第11話 鏡の中の犬と伸びる爪

 お父さんとのお風呂を終えると、タオルで拭かれて、台所に連れて行かれた。

 午後五時前と時間的に少し早いけど、晩ご飯のようだ。

 お母さんが皿に用意してくれた犬用の晩ご飯は、何故か切り身の魚を焼いたものだった。


(ま、タダ飯なら、これが普通かな)


 リビングの方からエイミー達家族の楽しそうな会話が聞こえてくる。

 湖で釣ったばかりの新鮮な焼き魚を台所で一人寂しく食べ終えた。


「お待たせ、チャロ。私の部屋に行こう」

「ワン!」


 しばらく台所で待っていると、食事を終えたエイミーがやって来た。

 元気に鳴いて、尻尾を振りながら、階段を上って付いて行く。

 待っている間は暇だったから、二階を見学しておけばよかった。


「右側が私の部屋で、左側の部屋がお父さん達の部屋だよ。勝手に入ると怒られるから入ったら駄目だよ」

「ワン!」


 二階の中央に階段があり、左右に二つずつ部屋があるようだ。

 四つの扉が見える。その中でエイミーの部屋は右上に位置する。

 二階の中央に大きな窓、左右の廊下の先に小さめの窓がある。


 それにしても、ちょっと吠えるのが面倒になってきた。

 でも、吠えないと無視しているみたいで悪い気がする。

 もうちょっと意思疎通が出来る簡単な方法がほしいよ。

 

「さあ、今日からここが私とチャロの部屋になるからね」

「ワン、ワン、ワン!」


(女子部屋だ! 女子部屋だ! 女子部屋だぁー!)


 部屋に充満する女子の匂いを思いっきり吸い込んで、大喜びで部屋の中を転げ回った。

 女の子の部屋に入ったのは生まれて初めてだ。

 母さん、男の子に産んでくれて、ありがとうございます。


 床には赤色で模様が描かれた白い絨毯が敷かれている。

 二つの窓があり、窓の近くにベッドと机が置かれている。

 机の上には綺麗な陶器の小物入れが置いてある。

 他にもソファー、タンス、本棚、壁にかかった大きな鏡がある。


「あっははは。チャロ、そんなに嬉しいの? こっちにおいで」

「ワン!」


 エイミーが濃い赤色の柔らかそうな横長ソファーに座って、手招きして呼んでいる。

 元気にソファーの上にジャンプして、空いている空間に着地した。


「チャロは可愛いね」

「クゥ~ン」

「明日からはクエストを一緒に頑張るんだけど、まずは首輪を付けないと野良犬だと思われて、誘拐されそうだね」


 背中を優しく撫でながら、エイミーは話しかけてくる。

 まあ、犬に話しかけている時点で独り言みたいなものだ。

 俺はヌイグルミみたいに大人しく聞けばいいと思う。


「はぁ……お父さんとお母さんには、ああ言っちゃったけど、チャロは戦闘向きじゃないから、採取系のクエストを頑張らないと。でも、戦闘能力が高くないと昇級しにくいし……」


 プニプニとエイミーは悩み事を言いながら、俺の背中を指で突いてくる。

 エイミーの悩み事は俺が弱いというものだった。

 お父さんのウォーカーが冒険者5級なので、エイミーはそれを超えて見返したいらしい。

 つまり、俺がベアーズみたいな巨大熊になれば問題解決だ。

 でも、出来るのは麦わら帽子を被る事だけです。


「とりあえず、お父さんと同じように最初は弱い魔物から始めて、少しずつ強い魔物と契約するしかないよね。それまではよろしくね、チャロ」

「ワゥン?」


(それまでは?)


 エイミーはソファーから元気に立ち上がると、俺の右前足と両手で握手してから、机に向かっていった。

 なんだか、期間限定の契約のように聞こえた。

 もしかすると、新しい魔物と契約したら、古いのは捨てられるのだろうか?

 エイミーは取っ替え引っ替え、魔物と契約するような軽い女なのだろうか?


(う~ん、よく考えたら、エイミーの事は何も知らないな)


 出会って、半日程度だから何も分からないのは当然だ。

 しかも、自分の事も全然分かっていない。

 ソファーから下りると、部屋の中を見て回る事にした。

 まずは鏡で逃れられない現実を受け入れる事にしよう。


(うわぁっ⁉︎ 足みじか! 尻尾みじか! 全然可愛くないよ! 小デブ犬だよ!)


 鏡の前には薄茶色と白色の二色の小型犬が映っている。

 全体的に白い部分が少なく、口周り、胸周り、前足は肘から下、後ろ足はスネの下だけだ。

 大きめの茶色い耳は垂れているし、短い丸々尻尾は、ウサギの尻尾の方がまだ大きい。

 完全にハズレだ。こんなの耳の垂れた太ったウサギと同じだよ。


 はぁ……こういうのが女子には可愛いく見えるんだろうな。

 一応、お母さんとエイミーには好評みたいだから我慢しよう。

 我慢するしかないんだから。


 気を取り直すと、女子部屋探索を再開した。

 部屋の中は花の匂いがする。特に机の上の陶器の小物入れから強い匂いがする。

 外に花壇があったから、あの花を使って香水でも作ったのか、市販品を置いているのかも。

 流石は女子部屋だ。


(本棚は童話と魔物に関係した本ばかりだ。テイマーの勉強用かな?)


