一荒に新ためる・昊
けれど、奇乃の足はもう地面に付いていなかった。
最初の蹴りの勢いで体を空中に持ち上げて、奇乃は反対の足を実景の腹目掛けて突き刺す。
実景は二発目の蹴りも掌底で正面から防いだが。
奇乃は最初の足を上から下へと振り下ろしていた。
実景はサッと滑るように退がり、奇乃の爪先を躱す。
その隙間を、奇乃は地面に付いた両手でタップを踏み、詰める。
奇乃の両足がプロペラのように回って交互に実景へと降り注いだ。
実景は蹴りの連撃を拳で、手刀で、掌底で、肘で迎え撃つけれど、奇乃の脚力で繰り出される勢いを相殺しきることは出来ず、足が地面を削りながら後退を余儀なくされる。
奇乃は足を止めない。いや、止められない。
奇乃の腕力をしても、天地逆転して自分の体重を支え続けることは不可能だ。
蹴りを打ち込む遠心力で自分の体重を引きずりながらでないと、足を地面に返さず逆立ちのままでいるなんて出来ない。
奇乃はコマのように回りながら、実景の防御を休ませず、体力を削っていく。
実景が後ろに押されながら、退く足で地面を打った。
震脚。
地面の身震いを、奇乃は両手で跳ねて避ける。
完全に宙に浮いた体を狙われる前に、奇乃は両足を揃えて実景の胸へ放つ。
実景は腕を交差させて重い蹴りを防ぎ。
腕を前に押し出して、奇乃の足を起点に体を跳ね返した。
運動モーメントの向きをずらされた奇乃は、無理に抑え込んで体勢を維持しようとすれば転ぶと自覚して、バク転を挟んで体の天地を戻した。
その着地点に、実景は既に踏み込んでおり。
その動きを読んでいた奇乃も腰を回し、肩から右手を押し出した。
二人の掌底が互いの胸を捉え。
奇乃は掌に、ふにりと柔らかい感触を得て、手元が歪み。
実景は掌に、肋骨の合わせ目を確かめて、勁を発した。
奇乃の体は諸に力を受けて吹き飛び、背後にあった木にぶつかって折れた幹とその枝に巻き込まれて埋もれた。
実景は奇乃の触れた胸に手を当てて、荒く息を繰り返して、異常なまでに
「……その胸部装甲、卑怯ですわー」
土煙も立ち上って視界が隠された中から、そんな不満の声が実景に寄せられる。
「いや、その……普段は肩が凝って困るんだよ?」
「持たざる者への嫌味でしてよ」
そんな不平と一緒に、奇乃は自分の体がぶつかって折れた木を、実景に向けて投げた。
その軌道は槍の如く、その断面は無数の杭の如く。
まさしく凶器として実景に迫る。
実景は遠当てを一つ放ち、迫る幹に亀裂を与え。
連続して遠当てが奔り、実景の目前で真っ二つに梢まで裂けた。
結局、木の幹は実景を避けて左右に反れる。
そして奇乃は実景の鼻の先まで既に縮地していた。
さらに、実景の髪を掻き上げる風を残して、奇乃は姿を消す。
無防備な実景の延髄に向けて、奇乃の踵が落とされた。
実景の視界が一瞬、ブラックアウトする。
しかし、実景はすぐに意識を取り戻し、倒れようとする体を、踏み込みで支える。
正面のフェイントから背後に回った奇乃は、即座に地を蹴って距離を取る。
奇乃は縮地で離れ、接地の足で震脚を放つ。
敢えて実景本人は狙わず、周囲の地面を打ち抜いて崩し、土煙を巻き上げる。
実景は跳ね回る奇乃の軌道を目で追いながら、視界を潰されるのを避けて、忙しなく立ち位置を変える。
今、実景の右で地面が吹き飛んで。
実景の視線がそちらに流れた瞬間に、奇乃の蹴りが反対から飛び出して来た。
実景は咄嗟に畳んだ腕を差し挟み、蹴りを受ける。
実景が腰を回して正位置に体を相対しても、もうそこに奇乃の姿はなかった。
今度は、実景が背にした方から、木が倒れてきた。
