Real World:地面を見つめると世界が広がります
こんこん。
弟の部屋のドアを、ひかえめにノックする。
はーい、と中から返事が聞こえたので、ドアを開けて突入した。
「……なんだ、姉ちゃんか」
勉強机に座っていた弟の
なんだ、とはなんだ。
あなたの尊敬すべきお姉ちゃんだよ?
「弟よ、勉強しているようだな? ケーキでも食うか?」
手に持ったお盆を掲げながら、私は尊大な態度で言った。
お盆の上には、さっき淹れた紅茶とよくわからないチョコのケーキが乗っている。
名前はなんだったかな?
土木工事、みたいな名前だった覚えがあるけど。
「珍しいね、どうしたの?」
「私がバイト帰りに買ってきた」
いまの時刻は、午後九時を少し過ぎたぐらい。
アルバイトで疲れた帰り道に、ちょっと遠回りをしてお洒落なケーキ屋さんに寄ったのだ。
「それも珍しいね」
「なんだ? 私が普段はしみったれてるみたいな言い方をしないでくれる?」
家族にケーキを買ってくるぐらいのこと……まあ、あんまりないかもしれないけど。
「ごめんごめん。あれ、姉ちゃんの分は?」
「お父さんとお母さんといっしょに食べた」
私以外の三人は先に夕食を済ませていて、アルバイトがあった私の遅い夕食に合わせてケーキを食べたのだ、莉央以外で。
「……ちなみに、みんなはなにを食べたの?」
「お父さんは抹茶のモンブランみたいなやつ、お母さんは季節のフルーツタルト、私はイチゴがいっぱいのショートケーキ。それで、この残った地味なケーキがあなたの分」
美味しかったな、イチゴの酸味がクリームとちょうどよく合っていて甘すぎなくて。
お父さんとお母さんからも少しずつもらったけど、どれも当たりだった。
「……せめて、姉ちゃんは俺に選択肢を残してくれよ」
「文句があるなら、私が食べるけど?」
一日にケーキを二個も食べるなんて外道、私は歩みたくないのだけれど。
弟が文句を言わない真っ当な人間に育つためならば、致し方あるまい。
「いやっ、もらうもらう」
慌てて差し出された莉央の手に、お盆を乗せてやった。
「ありがとう」
「いえいえ、私が汗水を流した労働の結晶だから、しかと味わうことね」
なんか美味しくなさそうと言いながらも、莉央はケーキを食べる。
顔がほころんでいるから、その地味なケーキも当たりだったようだ。
「……ひと口食べる?」
莉央が食べているのを眺めていたら、いやしい人間だと思われたらしい。
まあ、くれるというならもらうのもやぶさかではないけれど。
「もぐもぐ……ねえ、今日も筋トレするの?」
もらったケーキをもぐもぐしてから、莉央に聞く。
「うん、これが終わったらになるけど」
机の上には勉強道具が広げられていて、意外と綺麗に書かれたノートもある。
学校の定期試験が近づいていて、本格的に勉強をやる気になったのかな。
「えっと、あの、ね……」
言いよどむ私を見て、不思議そうな顔をしている莉央。
いや、恥ずかしいことではないはずなのだけれど。
「私も、筋トレしたいな……」
意を決して言葉を紡ぐと、私の弟はぽかんと口を開けて唖然としていた。
そうだよね、いままで私は筋トレしている莉央を珍獣のように見てきたものね。
「あの、現実で身体を動かしておけば、『テイルズ』の世界でもよく動けるはずでしょ? だから、いっしょにやらせてほしいかなーって……」
「いや、それはいいけど、急にどうしたの?」
びっくりした顔のまま、莉央は私に問いかけてくる。
黙って姉の筋トレを手伝えと言ってもいいけど、素直になるのも弟を操る上では意義深いことだ。
「あのね、今度PvPのイベントがあって――」
シキミさんにリベンジするという話を真剣に聞いてくれて、できる限り協力するとも言ってくれた。
やっぱり、私の弟はいい弟だなぁ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなたっ、ゲームのためにこんなキツいことしてるの?」
「いや、俺はそこから腕立てする」
「はっ? なに言ってるの、意味がわからないっ!」
「だから、姉ちゃんは逆立ちまででいいって。というか、まずは一人で逆立ちできるようにならないと」
「なによっ、その手を離しなさい! 補助がなくても大丈夫なんだからねっ」
「わかった、わかったから暴れるな……って、なんでそっちに倒れる!?」
「ちょっと、どうして離すのぉおお――きゃっ!?」
「ぃぎゃーっ! お、俺の部屋の壁がぁぁぁあ!」
「……えへへ、やっちゃった?」
この後、二人でお父さんにめちゃくちゃ怒られた。
逆立ちの練習をしよう、私はそう思いました。
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