償いの行方
KAI
第一章 再会
(1)
その日、伯爵邸は朝からどこか浮き足だって騒々しかった。
伯爵主催のパーティーが、今夜盛大におこなわれるのだ。
いつにもまして招待客は多く、使用人達も次々に到着する客人の接待とパーティーの支度に走り回っていた。
「メグもパーティーに出たらいいじゃないか」
てきぱきと帰り支度を始めている秘書に、シュタイン伯爵ダニエルはにっこりと微笑みながらそう言った。
「お言葉は嬉しいんですけど、私なんかは場違いですから」
「そんなことはないと思うけどなぁ」
長椅子に行儀悪く寝そべっている、まるで子供のように無邪気な笑顔の上司を、メグはちらりと振り返る。
ダニエルの秘書になってもう六年になる。
無邪気な笑顔をしていながらも、中身は狡猾で容赦ない策略家だということを、メグは熟知している。
もっとも、そうでなければ伯爵家の持つ事業を統括したりは出来ないだろうし、更に発展させることなど無理なことだ。
ダニエルは油断のならない企業家でありながら、とても親しみやすく明るく朗らかで、心根の優しい素晴らしい上司でもある。
メグはダニエルのことを敬愛していたし、今の職場に満足していた。
「そうだ。この前、僕がプレゼントしたドレス。まだ職場のロッカーに入ったままだろう。あれはいいよ。君に絶対に似合う」
「ありがたいお言葉ですけど、あんなドレスを着る勇気はありません」
以前、ダニエルと一緒に仕事をしたアパレル関係の会社が、サンプルとして持ってきたドレスをダニエルがとても気に入って、そのまま貰い受けてメグにプレゼントしてくれたことがある。
確かにとてもセンスのいい素敵なドレスなのだが、少し肌の露出が多いようにメグには思えた。
ダニエルに下心がないことはよくわかっていたが、着る気にはなれなくて、ロッカーに置いたままなのだ。
「いいと思うんだけどなぁ」
なにやらいつもよりしつこいダニエルを、メグは睨むふりをする。
「私が何を着ようと、どこのパーティーに出席しようと、あなたには関係ないでしょう」
「そりゃそうだよ。でもね、メグ。一人の男として、美しい女性を見つけたら、綺麗に着飾っているとこを見たいなぁと思うのは、ごくごく自然な事だと思うな」
「私は綺麗なんかじゃ」
「それそれ」
長椅子から体を起こし、ダニエルはメグの方へと身を乗り出した。
「メグはとても美人だよ。でも、君はそれを絶対に認めようとしない。それどころか、自分は醜いと思いこんで、いつも下を向いて地味な格好をして、言い寄ってくる男を必要以上に邪険に扱うよね」
「………」
「僕は以前からそれがとても不思議だったんだ。女性なら普通は自分をどれだけ美しく見せるかに心を配るものだからね」
表情を固くし、口を引き結んだメグに、ダニエルは表情を改めた。
「ごめん。ちょっと立ち入りすぎたかな」
「……いえ」
「ごめんごめん。本当に悪かったよ」
ダニエルは身軽に長椅子から立ち上がると、メグの隣に来て、至近距離からメグの顔をのぞき込んだ。
「だけどメグ。いい機会だから、もう一言、言わせてくれないかな」
「………」
「もし僕で力になれることなら何でもするよ。僕にとって、君はとっても大切な人だからね」
にっこりと微笑むダニエルに、そうそう長い間仏頂面は向けていられない。
彼の笑顔は、人を引き込む魅力にあふれているのだ。
メグが小さく微笑むと、ダニエルは更に嬉しそうに微笑んだ。
「本当だよ。君がいないと僕はとても困ってしまうんだから」
「ありがとうございます」
もし、他の男性からこんな言葉を言われたら、くどかれているのかと相手の下心を疑うところだが、不思議とダニエルの態度からそんなことを感じることはなかった。
メグはダニエルの個人秘書として、彼のごくプライベートな部分のサポートをしているのだが、親密になりすぎたり、女として危険を感じたりしたことは、今までに一度もない。
ダニエルにとって、自分は妹のような存在なのではないかと思うことがあるが、多分それが正解なのだろう。
コツコツと扉に軽いノックがあり、ダニエルが返事をする前に扉が開かれた。
誰もが最敬礼し細心の敬意を払うダニエルに対し、そんなことをするのは、この屋敷にただ一人しかいない。
「兄さん、悪いけど俺は帰るよ」
ダニエルの弟。そして、この兄弟はお互いにたった一人の身内でもある。
アレクは扉を開けるなりそう言って、ダニエルを驚かせた。
