Tale13:かかる毒牙は深く食い込みます

 右耳が、消えていた。


「ぁえっ? みっ、ぅあつっ……!」


 待て、わかっている、落ち着け。

 ここはゲームの世界。

 そこで、私の耳は、欠損の状態異常を受けた。


 目の前の男――シキミが、手にナイフを持っている。

 まったく見えなかったが、それで攻撃してきたんだ。


 確かに、痛い。

 でも、ゲームの仕様によって痛みは抑えられているため、我慢できないほどではないだろう。

 早く、こいつに対処するために体勢と呼吸を整えるんだ。


 頭の中の理性的な部分が、そう呼びかけてくる。

 しかし、現実の常識が、その認識を阻害する。

 耳を失ったら、血が出る。押さえなければならない。痛い。痛い。当たり前だ。


「ぷにゅにゅ!」


 私の手をすり抜けて、スラリアが地面に降りる。

 そして、私を守るように、シキミとの間に立ちふさがった。


 スライム強化……でも、ダメ。

 早く、ここから逃げてっ。


 なんとか、スキルをかけることはできた。

 しかし、逃げるよ、という言葉を形成するには、心臓の鼓動が激しすぎる。


「へえ、本当にプレイヤーなのか」


 そのとき、言葉とは裏腹にまったく驚いた様子も見せず、シキミが言った。

 無防備に立つ姿に、いま攻撃すればなんとか、という考えが頭を過ぎるが。


「っ!」


 シキミが静かに微笑むのを見て、私の思考は恐怖に染まる。

 やだ、こわい……無理、なに、なにがしたいの……?


「このゲームは、NPCに攻撃することはできない」


 聞いてもいないのに、シキミは喋る。

 淡々とした語り口調が、逆に恐ろしくて仕方がない。


「連続してPKすることも、禁止だ。よって、ターゲットは絞らなければならない」


 やれやれ困ったものだと言わんばかりに、シキミは肩をすくめて首を振る。

 PKってなに? ターゲット?

 こいつは、なにを言っているの?


「ぷにゅっ!」


 スラリアっ、待って!

 心では叫んでいても、声が、出ない。


 隙があると見たのか、スラリアはシキミに向かって跳びかかった。

 しかし、シキミは避ける素振りも防ぐ素振りも見せない。


 倒せるのではないか――そう思った瞬間、辺りに金属がぶつかり合うような鈍い音が響いた。

 その衝撃に、刹那の間、目を閉じる。

 そして、開ける。


 スキンヘッドの大男が、持っていた巨大ハンマーを地面に振り下ろした状態で静止していた。

 ハンマーと地面の間からは、淡い光が漏れている。


「やめろっ!」


 なにが起こったのか、頭が理解する前に、身体が前に動き出す。

 おそらく、シキミに攻撃を仕掛けたスラリアを、横からスキンヘッドがハンマーで。


 私は右手を振りかぶって、スキンヘッドの無表情な横っ面を殴りつけようとした。

 しかし、その寸前に、私の手首が何者かに掴まれる。


「ぁぐっ!」


「その点、君は最高だ」


 シキミが、ナイフを持っていない方の手で私の手首を掴んで持ち上げていた。

 ついでのように、なんの躊躇もなく剥き出しの私の腿にナイフを突き立てる。


 痛い。現実だったらと思うと、ゾッとする。でも。


「よくもっ……!」


 掴まれた手首を支点にして身体を持ち上げ、シキミの顔面にナイフが刺さっていない方の膝を入れる。

 手応えならぬ脚応えがあった。


「女神の見た目で、最弱のテイマーに、最弱のスライム」


「っ!」


 だが、しっかりと膝蹴りが当たったはずなのに、シキミは平然としていた。

 そして、無雑作に私を放り投げる。


「きゃっ!」


 身体で農場の柵を薙ぎ倒しながら、私は地面を滑るように転がった。

 意識が飛びそうになるが、なんとか堪える。


「はぁ、ぅっ、はぁ……」


 切り落とされた耳が、掴まれた手首が、刺された腿が、いやもういろいろな箇所が、悲鳴を上げていた。

 満身創痍で、指の一本も動かすことができない。

 このまま、目を閉じてしまいたくなる衝動が沸き上がる。

 でも、できない。スラリアが、まだ。


 シキミはゆっくりと愉しむように、私に歩み寄ってくる。

 その後ろで、スキンヘッドのくそ野郎が地面からハンマーを持ち上げているのが見えた。

 そこに、スラリアの姿は、ない。


「ぁっ……ぅぐっ、ぅぁっ……!」


 溢れた涙で、視界がゆがむ。

 スラリアの姿を探そうとしても、これではできない。

 でも、わかっていたことだった。でも。しかし。


「この世界がゲームだという意識も薄い……あぁ、本当に最高じゃないか」


 シキミの、気持ち悪い恍惚の感情とともに、冷たいナイフの雨が、脚に、お腹に、頬に、浴びせられる。

 斬られて、取られて、入れられて。

 痛いのか熱いのか眠いのか悔しいのか、わからなくなる。


 ああ、そうか。

 ログアウト、すればいいのか。

 それに思い至った瞬間に、ナイフが私の両目を横切る。


「なかなか楽しめたよ。またよろしくな、女神様――」


 私の視界は、一瞬のうちに、暗く閉ざされた。

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