第9話 プレイステーションのモニター会と「価値のない感想」

2021年4月、ソニーの家庭用ゲーム機プレイステーションの「モニター会」が解散したとのこと。


つい先日、このことを知り、元モニター会員の私は少し寂しい気持ちになりました。


今回はモニター会について書いていこうと思います。




まず、モニター会について簡単に説明しますね。

モニター会とは、都内のとあるビルの一室に子供や若者が集められ、プレイステーション用のゲームソフトをプレイして感想を言うと謝礼がもらえるというものでした。

主催はもちろんソニーです。現場のスタッフは別会社かもですが、おおもとはソニー。

プレイするソフトは基本的には発売前のゲームなんですが、たまに発売して間もないゲームのこともありました。



どうすればこの会員になれるのか? というと、私の場合は、当時プレイステーションのファンクラブみたいなものに入っておりまして、その関係でソニーから「ゲームモニターに応募してみませんか?」というお手紙が届きました。A4サイズの紙が5、6枚同封されており、その紙にゲームの感想文を書いて郵送し、はれて会員となれたのでした。


遊ぶだけでお金がもらえるなんて、子供からしたら夢のようです。

お金だけじゃなくてお弁当やジュースも出してもらえて、しかも発売前のソフトをプレイできるからちょっと優越感も味わえて、その上ゲーム製作スタッフと面談のある日は、大の大人が子供の言うことに真剣に耳を傾けてくれるのです。子供にとっては楽しいことしかない、そんなモニター会でした。



ゲーム製作会社としては、子供たちの生の感想を収集するためにモニター会をやっていたのだと思いますが、だからこそ、解散という意味を考えてしまいます。ゲーム会社にとって子供たちの声は不要な時代になってしまったんでしょうか。なんだか残念です。




当時、ゲームのモニターとして感想を言うとき、スタッフさんから耳にタコができるぐらい言われていたことがあります。それは面白いゲームをプレイして、「面白かった」と言うのは感想を言ったことにはならない、ということです。

「何が」面白かったのか、「なぜ」面白かったのか、「さらに」面白くするにはどうしたらいいか、そこまで考えて感想は言うものだと、毎回言われていた記憶があります。


同じように、「つまらなかった」もだめ。「なぜ」つまらないかを言えないような「つまらない」という感想には価値がないのです。自分の中のつまらないという感想はどこからやってくるのか? それに向き合って、自分なりに分析してから「つまらない」と言わないといけませんでした。


それもこれもゲームを面白くするため、子供に売れるゲームをつくるため。そのために私たちは集められているのだと、子供たちはそれを自覚せよというのがソニーの考えだったのかなと思います。まあお金ももらってますしね。子供たちが何かしら役に立つことを言わないとソニーさんも困りますわね。



感想って、自分の内部を掘り下げないとできないことなんだなって、これまでは感覚的にただ感じたままを口に出していた私は反省したのでした。自分と向き合うことから逃げたらいい感想は言えない。



このときに学んだ「感想を言うときはこうあるべし」という考えは、今も抜けていなくて、だからカクヨムでも人様の作品にコメントをつけるとき、あーだこーだと余計なことを考えてしまって、書いたけど消す、みたいなことを繰り返して、諦めて何も書かずにハートや星だけ押したりしております。ちゃんとした失礼のない感想を書かなきゃ! って思えば思うほど、何を書いたらいいのかわからなくなってしまうんですよ。

だってモニター会式のコメントしたら上から目線になっちゃうし。そんなの感じ悪いじゃないですか……。人様にどうこう言えるほど自分が優れているわけでもないしね。面白かったから面白かったとだけ言えた自分に戻りたい。面白さについての余計な分析とか書かなくていいんですよね!? きっとね。




まあ、そんなこんなで。モニター会が終わってしまったのは残念ですが、そこから受けた教えや経験は、私の中に息づいているのだなと、そんなことを思った次第です。解散は寂しいけれど、これも時代の流れってやつなんでしょうかね。





――

ここからは蛇足。


カクヨム等で感想を書くのが苦手になってしまうという弊害もあったモニター会でしたが、私にとっていいこともありました。それは懸賞に当たりやすくなったことです。特に「感想を添えてご応募ください系の懸賞」がよく当たるようになりました。感想系に強い。


あれ? 感想を書くのが苦手になったはずでは? 矛盾したこと言ってますね?



我ながら都合良く使い分けてるなと思いますが、

個人に対して感想を言うのは苦手でも、団体(番組や雑誌)に感想を寄せるのは平気なんです。



例えば「〇〇コーナーに出てくる芸人Aのコメントは共感でき、なおかつ笑えるものが多いため、今後はさらに出演を増やすべきで、特に〇〇なロケに行って欲しい」みたいなことを言っても、まあ、許されるよね、番組相手なら、と思うわけです。


でもカクヨムで個人相手にこれは言ったらヤバイでしょう。「〇〇というキャラの一途なところは魅力であり、読んでいて応援したい気持ちを起させるため、さらに出番を増やすべきで、今後は〇〇な展開が欲しい」とか言ってる人がいたらヤバイでしょ。そんなん人に言うぐらいなら自分で自分の気に入る小説を書けって話ですよ。


でも、番組や雑誌にこういう感想をぶつけるのはセーフなのでは? って思うんです。セーフだから当選しているのでは? と思うのです。




モニター会みたいに「どこが、なぜ、さらに」を意識して、そしてもちろん作り手へのリスペクトや礼儀も忘れないようにハガキを書いて、これまでに旅行券、お食事券、図書カードやクオカードなどの金券、ゲーム機、食品等々をいただいております。ありがたい。


多分ですが、感想そのものは的外れでも、とんちんかんでもいいんだと思います。自分なりに愛情を持って感想を真摯に書いたっていうのが相手に伝わったら、当選するのかもしれない。おかしなこと言ってるやつがいるなあってスタッフさんが苦笑しても、でも一生懸命書いたんだろうなあっていうのが伝わればいいのかも。その一生懸命さをアピールするのに、「どこが、なぜ、さらに」が役立つんだと思います。



感想は、生活の足しになりますね。




ただしカクヨムでは役に立たない!

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