(12)
ラリーの住んでいたという家は、メグの予想通り、かなりの豪邸だった。
広い敷地に、由緒ありそうな屋敷が建っている。
だが、屋敷に近づくにつれ、庭や建物がかなり荒れているのに気がついた。
門が開いていたので、アレクはそのまま車を敷地内に入れ、玄関の前で三人は車を降りる。
車寄せから玄関まで、いつ掃除をしたのかわからない状態だったし、玄関ポーチにはがらくたらしい不用品が積み上げられていた。
少し緊張しつつ、玄関横のインターホンを押す。
だが、しばらく待っても返事がなく、メグはしつこく何度も押してみた。
「五月蝿いね! 金ならないよ。諦めて帰りな!」
「あの! お話を聞きたいんですが」
すぐにインターホンを切られそうだったので、メグは慌てて話し出した。
「私、メグといいます。こちらに住んでいた、ラリーの娘です」
返事はなく、インターホンの切れる電子音だけが聞こえてきた。
このまま無視されるのか、不安になった頃、玄関の扉がようやく開いた。
「へえ。あんたがメグか」
現れたのは、中年の女性だった。
ざんばらな髪に、似合わない派手なメーク、一目で安物とわかる派手な服をだらしなく着ていた。
そして、どこか楽しげな顔で、背の高いメグを見上げていた。
サンドラと名乗った女性は、屋敷の中へと案内してくれた。
屋敷の内部も外と同じで、荒れ果てていた。
廊下のカーペットは高価と思われる品だったが、かなり磨り減っていて交換が必要だった。
窓ガラスはいつ磨いたのか曇っていたし、家具らしい家具はほとんどなく、あるのはがらくたばかり。
三人が案内された居間らしき部屋は、古びたソファと小型のテレビ、煙草の吸殻が高く積まれた灰皿とウィスキーとグラスが乗ったテーブル、ヤニに黄色く染まった壁紙という、ひどい状態だった。
メグとダニエルは、サンドラが荷物を降ろして座れるようにしてくれたソファに並んで腰を下ろし、アレクは座るのを断って、扉近くの壁に上半身を寄りかからせて立つ。
サンドラは興味があることを隠さずに、ダニエルとアレクをじろじろと見ていたが、兄弟はファーストネームを名乗っただけで、詳しい自己紹介をしなかった。
「あんたが来てくれて助かったよ」
ソファに座ると、サンドラは煙草に火をつけた。
そして、不思議そうな顔のメグに気がつくと、口の端をあげて笑う。
「さすがに、あの状態のラリーを一人置いて出て行くのは、気がとがめてね。あんたに押し付けて私は出て行きたかったんだけど、どう連絡を取っていいやら、困ってたところだったんだよ」
「出ていかれるんですか?」
「勿論さ。ここにいても、借金取りを追い返すのに疲れるだけだからね」
「父には、借金があるんですか?」
「あるよ。まあ、たいした額じゃないけどね」
「ということは、この屋敷は抵当に入っている?」
口を挟んだダニエルを、サンドラはにやにやと上から下まで見回した。
「いい男じゃないか。あんたの旦那じゃないね。何者だい?」
「メグの友人です。僕の質問に答えてもらえるとありがたいんですが」
にっこり微笑んだダニエルに、サンドラはいやらしい笑みを浮かべながら紫煙を吐き出した。
「友人ね。まあいいけど。この屋敷は私のもんさ。抵当には入ってないよ」
「遺産で受け取るという意味ではなく、今現在所有されている?」
「ラリーという男は、とても気前がよくてね。まだ羽振りがよかった頃に貰ったんだよ。ちゃんと書類も作ってね。もうここを売る話は決まってるんだ。こんな広い屋敷、維持費だって馬鹿にならない。売った金で、面白おかしく生きていくつもりさ」
確かに、これだけの土地と屋敷を売れば、まとまった金額を手に入れることが出来るだろう。
五年も一緒に生活してきたのなら、内縁の妻として父の遺産を受け取る権利はあるのかもしれない。
だが、その遺産が元々はどこから来たのか、それを思うと、メグの心はざわめいた。
「父が、なぜ気前がよかったのか、なぜ大金持ちだったのか、その理由をご存知ですか?」
「知っているとも。あんたの旦那から、強請り取ったんだ」
メグは驚きを隠せなかった。
強請りは犯罪だ。それを父が誰かに話していたとは思ってもいなかった。
「ラリーは昔話が好きでね。あんたの事はよく話していたよ。強請りのことも、酒が入ればいくらでも話してくれた」
「では、やはり父は、リカルドから」
「そうさ。十年前、ラリーはあの男からたっぷりと金を搾り取った。娘のあんたをダシにしてね」
サンドラは笑っていた。
メグがショックを隠せていないのが、どうやら楽しいらしい。
「あんたは馬鹿だね。家を出て、苦労したんだろ? その間、ラリーは何をしていたと思う。大金を手に入れて、毎日やりたい放題さ。ダシにした娘には全く分け前を与えず、自分だけ贅沢三昧。ひどい父親だよ。でもね、ラリーの昔話に出てくるあんたは、自慢の娘なんだよ。おかしいだろ。美人で頭がよくて、気立てもいい、最高の娘だったって言うのさ。それなのに、あんたを誉めたその口で、いい金づるを捕まえた、たっぷり利用してやったと笑うんだ。ラリーはね、あんたを自慢に思ってはいたが、愛してはいなかったんだよ」
ふと、サンドラの口調が静かになった。
「だからね。いいかい。あんな父親を愛してやる必要なんてないよ」
乱暴な口調は変わらなかったが、サンドラの声や表情には、メグへの同情が感じられた。
だが、メグは、予想していたこととはいえ、あまりにも痛い真実の前にただ立ちすくみ、痛みをこらえることしか出来なかった。
