211 撤退(ウィズドゥローアル)

「なっ……なんだこの魔力のうねりは……」


 混沌の戦士ケイオスウォリアーであるネヴァンは、近隣でゾッとするくらいの強大な魔力を二つ感知して震える……一つは同じ混沌の戦士ケイオスウォリアーアルピナの魔力だろう、彼女ならこれくらいのことはやってのける。

 だがもう一つ……アルピナよりもはるかに巨大な魔力の集中は誰だ? まさかとは思うがクリフか?


「ん? どうした? 何かあるのか?」

 突然キョロキョロと辺りを見始めたネヴァンに気がつくと、カイは彼女へと話しかけるが、当のネヴァンはそれどころではないかのように魔力を感知した方向へと目を凝らしている。

 ネヴァンの方が少しだけ震えていることに気がつくと、カイは彼女が見つめている方向へと目を向けると、そこには禍々しい気配を発する何かを感じる。

「こりゃあ……お、おいネヴァンここから引いた方が良くないか?」


「……悔しいがその通りだ、帝国軍との戦いだけでなく、魔法の余波で部下を吹き飛ばされたくないだろう?」

 ネヴァンは歯を噛み締めるようにギリと音を鳴らすと、黄金の瞳を回転させながら退却する方向を指し示す。帝国軍兵士だけでなく部下の一部も今起きている恐ろしい事象に気がついていない。何人救えるだろうか? 伝令用の角笛をかき鳴らし、退却の合図を伝えると周りの部下たちが驚きの表情でカイへと尋ねる。

「お頭! 退却ですかい? もう少しで突き崩せますぜ」


「だめだ、この戦場は何かがおかしい。俺たちは単なる雇われだ……命を売り払ったつもりはねえ」

 カイの表情から只事ではないことが起きていると悟った部下が慌てて周りに号令をかけ、角笛をかき鳴らしていく。それに呼応するように、リヴァリア戦士団の一部が早くも後退を始める。

 だがその後退に合わせて帝国軍が前進を開始し始め、それを見たカイは慌てて対応を迫られることになる。部下の数人に命じて弓兵隊や竜騎兵ドラグーンへの命令を伝達すると、自ら馬に飛び乗り前線への援護に走り出す。

「くそっ……空気読みやがれ! お前らまで死ぬぞ帝国軍!」


「お頭! 待ってくだせえ!」

 部下たちが慌てて馬に乗ると、走っていく司令官を追いかけ始める……その後ろ姿を見てため息をついたネヴァンは、再び異変の起きている方向に目をやると、首を振ってその場から逃げ出す準備を始める。

 体が小さいままの彼女では乱戦に巻き込まれれば、身を守ることすら困難だ。カイには後で合流すればよかろう。歩き出したネヴァンはふと、一度だけ振り返って仲間の顔を思い出す。

「アルピナ……お前とは、もう会えんかもな」




「ぬ……ぐっ……な、なんだ?」


「……今ならっ!」

 セプティムへと躍りかかろうとした変異体のクラウディオが急に足を止めると、目の前の自分ではない方向へと目を奪われたのを見て、セプティムは咄嗟に三日月刀シミターを奮って目の前の怪物へと切り掛かる。

 接近してきたセプティムに気がついたクラウディオは防御体制を取ろうとするが、一瞬遅かった……三日月刀シミターはクラウディオの顔面へと突き刺さり、血が噴き出す。


「う……お……ぐうおおおおおっ!!」

 顔面へと三日月刀シミターを突き刺されたクラウディオが呻き声をあげて、セプティムを振り払う……咄嗟に剣を引き抜いたセプティムは大きく後ろへと飛ぶことで反撃を避けることに成功する。

 顔についた傷を手で確認した後、クラウディオは怒りに満ちた表情を浮かべるものの、すぐにセプティムとの距離を押しはかるようにジリジリと後退していく。

「……あれだけ勇ましいことを言って逃げるのか?」


「……事情が変わった。この戦争は我々の負けのようだ」

 クラウディオの顔面の傷が塞がっていく……セプティムは前に出ようとするが、全身につけられた傷の痛みでうまく足を動かすことができていない。

 クリフの仲間……アドリアはセプティムの側によると、治癒魔法の準備を始めており、ロランは油断なくクラウディオの隙を伺い、ヒルダは弓を構えて混沌の戦士ケイオスウォリアーへと照準を合わせている。


 さて、逃げるのも一苦労だが……どうしたものか。変身に際しても失われなかった腰につけている袋には脱出用の煙幕弾が入っているが……ふと彼の鋭敏な感覚に真後ろに潜んでいる人間の気配を感じて、慌てて後ろを振り返ろうとするがそこへ、完全な奇襲の形で見覚えのある二人組が武器を構えて突進してきた。

「……やりおるわ……失われた王国ロストキングダムの遺児どもが」


「「クラウディオオオオオッ!」」

 武器を腰だめに構えたベッテガとカレン……ここまで機会を伺って戦闘に参加はしていなかったが、クラウディオの挙動がおかしいことに気が付き、好機と見て飛び込んできたのだろう。

 ベッテガの小剣ショートソードが大きく膨らんだ胴体へと、そして人間の形をとどめている上半身……胸にカレンの鎧通しエストックが突き立てられる。

 カレンの顔に手応えがあった、と薄く笑みが浮かぶ……何年も何年も待ったのだ……この不気味な怪物を倒すために。

「……やったか!」


「いや? これでは死なんよ」

 クラウディオは歪んだ笑みを浮かべるとカレンとベッテガに背中に生えた鋏のような形状の腕を振るって叩きつける。凄まじい衝撃と共に二人は大きく吹き飛ばされる。

 ロランが慌ててカレンを受け止めに動いたことで彼女はなんとか地面への衝突を免れるが、ベッテガは藪の中へとそのままの勢いで叩きつけられた。

「きゃああっ!」

「うがああっ!」


 自らの肉体に突き刺さった武器を引き抜いて地面へと放ると、クラウディオはセプティムに薄く笑みを向けると、そのまま腰に下げていた袋から煙幕弾を取り出して炸裂させる。

 途端にその巨体ごと、黒い煙に包まれて姿が見えなくなっていく……セプティムはアドリアの手を払って追いかけようとするが、既に時は遅く霞のようにその姿は消え去っていく。姿の消えた場所に、クラウディオの怒りを含んだ声が響く。


「……失われた王国ロストキングダムで待っているぞ……クリフ・ネヴィルに伝えよ」

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