第6話 ふたりの秘密
よろしくお願いします、と頭を下げると、村の人たちはにこやかに何度も腰を曲げる。しかも揉み手をしながら。これ以上のない歓迎に、僕はとても恐ろしかった。
隣でへらへら笑う先生は、何を思うのだろう。
案内された部屋は、期待通りの和室で、必要なものは一式揃ってある。ふたりで住むには大きすぎる。誰かに見張られているみたいに、落ち着かない。
「新婚生活みたいだね」
「良い部屋ですね。お風呂どこだろ」
「新婚生活みたいだね!」
「二回目ですよ」
「あれ? 返事がなかったから聞いていないかと思って」
「よく平然と過ごせますね。盗聴器がないかとか、妙に心がざわざわします」
「大丈夫だって。千夏は心配しすぎ」
数日分の食料を冷蔵庫につめながら、先生は答える。買い物は荷物持ちをするくらいで、ほとんど彼に任せた。料理のできない僕からしたら、余計な口出しは失敗をもたらすと分かっていたからだ。
「さてと。これからすることといえば、まずは探検だ。僕が思うに、この屋敷は秘密結社の集まりなんだ。ゆえに、隠し通路やダンジョンがあるね!」
「…………へえ」
「あっなんだいその顔は。離れに人がいて、これだけ大きな建物なんだ。出入り口は、一箇所のみっておかしいと思わなかった?」
「もしかして、この前の話……?」
僕は驚いて顔を上げると、彼は遠くを見据えていた。
「しかも山奥だ。土砂崩れだっていつ起きてもおかしくない。普通なら逃げられるようにいくつも外への通路を造っておくものだ」
「ってことは……」
「出入り口は一つだけだと断言したのは、見てほしくない、入られたくない場所があるってこと。しかも普通に見ては入り口かどうかも分からない造りになっているかもね」
先生はデジカメを確認し、ポケットに入れた。
襖がかたかたと音が鳴り、僕らは一斉に音のする方を向く。
「失礼します」
和服姿の華奢な女性が立っていた。くせっ毛の髪を上でまとめ、長い睫毛をぱちぱちさせる。誰が見ても美人だ。
「本日、ご案内をさせて頂く近江と申します」
先生は面食らった顔をして、すぐに笑顔を取り繕う。
「近江さんね。よろしく。俺はクリストファー、こちらは相田君」
「失礼ですが、名字がクリストファーさん?」
「あー……、じゃあクリスって呼んでよ」
「かしこまりました」
名字ではなく名前で呼ばせようとする彼に、ちょっとかちんときてしまった。何の関係もない僕がそんな感情を抱くなんて、間違っているけれど。しかも距離が近い。二重にイライラ。
それでも態度が悪くならないよう、精一杯の笑顔で対応する。笑顔は疲れる。
「……君、近江さんみたいな綺麗な人がタイプなの?」
「何言ってるんですか」
「だってずっとにこにこじゃん」
先生はぷーっと頬を膨らませる。成人男性がやっても可愛くないけれど、先生は可愛い。
「でもどうして案内? 別に必要ないのに」
「慣れていらっしゃらないかと思いまして……村長に頼まれました」
「せっかく来てくれたんだしお願いしようかな」
先生は僕の腰を引き寄せた。
何を考えているんだと彼を睨むが、どこ吹く風だ。
払いのけたいのに、内心では喜びの舞を踊る小さな僕がいる。舞に逆らえはしない。黙って踊らせていよう。
「それじゃあ、行こうか」
近江さんを先頭に、先生、僕と続いた。
少し歩いただけで木板がぎしりと鳴らす。昨日初めて足を踏み入れたときは、板の傷みにより鳴るものだと思ったが、どの板を踏んでも同じ音が鳴る。
無意識に手を掴んでしまい、慌てて離した。
「どうしたの?」
優しい声に、すべてを委ねたくなってしまう。怖くないといえば嘘になる。彼は僕とは違い、飄々として恐怖が抜け落ちたようだった。
「いいよ、手を繋ごう」
「で、でも……」
「ほら、いいから」
繋いだ手は暖かく、誘惑に負けてそのままにしておいた。
昨日も来た史料のあるスペースへやってきて、近江さんがガラスケースの中の説明をしてくれる。
「これは?」
「慰み物です。江戸時代から存在していると言われています。儀式とは関係ないかと思いますが……この地で発見されたものでして、こうしてガラスケースの中に飾っているんです」
男性性器を形どったものが、何種類か飾られていた。太い棒に、先がキノコのように盛り上がっている。それぞれ長さや太さが異なるが、どれもグロテスクだ。
せっかく繋いだのに、彼は僕の手を離した。そして近江さんの近くに距離をつめ、ガラスケースの中のものの説明を求める。
今初めて会ったのに、なんだか距離感が近い。それに親しそうだ。
先生は何枚かカメラに収め、次に行こうと促す。そして、離された手はまた繋がれた。
近江さんの視線が怖いので、ガラスケースにある性具を黙って見ていたら、
「興味ある?」
「ええ?」
「ずっと見てるから。今度買おうか?」
「何言ってるんですか、もうっ」
「もう、だって。ふふ、可愛いなあ」
昨日から、この人は頭のネジがぶっとんだのではないか。
「なになに?」
「熱あります? 僕の体調の悪化が移ったんじゃないかと思って」
おでこに手を当てると、先生はもっとしてと言わんばかりに頭を押しつけてきた。なぜか息遣いも荒い。
「先生……やっぱり熱あるんじゃ……」
「いつだって君に熱を持ってるよ。そろそろ名前で呼んでほしいなー」
しゃがみ込んでしまった。図体のでかいただの子供だ。
「……行きますよ。クリス」
垂れていた尻尾をぶんぶん振り回し、急に抱きついてきた。衝撃で僕もろとも床に転がり、床がごおおんという響く音を奏でる。
「うれしい。ずっとクリスって呼んでよ」
そういえば、クリスと呼ぶのは初めてかもしれない。
この業界で再会してからはずっと先生だ。学生の頃は、呼んだ記憶がほとんどない。呼ぶ妄想なら数多く。
上機嫌と棘のある態度を合わせ持ち、部屋を移動するたびにクリスは近江さんへ質問を繰り返す。近江さんも分かる範囲で答えていくが、ときどき口を窄めるのが気になった。
質問の答えが分からないというより、答えを選んで話している。失言を避けているように見えた。
にしても。儀式で使用するような大穴なんて、あるように見えない。どこかに隠し部屋があるとクリスは踏んでいるが、それらしきものも見当たらない。
「そちらは関係者以外立ち入り禁止です」
隣のドアノブを開けようとしたら、近江さんに制止されてしまった。
「ダメなんですか?」
「はい。それに鍵がかかっています」
好奇心が勝ってドアノブを回してみるが、金切りの音がなって、かなり老朽化していると見える。
なけなしの勘がここかもしれない、と反応する。
怪しいと思ってクリスを見ると、彼は僕を見ていなかった。
ずっとずっと、まるで僕の存在なんていないかのように、近江さんを見つめていた。
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