第105話 スキュラとカリュブディス

「海峡まで10キロ、アルゴー号着水停止」


 操縦室に響くプロフの声。

 予め設定していた到着地点に辿り着き、緊張を解く。

 それは攻撃される懸念じゃない。プロフの操縦に対してだ。


「はぁぁぁぁぁ無事で良かったぁぁぁぁ」機関士席で、すごく長い息を吐くサブリ。


「あれだな、冷や汗をかくというのは、稀有な体験だな」


 予備シートにベルトで固定されたアリオが硬い顔で呟く。


「二人とも失礼しちゃう」


「思った以上には安全運転だったな」僕としては拍子抜けだ。


「空中戦じゃあるまいし、移動するなら私じゃなくたっていいのに」


『まあそこは許してやってよ。メロンとしては前回の反省があるわけだから』


 予備シート、僕の隣でメロンが身を固くする。

 前回、黒の森までの飛行、メロンに過失は無いが結果的に船は故障し、エフテの負傷につながったこと、どうにも引き摺っているみたいだ。

 今回の移動に関しても、移動ごときでと渋るプロフに無理やり操縦させたのはそう言った理由からだ。


「ミライ、ドローン出して」


 操縦席の後部、少し高い位置にあるキャプテンシートからエフテが指示を送る。

 ちなみに、僕らの位置からはモニターなどに囲まれたエフテの顔が見えない。


「どうせ墜とされるんでしょ? 望遠で確認すればいいじゃないのよ」


 サブリが不平を零す。

 ドローンの残機は多数有り、と知っていても必要な犠牲と割り切れないのだろう。


「墜とされ方も知ることができるでしょ? 攻撃反応位置の類推、その手段、当たりに行く前にできるだけ情報収集は必要よ」


「うーーん、俺としては、とりあえずひと当たりしてみたいんだがな」


「急がば回れ、よ」


 アリオの焦る気持ちも分かる。

 僕ら四人のエイジスの訓練と、ここまでの移動の結果、僕らの稼働時間は残り二年を切っている。


「これからどれだけ戦いが控えてるのかな?」


 サブリの問いに答えられる者はいない。


『過去の記録だけで見れば、中位種の親玉くらいのPPPみたいだけど、前回と今回の差異が大きくて、誰も分からないからさ、考えるだけ無駄って話もあるね』


「前にメロンが間に合うって言ってた根拠があるんじゃなかったっけ?」


「前回の記録と照合してのシミュレートだったのですが、ギガスの出現ですら想定外でした。時間内にどこまで辿り着けるのか正直に言えば、分かりません」


 少しだけ、陰を纏ったメロンの顔は、僕らが間に合わなかった時の事を考えているんだろう。

 本音を言えば、僕らが間に合わなければそこでゲームオーバー。

 そうすれば僕らは、何もかも捨てて、思考の中で眠り続けることができる。


「着実に進んでいるのは確かよ」


 そんな後ろ向きの着想に、エフテの凛とした声が響く。

 その姿は見えなくて、少し可笑しくて笑ってしまう。


『ドローン、距離1000で一旦停止』


 ミライの声に、正面のメインスクリーンを注視する。

 左右の大陸から伸びた岬。

 その最少の間隙は、幅が100メートルも無いことは衛星からの画像で確認済みだ。

 特徴的なのは、左右の大陸の高さ。

 まるで宇宙まで伸びる壁が屹立し、空中からの侵入を拒んでいる。

 実に海抜2万メートル。20キロの高さまで伸びる壁の上は、異常な気流が渦巻き、現在のアルゴー号の飛行能力では越えられなかった。

 もっとも、その壁の最下部、二体のPPP反応を駆逐しなければ、次の戦場は姿を現さない。

 海の上を進み、海峡の門番、スキュラとカリュブディスを倒すのだ。


「あれか……狛犬?」


 アリオ、なんだよコマイヌって。


「ケンタウロスかも? もう一体は?」


 サブリも知らない単語を告げる。

 向かって左側の海峡の下部、わずかな平地に一体の異形。

 全体的に青黒く、三つ首の犬の背中に裸の女の上半身が生えている。


「あれは、どっち?」


『視認できてる方をE―S04スキュラにしよう』


 プロフの問いにミライが答える。


「そもそもスキュラとカリュブディスって名前はどっから出て来たのよ」


『前回のデータを参考に、後は雰囲気かな? ごめん大した意味はないよ』


 まあS04でもS05でもいいけど。


「それにしたって、Sクラスばっかりじゃねーか」


 インフレがすごいんだが?


