ヴァイオレットは休みたい。
@sese1025
第一章
絶対命令
春の温かな陽だまりが降り注ぎ、柔らかな風が吹きつける、ある五番目の月の昼下がり。
窓の外には我が家自慢の庭園に美しい花々が咲き乱れ、雲一つない青々とした空がどこまでも広がっている。
しかし、胸が弾むような心地いい天気とは対照的にわたしの心はどんよりとした暗雲に侵食されていくかのように、影を落としていった。幸いにも、魔法を習い始めた頃から表情に気を使うよう教えこまれていたので、動揺していることにはおそらく悟られてはいないだろう。
わたしは気持ちを落ち着かせるために首元のネックレスに触れ、目の前で大量の書類に目を通したり何かを書き込んだりと忙しそうにしている、父のエドワード・デオールに問いかけた。
「・・・父様、先程のあの発言はどういうことなのでしょうか?」
普段のわたしなら、父様の邪魔にならぬよう、執務室の中ではほとんど言葉を交わさない。決してわたしから口を開かないようにしている。そんなわたしが自ら父様に、しかも執務室の中でこうして何かを問いかけたのはおそらく今日が初めてだ。
わたしは別に、父様が一時間ほど前に口にした発言の意味がわからなくて彼に問いかけたのではない。きちんと理解していた。だけどわたしには父様の発言は受け入れ難いものだった。
父様はちらりとわたしを一瞥し、いつもの仕事中の時のように、淡々とした口調で言った。
「どういうことも何も、お前もあの場にいたのだから話は聞いていただろう。そのままの意味だ。依頼主の前で妙な言い回しなどしない」
「ですが、父さ──」
「これは命令だ、ヴァイオレット」
わたしの声を掻き消すように発せられた冷ややかな声は、いつも不器用でありながらも温かな声で話してくれている父様から出たとは思えないほど冷めたものだった。
わたしは口を噤んだが、それでも父様が考え直してくれるかもしれないという淡い期待を捨てきれず、彼の気迫にうろたえながらも口を開いた。だが、わたしの口からは弱々しい声しか出なかった。
「しかし父様、わたしは──」
「もう決まったことだ。それにタトラス魔法魔術学校は世界屈指の名門校。なんの不足がある?」
必死に食い下がるわたしに機嫌を損ねたらしい。父様の口調が少しだけ刺々しいものとなった。
たしかに、父様の言うとおりだ。
タトラン魔法魔術学校は、大国であるクランカール王国一の魔法学校だ。世界レベルで見てもトップクラスに入るほどの名門校で、生徒はタトラン生というだけで人々から尊敬と憧れの目で見られる。
わたしは自分が我儘を言っていることは理解している。それでも。
「不足などありません。しかし・・・」
それでもわたしは父様に考え直してもらおうと必死に考え、言葉を詰まらせた。
・・・わたしはできるだけ人と関わるのを避けてきた。その事情も、理由も父様はよく知っているはずだ。
父様が何を考えているかはよくわからない。何か意図があってのことかもしれない。だけどそれが何であってもおそらくわたしはその理由にはなっとくしないとおもう。
「はあああ・・・」
父様のわざとらしい溜息にわたしは無意識に顔を強ばらせた。沈黙が流れ、背中に嫌な汗が伝う。
「同じことを何度も言わせるな。それとも、私の命令が聞けないと?」
父様の機嫌がどんどん悪くなっていくのがわかった。父様に睨まれて萎縮する。
父様は身内──つまり、母様やわたしのことを溺愛している、らしい。周りの人間が見れば父様はわたしたちにはものすごく甘い人物なんだそうだ。たしかに大切にされている実感はあるし、父様は母様のことが大好きだし、わたしにも厳しくなる時はあるが普段はかなり優しい。しかし仕事の話になると性格が激変するのである。今わたしが父様に向けられているのは、父親が娘に言い聞かせるようなそんな生易しいものじゃない。上司が部下を諭しているかのような厳しい目だった。
部下に有無を言わせぬような鋭い視線にわたしはまずいと思い、即座に謝罪と否定をする。
「いえ、父様。そのようなことは決してありません。身勝手な発言をしてしまいました。申し訳ありません」
父様を怒らせるのはまずい。なぜならものすごく怖いから、本当に。普段穏やかな人ほど怒らせると怖い。本当に怖い。大事なことなどで執拗いようですがもう一度言いますよ、普段穏やかな人を怒らせるのはバカがすることです。
わたしの緊張が伝わったのか父様は困ったように表情を弛め、それから咳払いを一つした。
「ではヴィオラ。二週間以内に準備を整え、タトランへ向かいなさい」
「・・・はい、父様」
わたしは今のこの感情が表情に出ないよう、静かに返事をした。
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