実景は左拳を外に向けて振るい、幹を受け流す。
その腕が開いた正面に、奇乃が膝を突き出して飛び込んできた。
実景の胸に、揃えた両膝が食い込む。
「あぅふっ!」
奇乃の膝蹴りは、実景の気道から空気を押し出した。
しかし、実景はただ攻撃を受けるだけではない。
競り上がる膝が、奇乃の腹に食い込んだ。
「がっ!」
奇乃が微かに胃液の混じった唾液を地面に溢す。
がちりと歯を咬み合わせて、奇乃は髪を振り乱して実景を睨む。
奇乃は両手を組んで、槌のように実景の頭を打ち抜いた。
実景の頭が傾ぎ。
奇乃の後頭部が掴まれた。
奇乃が振り解く間も与えず、実景は右手を振り下ろして相手の顔面を地面に叩きつけた。
奇乃は、額を前に出し、そこを地面に打ち付けることで顔の繊細な部品を守る。
地面は奇乃のヘッドバンドを受けて、亀裂が入った。
その罅割れが、運良く、或いは運悪く、実景の足を滑らせて追撃を阻んだ。
奇乃は起き上がるついでに、腕を払って実景の足を刈った。
実景は踏鞴を踏み、しかし奇乃が地面に付いて支えにした方の手を踏んで押さえる。
奇乃は無事な方の腕を、手を踏む実景の足に絡ませて、体も密着させて引っ繰り返そうとするが、やはり力では敵わない。
足への痛みがないくらいまでは押し返せても、実景の足は奇乃の手と地面を縫い付けて離さない。
けれど、実景も足に体重をかけるので精一杯で、お互いに動きが停まる。
二人の汗が地面に落ちて、染みになって混じり合う。
奇乃は全身に力を込めながら、一息吐き。
実景の足に咬み付いた。
実景は冗談でなく肉を食い千切られそうな痛みに、急いで奇乃の頭を押し退けようと腕を伸ばす。
そうして実景の足の力が緩んだ隙に、奇乃は手を逃がした。
奇乃は肘を実景の腹に叩き込み。
その腕を振り払って拳で下顎を打ち。
宙を舞う腕を引き戻して横隔膜に掌底を叩き込んだ。
水のように流れる三連の動きを全て喰らって、実景の視界が
けれど、意識を叱咤する気力も。
体勢を正す体力も。
実景にはもう残っていなかった。
奇乃の体もふらついている。
足は交互に地を離れて、体が左右に揺れるのに合わせて、腕も撓っている。
実景は気を抜けば今にも倒れそうな心地がして。
奇乃は存分に体を解し、全身を気が巡る勁を滑らかに徹した。
先に奇乃の右手が、実景の肋骨に柔らかく触れた。
ついで左手が遅れてやってきて、肝臓の上に置かれる。
実景の脳が危険信号を発したのは、余りにも出遅れていた。
奇乃が弛緩させていた全身の内、真っ先に足の発条から弾いた。
震脚が、実景の位置を固定させる。
その反動は奇乃の足から競り上がり、淀みなく走り、両腕と気道へと三路に別れて進む。
奇乃が溜め息のように緩く、その勁を口から逃がし。
両手の終着は一部の隙も逃さず、実景の体へと浸透させる。
最後に、奇乃は腕を、肘を弾けさせて、合間の筋肉を鞭打ち、衝撃を叩き込む。
奇乃の両手に支えられて、実景の体が持ち上がって、足は宙に浮いた。
奇乃の送った力は沖波のように緩やかに持ち上がり、実景の体の中で捲れる。
けれど、それは津波の如く。
奇乃は威の大部分を実景の体を透過させて、背後の空へと逃がす。
力の氾濫は、雷の如く大気を吹き飛ばして轟音を鳴らし、空に浮かぶ雲を揮発させ。
ほんの僅かに実景を抱いた力の波は、ざぶん、と彼女の意識を優しいまでに呑み込んだ。
地面にゆったりと沈む実景の全身を、まだ黄金に色を欠けさせた
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