『それはしょうがない。ゲームみたいにこちらの成長に合わせてギリギリの敵が現れるなんてご都合主義は考えない方がいいよ』


「幸い、エイジスの熟練度は実践訓練でなんとかなったんだ。こいつもサクッと倒して、また訓練しようぜ」


「アリオは本当に訓練が好きねぇ」サブリが笑う。


「夜の訓練も捗ってる」


「ちょっ、プロフ、なにを!」


「別にサブリちゃんのことなんて言ってないけど?」


 そうなんだよな。

 この二人、もうずっとそんな関係を続けているんだから、隠す必要もないのに。

 ていうか、サブリはまだ羞恥心が残ってるのか?

 それはいかんぞ?

 僕みたいに、四六時中ミライに監視されていると自覚しながらいちゃいちゃする境地に辿り着かないとな。


『もう一体が見えないけど、ドローンを進めるよ?』


「PPP反応はあるのよね?」


『うん。たぶん、海の中』


 僕らの無駄話を無視してミライとエフテが状況を動かす。


「サブリ、水中戦用の武装は?」


「ウォーターガンはあるけど、EMP対策で考えれば、炸薬式の銛と槍ね」


「どう違うんだ?」


「銛は鉤付の300ミリ長、こいつを撃ち出すの。50連装射出式。槍は、まああれよ、ストローク式のパイルバンカー」


 ネタ装備だが、エイジス用にも作ったのか。


「中、短距離の銛と、近接の槍か」


「うん。銛は手持ちの銃で、槍は腕に装備するんだけど、反動が取りきれなくてね、槍は10発程度で関節がダメになる」


「剣は?」


「水中じゃ振れないよ。刺突するにも水の抵抗があるから厳しいね」


『距離100』


 ミライの声にモニターを注視する。

 三つ首の犬が頭を持ち上げ、おなじみの火球を放つ。

 ほぼ同時、三発の火球を避けきれず、斥候のドローンは海の藻屑と消えた。


「EMPは?」


「電子系に異常なしよ」


「あたしたちにEMPは効かないって理解できたのかな?」


「その判断は早計よ。EMPがある前提で動きましょう」


「あいつとどうやって戦う? 足場は狭すぎるし簡単に近づけるとも思えないが」


 そもそも、スキュラはあんなところで何をしているんだろう。

 ……そんな意味を考えても仕方ないか。

 お前はなんのために生きている? って聞かれたって答えようがない。


「フライヤーはEMPの懸念もあり不可。ボートは機動性に難があり不可。よって訓練通り、アルゴー号の上部にエイジスを展開し侵攻するわ」


 二列縦隊による二体同時対応。

 アルゴー号の防御力に依存した強攻策だ。


「投石とかされないかな?」


「オークの棍棒みたいな質量飽和攻撃でも食らわない限り、エネルギーフィールドで、ある程度の物理攻撃までは防げるから大丈夫!」


 慣性制御や重力制御の派生技術でもある船の防衛機能は、乗り込まれ、直接の物理攻撃でもされない限り高い防御力を誇るらしい。

 制限されていた船のほぼ全ての機能を掌握したサブリは水を得た魚のようだった。


「もう一体の動向が読めないけど、まずはやってみましょう。作戦開始は明朝8時。それまでしっかり休憩しておいてね」


 体は小さいが、頼れるリーダーの大きな声が操縦室に響き渡る。

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