月の怪談

萬朶維基

月の怪談

 月面にはピラミッドがある。

 月そのものが人工天体である。

 アポロは月に行っていない。


 そんな突飛な都市伝説の数々が、21世紀の半ばを過ぎた今でも人類の間で囁かれているそうだ。

 アポロ11号着陸の痕跡を間近で見られる〈静かの海〉で働くわたしたちにとっては噴飯もの(といっても固形物をエネルギー源にしている訳ではないが)の話だが……実のところ、それと同じくらい馬鹿馬鹿しくて滑稽な噂が、わたしたちヘリウム3採掘ロボットの間で広まっていた。

 人間の幽霊が出没するというのである。


「そんな馬鹿な。月面上で死亡したホモ・サピエンスは一人もいないんだぜ。幽霊なんて、天然知能が引き起こしたバグさ」

 地球向けのマスドライバーにヘリウム3を詰め込みながらわたしが反論したが、D-97は確かに見たといってゆずらなかった。

「ぼくだけじゃなく、目撃情報が百数件あるんだぜ。ごつい服の宇宙飛行士がクレーターの中を歩いてると思ったら、ふわりと消えてしまったんだ。映像記録には残ってないが、絶対にバグなんかじゃない」

 それなら俺も見たぞ、とQ-14も会話に入ってきた。

「あの丸っこいデザイン、腕にペイントされた赤色の国旗……あれは間違いなく旧ソ連の宇宙服だよ。きっと百年前にソ連が極秘裏に宇宙飛行士を月に送っていて、それが化けてでてるんだ」

 ロボットらしからぬ無茶な論法である。そんなことがあれば、月面に今でも必ず痕跡が残っている……。

 しかし、ここで言い争っても水掛け論で埒が明かない。

 なら、ここはT-3に相談してみよう、ということになった。


 T-3は採掘ロボットの中でも最古参で、わたしたちのように月面自動工場でレゴリスから造られたのではなく、わざわざユーラシアの端にある島嶼で製造されロケットで月に送られてきたそうだ。

 そのため本来なら採掘ロボットにはインストールされていない地球の様々なデータが搭載されていて、その話の面白さからわたしたちの中でもかなりの人気者だった。


 話を聞いたT-3は興味深げにカメラアイを傾げながら、

「実は1970年代、このあたりに大規模な月面軍事基地を建設する計画がソ連にはあったんだ。もっとも予算の関係上、計画倒れに終わったそうだがね」

 なんだ、ならやっぱり見間違いじゃないか。とわたしが胸をなでおろすと、いやそうでもないぞとT-3はロボットアームをひらひらさせて、

「心霊現象研究協会の調査によると、幽霊は時間軸を自由に移動して出現できるそうだ。ならソ連の宇宙開発が進んだパラレルワールドから、その世界で死んだ宇宙飛行士がこちら側に化けて出てきてもおかしくない」

 それから「このままじゃ採掘に支障をきたすからな。例の建設予定地だった場所に行ってみようじゃないか」ということになった。半信半疑だったわたしは、事の真相をこの目で確かめるべくT-3についていくことにした。


 黒天に浮かぶ満地球のもと、わたしたちは灰色の月の大地を進んでいった。

 小一時間ほどでT-3のいう基地建設予定地とやらに到着したが、そこは特に代わり映えのない月の大地に思えた。人類の痕跡なんてどこにもない。

 遠くにオレンジ色の月面工場が見えるくらいだ。

 やっぱり、幽霊なんていないのだ……。


 いや、あれは月面工場じゃない!

 そのオレンジ色はもぞもぞと動いているどころか、地平線から押し寄せるようにしてどんどん面積を広げていった。

 それは――月面を埋め尽くすほどのソ連宇宙飛行士の群れだった!

 ヘルメットの奥には骸骨が見える。ソ連の宇宙開発が進んだ無数の並行世界から、死んだ飛行士の怨念がこちらに押し寄せてきたのだ!

 その群れが、ものすごい勢いで一気にこちらめがけてやって来る!

 もうおしまいだ!


「そこまでだ!」

 と言うやいなや、T-3がロボットアームを蓮のような形に掲げて叫んだ!

「破ぁ――――!!」

 するとT-3のロボットアームから青白い光弾が飛び出し、みるみるうちに膨れ上がって宇宙飛行士の群れを包み込んだ!

 光が消えたあとには、何事もなかったかのように月の大地が広がっていた……。


 どうして幽霊を撃退出来たのかと恐る恐る訊くと、T-3はこともなげに、

「なに、日本では人工衛星や探査機なんかに、打ち上げの無事を祈って御守りを積む習慣があるのさ。おれにも強力な御札が搭載されていて助かったよ」

 といってロボットアームで自分の体を叩いてみせた。


 地球テラ生まれってスゴイ、わたしは感動を覚えずにはいられなかった。

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月の怪談 萬朶維基 @DIES_IKZO

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