雨点す瞳

 地図アプリで駅近くにあるカラオケを検索してあった奇乃あやのは、実景みかげの手を引いてすたすたと人の波を掻き分けていく。


「地方都市のターミナル駅前って、どこも東京と大差ありませんわねー」


 奇乃は、ビルにえる夏の日射しを手庇で避けながら、ぼやいた。


 顔を上げれば必ず山が目に入るような田舎が地元の奇乃にとって、とても人工的で人為的なビルの街並みは、正直に言って面白みに欠ける。


「え、奇ちゃん、東京にも行ったことあるの?」

「新幹線の移動で立ち寄りましたから、見るだけ見ておいただけですわー」


 しかし、奇乃の興味を基準に言えば、東京はちっとも心惹かれない街だった。


 あんなに人がいたら、決闘で吹き飛ばしたり吹き飛ばされたりしたら通行人にぶつかって問題になるし、警察だって簡単に呼ばれてしまうし、通り過ぎるだけで十分だった。

 奇乃の眸に留まる強者がいないではなかったけれど、地方で道場を開いている人の方が更に強いので、足を止めるには不足なのだ。


「それより、カラオケは何時間取りますの?」

「え、時間?」

「時間ですわ。実景ちゃんの好きになさいませ」

「えっと……普通はどれくらい歌うのかな?」

「それをわたくしに訊きますの?」


 奇乃はカラオケの滞在時間なんていつも人任せだ。

 二人で、他の友人を待つのに三十分だけ入る時もあるし、フリーで半日居座ることもあるし、長くても短くてもどっちでも良かった。


「そもそも、実景ちゃんは何曲くらい歌いますの?」

「……えと、うん?」


 自分のレパートリーすら把握できないずぶの初心者に、奇乃は空を仰いでしまって、太陽に目を焼かれた。


 日射しって、こんなに目に沁みるものだっただろうかと、奇乃は涙ぐむ。


 結局、カラオケは奇乃が受付をして、奇乃が機械の使い方を教えて、奇乃が実景でも聞いたことがありそうな流行りの曲を並べて選ばせ、奇乃が実景にマイクを握らせた。


 実景が歌うドラマの主題歌を聴くまでに、奇乃はすっかり疲れ果ててしまった。


「もしかしなくてもこれが全行程で繰り返されますの?」


 そんな奇乃のぼやきは、完全に履行される。


 クレープ屋の前では、実景はメニューを見詰めて固まり。


「これ、どれを選んだらいいのかな……?」

「食べたいのを選びなさませー。イチゴかバナナが王道ですわー」


 生クリームに包まれたイチゴにカラフルなチョコスプレーの振りかかったクレープを手にした実景はおどおどとそれを眺めて。


「ね、ねぇ、これ、どうやって食べればいいの?」

「上から被りつけばいいですわー。わたくしの食べてるの、見てますわよね?」

「こぼれないの!?」

「溢しているように見えまして?」


 ショッピングモールでは、実景は通路から一歩たりとも店舗の領域へ踏み出そうとしないで。


「た、高いよ……買いもしないのに、入ったら迷惑だよね……」

「……貴女、今までどうやって服を買ってきたんですの?」

「お、お母さんが送ってくれた」

「ですかー」


 普通に遊べばいいだけと思っていたのに、普通の振る舞いについて一から十どころかマイナスから教えないといけないせいで、奇乃はすっかり精神的な疲労が溜まって、ベンチに座り込んで顔を覆った。


「ご、ごめんね、わたし、なんにもわからなくて」

「初めては誰にでもありますわー」


 今日回ったところは、普通は小学生の内には初めてを経験するはずだという言葉は、奇乃の胸の内に仕舞われた。


 奇乃はベンチの背もたれにぐったりと寄りかかる。


 その横で俯く実景の顔は、当たり前のように暗い。


「ごめんね……全然楽しくないよね、こんなの」

わたくしがどうこうよりも、実景ちゃんが楽しんでない方が問題でしてよ。これ、実景ちゃんのお願いを叶えてるのですからねー」


 実景がハッとして顔を上げた。


 じっと見つめられて奇乃は瞬きを返す。


「実景ちゃんは、友達ほしいんでしょう? なら、一緒に遊ぶのも望んでたんじゃありませんの?」

「そ、そんなの!」


 そんなの、望んでたに決まってる、なんて言葉は、現状が情けなくて、実景の喉に詰まってしまっている。


 苦しげに喘ぐ実景を見て、奇乃は肩を竦めて見せた。


「出来ても出来なくても、望みは口にしていいと思いますのよ。実景ちゃんの好きな本にも、人を自分の言葉で幸せにするって願いを直向きに実現させようとしてる人がいたでしょう?」


 実景は、息を飲んだ。


 どんな立場にあっても、自分が人間だなんて思えなくても、誰からも理解なんてされなくても。

 自分が望んだままに生きればいいと。言葉にならない想いがあったら、その言葉を作ってしまえばいいと。

 自分は自分のままでいいんだと。


 その言葉を抱いて、誰にも負けないくらいに強くても、普通の女の子になってもいいだと背中を押されたのは、実景自身だったのに。


 おもくらんで、進むのも逃げるのも出来なくなって、握りしめた言葉も見失っていたのに。


 それを、奇乃が口にした。

 実景が大事にしている理念だと知って、ここに芽来めくらせた。

 そうだと判断できるくらいに、奇乃は実景のことを、実景が好きだと言っていたものを、知ろうと努力していたから。


 そして、実景は、友達になってくれるという事実だけを鵜呑みにして、奇乃のことを何も知ろうとしてなかったのを、思い知らされた。


 奇乃は確かに友達になろうとしてくれていて。


 実景はそれに浮かれて甘えていただけ。


「わたし、さいていだね」


 雨点あめともすように、冷たい声が実景の口から呟かれた。


「んーーーーー。慣れてなくて上手くいかないのを最低だなんて言ったら、新しいことはなんにも出来ませんわよ」


 でも奇乃は、実景がちっとも努力してなかったことを、あっさりと許した。

 間違いに気づいたなら、次は気を付けようねと寛大に未来を指差した。


 景胤かげたねの時と、実景の時と、奇乃は少しも態度を変えなかった。


 その美しい人柄に、実景は惨めな気持ちが溢れて涙へと結露させてしまう。


「今泣かれると、わたくしが泣かせたみたいですの」

「……ごめん、なさい」

「いいですけど。素直に泣いてみせられるのは、友情の証ですものね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る