サンドラの同情にも、しっかりと手を握り締めてくれるダニエルの優しさと暖かさにも、メグの心は癒されなかった。
「それにね、ラリーだって、天罰を受けたんだ」
「……天罰?」
「人にはね、持って生まれた格というものがあって、それを超えた物を手にしてしまうと、扱いきれずに破滅するのさ。ラリーが手に入れたのは、あの男には過ぎるほどの大金だった。酒やギャンブルで使いきれるような額だったらよかったんだがね。いっぱしの名士気取りで、株に手を出してみては失敗し、うまい投資話に乗せられて大損し、美術品をすすめられては偽物をつかまされ。この十年で、すっかり使い果たし、借金まで作り、五十そこそこで植物状態。とっても幸せな人生だったとは言えないだろう。自業自得さ」
「具体的に、ラリーがいくら強請り取ったのか、ご存知ですか?」
サンドラの教えてくれた額に、ダニエルはため息をついた。
それは、十年前のリカルドの総資産とほぼ同額だった。
「僕はずっと気になっているんですが。ラリーはどうやってそれほどの大金を強請り取ることが出来たのでしょう? リカルドは資産家ですが、それは彼にとって小さな額ではありません。それに、僕の知っている彼は、卑劣な行為にあっさりと負けるような男ではない。強請りに屈しるぐらいなら、正々堂々と裁判の場で争うことを選択すると思う。そうだろう、メグ」
ダニエルに聞かれて、メグは頷いた。
そして、励ますようにじっと見つめてくれているダニエルに気がついて、メグは自分の心を奮い立たせた。
十年前の真相を知るチャンスは、今日しかないかもしれないのだ。めそめそしている場合ではない。
「父はリカルドに何かとんでもないことを、話したのではないでしょうか」
ふと、あの時のリカルドの言葉が思い出された。
リカルドが十年前の事を話してくれた夜、メグがリカルドを笑いものにしているとラリーから聞いたと言った。
メグはもっとその話を聞きたかったのだが、リカルドは二度とその事については話してくれなかった。
そのことが急に、重要に思えてきた。
「リカルドに、とんでもない嘘を、吹き込んだのでは?」
サンドラは答えず、しばらくメグの顔をじっと見つめていた。
メグは臆することなく、サンドラを見つめ返す。
目をそらし、サンドラは煙草をもみ消した。
「一つ聞きたいんだがね。あんた、どうしてあの男と結婚したんだい?」
その質問内容とは違うことに、メグは興味を引かれた。
「どうして、私がリカルドと結婚したことをご存知なんですか? 父も知っていたんですか?」
「二ヶ月前、あんたと旦那の結婚が記事になってた雑誌を見たのさ。ラリーにも見せたよ。それで、倒れたのさ」
「え?」
「あの男にも、罪悪感があったのかね。それともただ単に、あんたに真相がばれたと思ったのか。ラリーはあんたに父親として愛されているのが、なんというか、自慢だったからねぇ。とにかく、それで心臓発作をおこしたのさ」
「本当に?」
「まあね。だからといって、あんたが責任感じる必要はないと思うけどね。ラリーはいつ発作を起こしても不思議じゃない体だったんだ」
責任を感じるなと言われても、はいそうですかと頷けるはずもない。
だが、ショックに黙り込んだメグの肩を、ダニエルがぎゅっと抱き寄せ、呆然と顔を上げたメグに力強く頷いて見せた。
「恋愛結婚なのかい? 十年前、あんな風に別れた男を、あんたは許せたのかい?」
「私達の結婚は、半年間だけの契約結婚なんです」
震える指を握り締め、乾いた唇をなめてから、メグはしっかりした口調で答えた。
「私、彼に償いがしたくて」
「それで、契約を受けたというのかい? あきれたね!」
サンドラは大きな声でそう言い放った。
「そういうことなら、あんたは真相を知ったほうがいい。いいかい。ラリーはね、リカルドから金を取るために、あんたが妊娠したと嘘を言ったのさ」
「妊、娠?」
呆然と繰り返したメグに、サンドラは鼻の頭に皺を寄せて頷いた。
「十六の娘を妊娠させたんだから、責任を取って、慰謝料と子供の養育費を払えと言ったラリーは、とんでもない父親さ。だがね、ラリーが最低の父親なら、リカルドは最低の恋人だよ。金を払う条件に、中絶を要求したんだ。子供を始末するなら、金を払うとね」
「………」
「そんな男に、償いする必要がどこにある? 悪いことは言わない。さっさと別れて、縁を切ったほうがいい。あんたなら、他にいくらだっていい男が見つかるさ」
メグは何も言えなかった。
ショックの連続で、心が麻痺してしまったかのように、痛みも苦しみも、全く感じなかった。
ただ、肩をぎゅっと抱きしめてくれたダニエルの手の暖かさが、じんわりと心にしみてきた。
引き寄せる力に逆らわず、メグはダニエルの胸にもたれかかると、両手で顔を押さえる。
いつの間にか、頬を流れていた涙が、指に触れて驚いた。
悲しすぎて、苦しすぎて、心は飽和してしまっていた。
だが、涙はとめどなく頬を流れ落ち、肩は震え、胸の中を熱い塊がせり上がっていき、自分の声とは思えない悲鳴のようなものがあふれ出た。
「メグ」
今ここで、聴くはずのない人の声に、メグは戦いた。
そっと目を開き、顔を上げる。
真っ青な顔で、こちらをじっと見つめているリカルドと、目が合った。
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