第14話 小説教室に行った帰り道、カルトの活動を見学した話
随分昔の話になりますが、うちの地元のカルチャーセンターでは芥川賞受賞作家による小説教室が開かれており、ある日、私はその教室の1日体験講座のチラシを見かけたのです。これは是非行かねば! と思って参加することにしました。なんか面白い話が聞けるかなって思ったんですよね。お値段も高くなかったし。もう覚えてないですけど、先生の指導付きで3000円ぐらいだったかな。ワープアにとっては安い額なんてものは存在しないけれども、飲みにいくよりは安い。通年受講は予算的に無理だけど、体験講座ぐらいならなんとか。
その教室は、先生のお弟子さんたちも参加している教室だったようで、授業中はプライベートの話で盛り上がり、初参加の私は完全アウェーでした。さらに人見知りも発動してしまい、私は部屋の隅っこで気配を消して小さくなっておりました。怖い。もう帰りたい。
この教室では、原稿を持ち寄り、みんなで読んで生徒同士では感想を言い、先生はアドバイスをするというスタイルで、見せていただいたお弟子さんたちの原稿は力作ぞろいでチビるかと思いました。どこの新人賞を狙うとか、いやこれは持ち込みのほうがいいとかそんな話ばかり。怖い。この状況で自分の原稿なんか恥ずかしくて出せない! というわけで私だけ先生の指導は受けずに帰りました。私のいくじなし!
その講座では、先生が「本が売れなきゃ食っていけないんだよぉ!」と嘆いておられた。「売れない芥川賞より、売れる直木賞」「自分もエンタメ小説を書けばよかった」とのこと。才能がある人の苦労話は雲の上の話すぎて、ちょっとよくわからんけど、じゃあ、エンタメ小説書いたらいいんじゃないのでしょうかと思ってしまった。今からエンタメデビューなさればいいだけなのでは。先生ならその気になればすぐ書けるのでは? そういう話ではなくて矜持とかの話? うーん、雲の上の話はわからん。どういうことー。しかし、そういう不躾な質問をできるような間柄ではないし、そういうことを言える立場でもないので黙っておりました。お弟子さんたちも何も言わないし、何も言わないことこそが答えなんでしょう。私は挨拶だけして早々と教室を出ました。
で、ここからが話の本題なんですけどね、教室から逃げるように出てきた私に、とある女性が声を掛けてきたんです。
「結婚してますか? 子供はいますか?」
いきなり何……怖い。その女性は年齢が40代ぐらいでしょうか、見た目は特に変わったところのない、普通の人って感じでした。
が、私はこのとき何かを感じたのです。これは普通ではない何かがある。何かネタになる匂いがする!
私は詳しく話を聞いてみることにしました。もうワックワクです。好奇心がとまらない。好奇心はウミウシを殺すかもしれない、いつか。
私は独身で子供もいないと言うと、その女性はちょっとガッカリしたようでした。どうしてそんなことをお尋ねになるんですかと聞いたら、子供の健康を考えた食生活とか妊活によい食品とかについてお話をしたかったということでした。
なるほど。つまり健康食品の勧誘ってことかな? 残念~と今度は私ががっかりました。そんなに面白い話は聞けなさそう。
お互いの利害が一致しないことがわかったので、私たちはすぐお別れすることになったのですが、別れ際に「写真を撮ってもいいですか」と聞かれたんです。
……ん?
「今日の出会いの記念に写真を撮りたいんです」
……んん? ちょっとよくわからない、どういうことなのかな?
私が???となっていると、女性はバッグから小冊子を取り出しました。そこには笑顔の男女の写真がたくさん載っており、これの次号に私の写真を載せたいとおっしゃる。
おっ、なんか面白くなってきた予感。
撮影はお断りしましたが、私はその小冊子を見せてもらうことにしました。そこには笑顔の男女が多数載っていました。卒業アルバムより背景がカラフルで、人々はいろんなポーズで写真におさまっている。それはまるで人間のカタログ。不自然なほどの笑顔で何かをアピールしている。奥付を確認。聞いたことのない名前だあ。どこの会社……会社なのかな、これ。
「社会人サークルなんです」と女性は言う。ふむ。私はこの名前を帰宅したらネットで調べようと思い、暗記してから小冊子を返しました。
「えっと、宗教とかのサークルですか?」
私はずばり聞いてみました。先に言っておきますが、私は宗教を否定しないスタンスです。信仰心というのは悪いものではないと思っています。いいとも言い切れないですが。人が神仏にすがるのはおかしなことではないよねー。しかし、この小冊子は何だろう。宗教色がまったく感じられない。笑顔、友達、ふれあい、絆……そんな写真と言葉ばかり。それなのになぜか宗教っぽさがあるというチグハグさ。端的に言って胡散臭い。
「宗教じゃないです!」
女性はかなり大げさなジェスチャーつきで否定しました。私はきっと疑うような顔をしていたのでしょう。
「ここからちょっと離れたところでサークルのメンバーたちが活動しているから、今から見学に行きませんか。見てもらえれば、きっとわかってもらえると思います」
私たちがおしゃべりしながらたどり着いたのは、とある繁華街の大きな交差点でした。そこに大学生くらいの若い男女が6人ぐらいいて、通行人にキャンディを無料で配っていました。
もう怪しさしかない。何これ。
街角で飴玉を配る人って昔からいるけど、あれってあなたたちだったんですか!