 ふぅー、これで女子部屋の探索は終わりでよさそうだ。

 あとはエイミーが机で何を書いているのか調べてみよう。


「クゥーン、クゥーン」

「どうしたの、チャロ?」


 椅子に座っているエイミーの足に頬摺りして、甘えた声で鳴いてみた。

 すぐに抱き上げて、膝の上に乗せてくれた。

 でも、この位置だと何を書いているのか分からない。

 なので、短い後ろ足を伸ばして、膝から机によじ登った。


 机の上には羽ペンとインク壺があり、縦十八センチ、横十四センチのノートが広げられている。

 薄茶色の紙には細かな文字がビッシリと書かれている。


「もしかして、何しているのか気になったの? これは日記だよ。今日、起こった事を書いているんだよ。もちろん、チャロの事も書いているからね。ほら、これがチャロって名前なんだよ」


 机の右端に座って、ノートを見ていると、エイミーが親切に教えてくれた。

 そして、右手の人差し指で日記帳に書かれたチャロという文字を指して教えてくれる。


(あっ、大丈夫です。日記の内容は全部分かっています)


 エイミーには悪いけど、ここ数日間の出来事は全て分かった。

 契約しようとしたスライムが爆発した事も分かった。

 魔物と全然契約できないから、テイマーをやめようと思っていた事も分かった。

 狙っていた栗鼠の魔物と契約できないから、妥協してスライム洞窟に来た事も分かった。


 でも、この手があった。言葉は喋れないけど、文字なら書けるかもしれない。

 むしろ、書く事が出来れば意思疎通が出来るようになる。

 羽ペンを握るのは無理でも、土の地面に前足で文字は書けそうだ。


「チャロ、もう寝るの? 駄目だよ、キチンと歯磨きしないと」


 机から飛び降りると、絨毯の上に寝転んだ。

 明日、冒険者ギルドに行くみたいだから、その時に挑戦だな。


 ♢


「チャロ、おはよう。朝だよ」

「早いよぉ……」


 木の籠の中に毛布を敷いたベッドで寝ていると、エイミーが起こしにきた。

 身体を撫でられ優しく起こされたけど、まだ眠たい。

 犬に出来る事なんてないんだから、起こすのは朝ご飯が出来た後でいいです。


「ほら、散歩だよ。朝は湖の周りをジョギングして体力を鍛えないと」

「クゥ、クゥーン……」

「ダメダメ。チャロのお仕事は強くなる事だよ。ジョギングの後は湖を泳いでもらうからね」

「クゥーン、クゥーン!」

「さあ、行くよ」


 可愛らしく鳴いたけど、駄目なものは駄目だった。

 過酷な肉体改造をする為に、無理矢理に家の外に連れて行かれた。


「グオオ! ガアッ! グガアアア!」

「そうだ! 殺す気で掛かって来い!」

「えっ……何、これ?」


 何故だか、家の外の広い庭で上半身裸のお父さんがベアーズと殴り合いをしていた。

 エイミーが気にせずにジョギングを開始したので、俺も気にせずに後を追いかけた。

 殴り合いに参加するよりはジョギングの方が健康的だ。


 それにしても、早朝の魔物の雄叫びはご近所迷惑でしょう。

 お父さん、昨日のお風呂で言ってた事とやっている事が違うよ。


「はぁ、はぁ、はぁっ……」


 前を走るエイミーの青と赤の縦縞スカートを追いかける。

 早朝に女の子と二人っきりでジョギングするなんて夢のようだけど、どう見ても犬の散歩だ。

 

 それにチャンス到来だけど、地面が固い。

 サラサラの砂の地面なら、文字を上手く書けそうだけど、踏み固められた土の地面は難しい。

 石ころを集めて並べるのは難しいし、時間がかかるし、せめて爪が伸びればいいんだけど。


「んっ? えっ? 伸びていく⁉︎ どうして、どうして⁉︎」


 そんな事を考えながら、地面に寝そべって、右前足を伸ばして、五ミリ程の爪を見ていた。

 すると、五本の白い爪がどんどん伸びていって、九センチぐらいで止まってしまった。


「凄い! 嘘、凄い!」


 地面を五本の爪で引っ掻くと、五本の線が簡単に付いた。

 これは大発見だ。左前足の爪も伸ばす事が出来た。

 しかも、長さも調整できるし、一本だけ伸ばす事も出来る。

 

「何だよ! 分かっていたら、スライムも化け猫も簡単に倒せたのに」


 簡単には微妙だけど、倒すのには役立ったと思う。

 特にスライムには絶対に役に立った。


「もぉー、チャロ! 走らないと朝ご飯抜きにするよ!」


 俺が走らずに地面に座っているから、怒ったエイミーが引き返してきた。

 サボっていた訳じゃない。それにチャンス到来だ。

 素早く地面に爪で文字を書いてみた。

 きっと、怒るのも忘れて、驚いてくれるはずだ。


 ♢

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る