e-ghost 電脳幽霊

古博かん

第1話 ある夏の日

 一九九九年、七の月。


 人類の頭上遥か上空では、軍事目的に端を発した目には見えない電波網が構築され、一家に一台パーソナルコンピューターを持つことが奨励され、インターネットなる次世代通信が世間に浸透し始め、固定電話やお手紙という従来の通信手段の常識を覆す人類史の新たなイチページが開かれようとしていた、そんな頃。


 極東アジア日本国、関西広域のとある山奥。


 その年は、四月二十三日に台風第一号が発生するような波乱含みの新年度を迎えた、とある夏の日。


 全体的に年間を通して、高温傾向にあった辟易ヘキエキするような季節の折——いつもは頭の芯がキリキリするような蝉の大合唱も、心なしか元気がないように感じられ、短命な生き物だけに珍しく同情している自分に気が付いて、藤本さんは「あらま」と呟いた。


「ふーじーもっさーん!」

「……」


 愛用の竹箒たけぼうきおんもを掃いていた手を止めて、どこか空寂しく静かな気分に浸っていた矢先だったというのに、足許と頭上とを両方から突き崩すような大音声がズガーンと飛んできた。

 おかげで、夏休みに健気に頑張る部活動のようだった蝉のコーラスも、丸々どこかにすっ飛んでしまった。


 振り返ると、顔馴染みの竹下さんが片手をぶんぶん振りながら、猛ダッシュをかけてくる姿が見る間に大きくなっていく。


「何やの、竹やん」

「半村の『イコジイ』知っとる?」


 唐突にも程がある竹下さんは、前置きもなくいきなりまくし立てる。

 第一区の竹下さんが突撃してくる時は、どこぞで何ぞ情報を仕入れて、誰かに話したくて仕方がない時だ。

 初めは驚きどおしだった藤本さんも付き合ううちに、いつしか慣れた。


 しかし、よりによって意固地イコジで有名な半村のおじいさんの話題ときた……特に理由はないけれど、藤本さんの脳裏では特別警戒警報が鳴り響く。


「知っとうよ。去年さっそく散々な目にうたばっかりやん」

「あ、せやったねぇ。ほんなら、お孫さんの万里香まりかちゃんのことは?」

「知っとうってば。去年、熱中症やったんやろ!」


「あれ、もう言うとった? ゴメン、ゴメン」


 竹下さんは豪快に笑い、そしてバシバシと藤本さんの背中を無遠慮に叩く。

 イジメではない。関西ローカルコミュニケーションの一環である。ただし、たまに青あざは出来る。


 ともあれ、興味の範囲がボールゾーンもストライクという竹下さんは、実に広範囲から次々とバラエティーに富んだ話題を問屋トンヤの如く仕入れては、友人知人宅を突撃訪問する人だ。

 それはそれで大変に結構なのだが、その情報は竹下さんの中で胃の中の角砂糖の如く消化されているらしく、前のものは大半覚えていないことが多い。


 だから、情報の蓄積量で言えば、聞く側の藤本さんの方がよほど豊富だ。


「よう覚えとるねぇ、ふじもっさん」

 竹下さんは片手をふくふくとした頬にあてがい、はあーっと感心した様子で藤本さんをまじまじと見つめる。一方の藤本さんは竹箒を片手に実にキリッとした表情でをして見せた。


「日記つけとうからね、家計簿に」

「いや、家計簿にかい!」


 感嘆直後からの流れるようなツッコミには一切の無駄がない。


「それより、半村さんが何なん?」

 そして、ずっぱりと間髪を入れずに話題を変える藤本さんの力技も鮮やかだ。

 それくらいしないと竹下さんは止められない。竹下さんは特に気にする様子もなく、思い出したように両手を打った。


「せやせや! 何か半村のイコ爺の所な、用意しとったんよ!」

 話し始めた竹下さんは、実に生き生きとしている。


「八ミリ? 今時それは無い思うわ。ビデオカメラやろ? 取材か何か?」

 藤本さんも不思議そうに小首を傾げた。


「さあ、そうなん? まあ、ええわ。ほんでな、カメラマンは、ここのぼんさんやったんよ。でもな、普段とちごてな、一張羅いっちょうら着て、頭も反射するくらいペッカペカに手入れしとってな? 半村さんトコの前も綺麗に綺麗にお掃除しとったし、あれはタダゴトちゃうよ、うん」


 竹下さんの証言では、今ひとつ何を言っているのか分からない藤本さんだが、いつもこんな感じなので逐一気にすることはない。


「あらま。いったい何やろねぇ」

 竹箒を持ち直して、緩くスルーしながら聞いている藤本さんだが、本日の家計簿の備考欄に、このやり取りが記録されることになる。


「なあなあ、見に行かへん?」

 竹下さんの両目には、少女漫画かと思うようなキラキラ星が輝いている。


「えぇ……。半村さんのトコやろ? わざわざ? アドベンチャラーやね、竹やん」

「ほな、行こ行こ!」


「えぇ……」

 分かりやすく渋る藤本さんと竹箒を強制連行して、竹下さんは来た時と同じく第三区の半村さん目指して猛ダッシュするのだった。

  ジジッ、ジジッと発声練習を再開した蝉の声が、やがて安心した様子で第二区の空に響き渡った。


「何の用じゃい、よそモンが!」


 早速、イコ爺こと半村のおじいさんがズンと二人の前に立ち塞がった。

 藤本さんが制する間もなく「白髪になったライオンみたいな半獣爺」だと竹下さんが悪態をつくと、イコ爺がガオーンと吠え猛る。

 すると、騒ぎを聞きつけた孫の万里香がどこからかすっ飛んできて、二人と一人の間に割って入り、イコ爺を宥めながらひたすら物腰低く謝った。


 その向こうでは、我関せずと和尚さんがせっせと菊を生けている。


 万里香は今時珍しい、純朴そのものという気立ての良いお嬢さんだった。竹下さんも藤本さんも、ますます、この爺子関係が不可思議で仕方ないのだが、それを言ったら言ったで、またイコ爺にガーガー喚かれる。


「一体どうしたんですか、今日は?」

 威嚇し続けるイコ爺を押し退けるようにして、万里香は突然の来客——藤本さんたちに尋ねる。

 まだ十七歳だったというから同情もしたくなる。それに、実際の万里香は噂にのぼる第四区の不良どもと違って、素直でよっぽど可愛げがある娘さんだった。


「あんねぇ、このカメラが気になって来たんよ、うちら」


 話の分かる孫娘と即座に判断したらしい竹下さんは、すかさず万里香をロックオンする。会話の初っ端から同列のように扱われた藤本さんは、若干不服そうだ。

 正確を記すなら有無を言わずに連行されて来たのだから仕方ない。

 かたや万里香は動じるでも嫌な顔をするでもなく、冷静に設置されたハンディカムに視線を移した。


「ああ、あれですか? これからお墓参りが始まるんです」


 当然のように答えた万里香だが、竹下さんと藤本さんには実に予想外の言葉であった。

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