長年の謎が一つとけた……。ただ、目的がわからない。
「あの、どういう目的でキャンディを配ってるんですか?」
私がそう聞くと、彼らはにっこりと微笑み、
「人々に癒やしを与えたいと思って活動しています」
「飴でリラックスしてもらいたいなって思ってるんです」
「人とのふれあいを大事にしたくて」
と、それぞれが説明してくださった。ううーん、そ、そうですかあ。
「こういう活動を通じて、私たちと話をするようになった人もいるんですよ」
「そうそう!」
「孤独な人の話し相手になれて嬉しいです」
「うんうん!」
皆さん、なんですかね、雰囲気が妙ですね。無理やり明るく振る舞っているような、どこか無理している感じがしました。
「いろんな人と出会えて楽しいんです」
「うんうん!」
「……なるほど。そうして出会った人がサークルのメンバーに加わったりするわけですね」
と私。
「そうなんですよ! 出会いって大事にしたいですね」
お、おう……。
私はこの時点で確信しました。これ絶対カルトだと。
彼らは寂しさを抱えた人を狙っているのだと。その撒き餌としてキャンディを配っているのだと。
最初に私に声を掛けてきた女性も、子供が欲しい女性や、子供の健康について心配している母親を狙っていたのでしょう。そういう手口で信者を増やしているんだ。
その後、私は彼らとぎこちなく雑談し、表面的には笑顔で手を振って別れ、帰宅し、暗記していた小冊子の奥付の名前をネット検索しました。
うん。
やっぱりカルトでした。はい。
なんかもうね、なんだろうね、宗教だって隠して活動しているのが嫌だなって思いました。正々堂々とみずからの信仰を明らかにした上で勧誘せえよ。
昨今の疫病の影響で、人とのつながりが薄れたり、あるいはストレスがたまったりして宗教に救いを求める方もおられることと思いますが、こういう正体を隠して近づいてくるようなカルトにはどうぞお気をつけください。世の中にはいろんな宗教がありますが、「自分の心と体と家族や友人とお金と時間を大事にする」ということが許されなくて、かわりに組織に尽くすことが求められる宗教はアウトだと思います。それは人を救うためのものではないと思いますよ。いろいろと宗教について触れて、考えてみて、そういう結論にたどりつきました。
私の宗教歴はといいますと、小学校低学年のころはよく神社でかくれんぼ等をして遊んでいたものだから、神主さんがお暇なときに神道の話を教わり、小学校高学年では友人に誘われて天理教のおぢば帰りに参加し、手かざしをやっている近所のママさんから手をかざされて健康を祈られ、キリスト教の布教活動をしている人から聖書をもらい、読もうと頑張ってはみたものの挫折し(字が小さすぎるんですよ。眼精疲労がひどいんですよ。狭き門より入れっていっても限度があるんですよ)、頼まれて創価学会の聖教新聞を購読してラジオの録音を聞き、エホバの証人の勧誘を受けて教義について教わり、仏教系の学校で一般教養として仏教を学び、朝に早起きして集まって良妻賢母を目指す会に参加したり(付き合いで)、同じく朝に早起きして集まって妻に感謝するオジサンの会に参加したり(これも付き合い)、幸福の科学の人に映画に誘われ(スケジュールの都合で断ってしまった)、そして統一教会と。それなりにメジャーなところは見学したり話は聞いたりしてきました。信仰は自由だけれど、「自分の心と体と家族や友人とお金と時間を大事にする」ここは譲れないなと、そう思いました。自分の人生を犠牲にして宗教に尽くすのは教祖とか開祖とかの「運営側」がやることであって、信徒さんがやるべきことではない。本来、信徒さんは尽くされる側であるはずなんですよ。そう思うのは私が無宗教だからなのかもしれませんが……。
イギリスの……何だったかな、本のタイトルは忘れてしまいましたが、テリー・プラチェットの児童書で、「羊飼いが仕事が忙しくて礼拝に行けなかったら、神様は怒るよね?」と子供が尋ねると、「そんなことで怒る神様なんて要らないだろう」と大人が答えた、そういう会話があった……と思うんですけども、うろ覚えだから自分の都合の良いように勘違いしているかもしれませんが、でも、私はこれが真理だと思います。
(蛇足ですけども、テリー・プラチェットは文学への貢献が認められて、2008年に英国騎士の位を叙された人です。小説書いていたら騎士になっちゃったっていう。すごいや。日本の文学界の大先生も何かこういう、叙勲だけじゃなくて、なんかカッコイイ肩書きがもらえるといいよね~と思ったけれど、国からそういうのをもらうことを拒否するとか言いそうなのが純文学の先生方だよねっていう気もする……)
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