菊酒の販路開拓と鶴来の地

 年が明け天文二年(1533年)となった。数え年で二十三歳となり、前世ではとうにすぎた年齢である故に、なんだか不思議な感覚を覚える。元日には冨樫家にとって久しぶりに豪勢な宴が催されて、家臣全員の表情は屈託のない笑みであふれていた。去年の正月は溝江家に身を寄せていたこともあり、質素な食事であった。

 

 それにしても、サラリーマン時代にあれだけ好きで呷るように飲んでいた酒だが、生まれ変わってからはほとんど口にしなくなっていた。無論、冷えたビールやウイスキーを飲みたい気持ちは常にある。しかしこの時代で一般的に飲まれている酒はどぶろくなどの濁酒が主流である。色は白いが泥水のように濁った見た目なので、俺は飲む気になれなかったのだ。清酒は祝い事の時にしか飲まれない高価なものであるため、不味い酒を飲むくらいなら飲むのを控えようという心持ちでここまで過ごしてきた。


 ただ、祝い事とあっては高い酒が振る舞われた。これは「菊酒」と呼ばれ、数年前に公家に振る舞われたという酒で、口にしてみたところ過去口にしたことのない美酒だった。現代でも加賀の菊酒は有名だったが、予想以上で驚いた。正月の祝いとして越前にいる父上にも送っておいたが、これで少しでも良い正月を過ごしてもらいたい。俺は前世で父を早くに亡くし、母と兄の二人が俺のために生計を立ててくれていた。二人には感謝が尽きない。俺も若くして亡くなってしまい、とんだ親不孝者だったと今更ながらに自分を責めた。


 話が逸れたが、この菊酒は手取川中流の鶴来という地で細々と生産される幻の酒である。菊酒とは菊で作った酒ということではなく、手取川の上流に野生の菊が自生しその滴りを受けることで良質な水が流れていたことから、「菊水」と呼ばれ、それが所以となったらしい。

 

 菊水が尊ばれるのは中国の仙道に影響を受けており、菊の滴を集めた水は特別な力を持っており、不老長寿の薬となると信じられていたことに由来する。


 運のいいことに、野々市の南には手取川が流れている。この川は天正五年(1577年)に上杉軍と織田軍が激戦を繰り広げ、天下布武を現実のものとしつつあった織田軍を撃破したという戦いの地になった場所であり、前世でも何度も耳にした。実際に作られている鶴来という地も数里しか離れておらず、目と鼻の先である。この地は元々槻橋家の領地だったが、本願寺によって統治されていた。実際には清沢願得寺という寺によって統治されていたが、清沢願得寺は賀州三ヵ寺だったために大小一揆で下間頼秀らによって放火され、隣接の金劔宮、寺家、在家などとともに焼失したのだという。


 そのため早々に冨樫家の支配下に入っており、越前・京都などへの主要街道にあり、白山七社の本宮・白山比咩神社の門前町として発展していたことから人通りも多いため、商いの町として発展しうるのではないかと考えている。だが一向一揆の勢力拡大により加賀における白山衆徒はほぼ離散してしまい、白山本宮に至っては社殿を作ることができないほどの惨状になっているらしい。


 こんな酒を幻のまま放っておくのは勿体無い。もっと多くの人にこの存在を知らせたいと思った。


 俺は至急鶴来に出向くことにした。酒造所を営む男は、迫屋権蔵という年をかなり召した物腰の柔らかい老人であった。元は白山比咩神社が管理していたようなのだが、加賀一向一揆によって昨年には白山衆徒がほぼ離散してしまったためにその管理下を離れたという。権蔵はどうにかして酒造技術を衰退させないよう人生をかけて酒を作ってきたらしい。横には息子と思わしき若い男が緊張したように固まっているが、おそらくは次代の酒造職人となるのだろう。


「急に尋ねてすまぬな」

「いえ、滅相もございませぬ。近頃のご活躍は耳にしておりまする。お会いできて光栄にございます」

「早速だが、この菊酒を作ったのはお主で間違いないか?」


 俺は自分より三十歳は年上であろう老人の腰の低い態度に内心で苦笑しながら、単刀直入に尋ねる。


「はい、間違いありませぬ」

「とても美味だった。思わず腰が抜けそうになったわ」

「そのようなお言葉を頂き恐悦至極にございます。味には自信を持っておりますゆえ」

「これほどの酒ならば京や大和でも飛ぶように売れそうなものだが」


「当初はこの酒ならば上方でも売れると見込んでいたのですが、ある方に見せたところ、味を試すまでもなく『濁りが少し強く、色が黄色い』と一蹴されてしまいましてな。あちらでは澄んだ透明な酒が好まれるようでして、加賀近辺以外で売ろうとすると採算が取れぬと感じた次第にございます」


 加賀に近い場所ならば「菊水」と尊ばれる水を利用しているとあって高値でも売り手が現れるのだろう。しかしその一方で京や奈良といった酒造りの中心では透明さが重視されるという。澄み酒は元々緑がかった薄い黄色い色があるものだが、菊酒は京都の柳酒や大和の僧坊酒といった高値で取引される名酒と比べ、やや濁りがあって黄色味が強かったのがやや粗悪に受け取られてしまったらしい。輸送費用もバカにならない上略奪のリスクもあるため、味に自信はあっても一歩踏み切れなかったのだろう。


 なるほど、と思った。ただ慶長三年(1598年)に天下を統一した豊臣秀吉が「醍醐の花見」で諸国の銘酒が集められた際、最初に挙がったのが加賀の菊酒だと聞いた覚えがあるから、これから状況が移り変わっていくのだろう。史実だと一向一揆が織田信長に敗れてから、加賀の酒造が陽の目を見るのかもしれない。


「この菊酒をもっと生産し、全国に売り出したい。必要なものは全て揃えよう」

「澄み酒を大量に作るにはかなり手間がかかりますゆえ、なかなか難しいかと存じまする。それに売れるとは限りませぬぞ」

「お主の話を聞く限り、濁りと黄色が少し濃すぎるのが不評を買っているという。ならば試しに灰を入れてみよ。その上澄みは透明感のある澄み酒となるはずだ」

「灰にございますか!?」


 冷静沈着といった姿勢を欠片も崩さなかった権蔵だったが、灰という思いもよらぬ単語を聞いて困惑を露わにしている。


「そうだ。まあ騙されたと思って一度やってみよ。明日の夕刻にまた訪ねる。それまでに答えを出してほしい」

「……承知いたしました」


 その瞳には疑念がありありと浮かんでいるが、効果を見れば見る目が変わるだろう。明日の反応が楽しみだ。




「灰を入れてみてどうであった?」

「本当に濁りが取れ、色も透明に近くなり驚いておりまする」


 酒造の過程で酢酸が生じるため腐敗の原因になったりするのだが、それに灰を加えることで中和され、腐敗だけでなく酸味も抑え、芳醇な香りと味を引き立たせるとともに透明にすることができる。


「ふっ、最初は信じていなかったようだがな」

「……申し訳ございませぬ」

「それで、答えはどうだ」

「……謹んでお受けいたします」

「うむ、ではこれからよろしく頼む」


 かくして酒造の交渉は上々の首尾に終わり、人員を増やすとともに酒造所を増設することに決めた。鶴来を酒造の街にするだけでなく、離散した白山衆徒を呼び戻して冨樫家の商業の拠点としての発展を目指すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る