「なんだって! ちょっと待て。それはどういうことだ!」
血相を変えたダニエルに対し、アレクはポーカーフェイスの無表情だ。
この兄弟は、面白いほど似ていない。
二人とも三十前後の魅力的な男性なのだが、その魅力はそれぞれに違う。
ダニエルは黒髪、アレクは銀髪。愛嬌のある人好きのするハンサムなダニエルに対し、アレクは貴族的に美しく整った端正な顔立ちをしている。
兄弟に会う人は誰もが血縁を疑うし、メグも最初はそうだったが、兄弟の両親の写真を見て納得した。
ダニエルは母親似で、アレクは父親似なのだ。
「あれ。そういえば、ジェイは? もう着いてていい時間じゃないか」
ジェイは、アレク最愛の恋人である。
「急な仕事で来れなくなったそうだ。だから、俺もここにいる理由がなくなったので、帰る」
「うわぁぁぁ。そりゃないでしょ。それは冷たいよ、アレク君。お兄ちゃん、泣いちゃうよ」
「どうぞご自由に。最初から、ジェイが行きたいというから俺も参加するという事だったんだ。俺一人で参加するつもりはない」
「勘弁してくれよ~。アレクが来るって、楽しみにしてる人も多いんだしさ~」
「それはそっちの都合だろ」
アレクは海軍のエースパイロットとしてかなり有名だ。
国内では英雄視されていて、彼とお近づきになりたい人は後を絶たない。
だがアレクはかなりの社交嫌いで、滅多にパーティーなどには出席しない。それが兄主催のものであってもだ。
今回、ダニエルは「将を射んと欲すれば……」ということで、まず彼の恋人の参加を取り付け、アレクに出席せざるを得ない状況を作ったわけなのだが。
すべての事情を知るメグは、こらえきれなくて、くすくすと声を押し殺しながらも笑い出してしまった。
この兄弟の会話は、いつも楽しくて面白くて、冷たいようで愛があって、メグは密かに気に入っている。
「兄さんの作戦は失敗だということさ」
メグにちらりと視線を向け、アレクも口元に微笑をうかべた。
「参ったなぁ。でも、ここにきて帰るっていうのは、ちょっとひどいよ」
上目遣いに「恨みます」という目で見てくるダニエルに、アレクは微笑を深くする。
「なら、俺一人で参加しろって? それこそ、あんまりな仕打ちじゃないか」
確かに、パートナーなしで参加しようものなら、アレクはたちまち幾重もの人垣の中に閉じこめられるだろう。
そうでなければ、次々と相手をかえながらダンスフロアを踊り回るしかない。
「あなたの負けですよ、ダニエル。アレク、帰りの車を手配しましょうか。あいにく、ヘリは出てしまっているので」
「ありがとう、メグ。ここへは自分の車で来たから大丈夫だ」
なごやかに会話する二人を、ダニエルはなにやら意味ありげな顔で見比べていたのだが、突然にやりと口の端を上げた。
「パートナーがいれば、参加してもいいよな。アレク」
「そんなことは言ってないだろ」
即座に否定したアレクの肩を、ダニエルはしっかり抱き寄せると顔を寄せる。
「アレク君。君は僕にはた~っぷりの借りがあるんじゃなかったのかなぁ。うん? ちょっとパーティーに顔を出して、お兄さまの顔をつぶさない程度のご奉仕は、勿論、出来るよね」
無言で顔を見返してきたアレクを、ダニエルは逆にしっかりと見つめ返す。
顔は笑っているが、勿論、目は真剣だ。
「兄さん……。勘弁してくれって」
「大丈夫。ジェイには知られないようにするから」
「そういう問題じゃなくてさ」
「パートナーがメグなら、文句ないだろ?」
いきなり話をふられて、メグは驚いて目を瞬いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「メグ。お願いだから、助けると思って!」
ダニエルはメグの前で両手を合わせると、深々と頭を下げる。
仕事に関係ないとはいえ、上司にこんな風に頭を下げられるのはやはり困ってしまう。
ちらりと視線を上げると、ダニエルの背中越しにアレクと目があった。
アレクは仕方がないという顔で、肩をすくめている。
これはどうやらOKするしかない状況のようだと、メグはため息をついた。
「……わかりました。でも、これっきりですよ」
「ありがとう!」
ぱっと輝くダニエルの笑顔に、ダニエルにしてやられたことをわかってはいても、どうしても腹を立てることは出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます