画の邪魔だから』


 計画?


『うん。もうだいたい分かるでしょ?』


 肉体を願うってことか。


『ワタシは未来みらいになるの。そして、キョウ、あなたと一緒に生きて、そして死にたいの』


 その願いを、誰が否定できるものか。

 僕らの目的のために生み出されてしまった存在が、ただそれだけのために生きてきた存在が、それを願って何が悪いのか。


「……ワタシは、いいよ。もういっぱい、キョウと一緒にいたから」


 メロンの小さな声は、とても穏やかに思えた。


『そうだよね。メロンはたくさん愛してもらった。キョウと体を重ねてさ、ワタシはそれを見てるだけしかできなかった。だから、もし機会があれば、チャンスがあるなら、今度はさ、ワタシが、キョウを独り占め、したい!』


 フラットな電子音声にも関わらず、僕には慟哭にしか聞こえなかった。

 涙を流す機能も持たず、それでも、彼女の心の叫びが伝わる。


「ごめんね……あなたに、甘え過ぎて。でも、ワタシもね、あなたと同じだよ」


『同じ? 何が?』


「願い事。ワタシはもうここまででいい。だって、ワタシが最後の人間なんだもん。あの時、死に損なったワタシは、この扉を開けるまで死ねないとここまで来た。後は、キョウとミライに託すわ。だってワタシはもう、メロンだもの。だからね、未来みらいはあなたなのよ」


 すでに気力だけで生きていると感じる。

 発声すら、彼女の残り時間を縮める。

 だからと言って誰が彼女の言葉を止められるものか。


 そしてメロンは僕の腕を解く。


「少し、疲れちゃった。ワタシはここで休んでいるからさ、ミライと二人で行ってきてよ」


 座り込み、笑顔を向ける。

 閉じた瞼から、涙がこぼれている。

 やがて、崩れ落ちるように、体を横たえた。


『……やれやれ、メロンは本当に世話が焼ける。こんなとこで寝たらさ、風邪をひくよ? 最後の人間なんだから、だから、体を大事にしなくちゃ、ダメじゃないか』


 ミライはメロンの傍らに移動し、僕の視線から隠すように佇む。


『これで最後の寸劇はお終い。ごめんね、もキョウとは行けないや』


 僕は、足を動かすために考える。

 決別の為の言い訳を考える。

 

 彼女たちの愛した人は、僕じゃない。

 僕は君たちが存在したことを見届けた、ただの観測者だ。


 その観測した記録を、無駄にしない。


「それじゃ、行って来る」


 体は思いのほか軽く動いた。


 室内に入るとすぐ、扉が閉じた。

 もうを認識することはできない。


「またずいぶん面白いメンツで訪れたわね。ヒトと紛い物が二つ」


 椅子に座る人物は光り輝き、その姿はハッキリと見ることができない。


「最初に選ばせてあげる。腰の剣、どう使う?」


 フリキとオルギを鞘ごと外し、差し出す。


「返すよ。それが僕の最後の使い方だ」


わ。それで、要望は?」


「僕らに繋がる生態系に切り替えてほしい」


「標準生き物セットね。幻想生物セットから切り替えるわ」


 ふざけた名称に苦笑が漏れる。


「あなたはどうするの? ホムンクルス。受肉をご希望かしら?」


「僕はさびしがり屋で、どうにも一人じゃ生きられそうもないんで、このままでいいかな」


「死ぬことが怖くない?」


「そうじゃないよ。存在を失うって、とても怖いよ。でも僕はもう、生きる理由が見つからないんだ。そんな存在がさ、生き続けるために、一生懸命生きている何かを糧にするなんて冗談みたいな話だろ?」


 ホーンラビットだって、コボルトだって経験値の為に存在してるつもりはないだろうさ。


「つまらない事を考えるね。存在することに理由が必要なの? 生まれようとして生まれた存在なんていないのに?」


「僕は道具なんだ。魂の入れ物として必要だから作られた。誰かに必要とされて生まれてきた。その存在理由が無くなれば存在する意味はない」


「人間は、望んで子を成すと思ったが、それも道具なのかな?」


「違う。それはただの結果だ。求めるのは、いまそこにある温もりだ」


「その温もりが無いから、生きられないと聞こえるのだけど」


「言っただろ? さびしがり屋だって」


「ふむ。まあいいか。君の要望がはるか未来で大きな災厄を招くかもしれないけど、見届けるつもりもない?」


「僕から繋がらない未来まで責任は取れないよ」


「因果応報だね。君はいつかを受ける。それまで絶望を抱えていればいいさ」


 金色の羊毛はそう言って、優しく笑った。

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