ある大学生の散文的エッセイ。もしくは独白。
春菊 甘藍
過去
小学生の頃は、普通ではない人に憧れていました。
自分は特別なのだと、そう思いたかったのかもしれません。同級生に一人、すごい優秀な子がいまして。祖母によくその子と比較されてはモヤモヤとしたものです。
私が幼い頃、父は定職についておらず浪費家でもありました。
お金の事でよく母と喧嘩になって、私は泣いたのは今でも忘れません。
この頃はまだ父も母も大好きでしたから。
暴力を少々、母方の祖母の家に預けれるている時間が多かった気がします。そこで同い年の従兄弟と知り合い、よく遊ぶようになりました。
私が五歳の頃、妹が生まれました。
言葉にしがたい嬉しさがあった事を覚えています。この頃は父も落ち着いていた気がします。
両親に構ってもらえる幼い妹に、少し嫉妬したような気もします。でも当時はその感情が何なのか分からず、歯ぎしりをして耐える事しかできていませんでした。
ある夜。
キッチンでまた金の話でもめた父母。
口汚く罵る母。
沸点に達した父が母の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけていました。
幼い私にはどうする事もできず、ただ泣き叫び。
父の暴力に抵抗する母。
母の涙を、この時初めて見たました。
何時になっても止まない妹の泣声に起こされ、自宅一階に降りました。
頭から血を流しながら泣き叫ぶ妹。それを庇うようにしてうずくまる母。母を見下ろすように経つ父の姿。
喧嘩の仲裁にはいろうもの、その時はまだ私は無力で。電話で母方の祖母に助けを求めました。
「ありがとう。(私の名前)に命を救われたわ」
その言葉に何か引っかかりを覚え、私はこの時を境に父と
私が小学校に上がった頃、父は定職に就く事ができました。浪費癖はそのストレス故か酷くなりましたが……
この頃から、父方の祖母と同居することとなりました。
父方の祖母は厳しい人でした。
あの父が生まれてきたとは思えない程に。
正直、今思うと祖母は頭のおかしい人でした。
複数の宗教にハマり、嫌がる私に複数の習い事をさせ友達とも遊ばせて貰えませんでした。
「お金払っているのに」
習い事を嫌がると決まってそう言いました。
「こんな事もできないのか?」
宿題の問題を間違える度に言われました。夏休みの宿題、絵日記にまでけちを着けられ、泣きながらやり直しさせられました。近所の優秀な事比較され、罵倒され。今思えばこの頃から私はゆっくりと歪んでいった気がします。
この頃、私には親友がいました。
私が一番辛いとき、いつも口を最後まで聞いてくれました。時間が許す限り一緒に遊ぶ、本物の親友でした。
コイツに誘われ、進学校の公立中学受験をする事になりました。でも習い事で週の予定はいっぱい。塾に行く余裕も無く、過去問と赤本だけで勉強していました。
中学に上がる前、私の親友に不幸事が。
悩んでる友人に何も出来ず、無力な自分が死ぬほど嫌になりました。何か出来ないか?足りない頭で必死に考えました。
季節は巡って春。
親友は受験に落ち、私だけが受かりました。
いざ上がった中学では、塾ごとにもうコミュニティができていて、またその頃からSNSも浸透してきました。スマホやアプリが話題の中心。
スマホも持てなかった私はあっという間に孤立しました。また進学校で部活も半強制だったため、陸上部に入っていました。
部活の先輩に一人、癇癪持ちが居て成績的にもあまり良くなかった僕はイジメの対象になりました。とはいえ、私自身が暴力は得意だったため直接的なものではなく靴を隠したり、ゴミを靴箱に入れたりといったショボいモノ。
雨の日に、部室の外に閉め出されたのですが流石に限界がきてドアを蹴破って以降は落ち着いていきました。
また家に帰れば、
「金が無い、金が無い」
うわごとのように呟く母。癇癪であたり散らしてくることもしばしば……金銭的に負担の掛かる修学旅行を諦めようか、本気で考えて居ました。
度重なるストレスでしょうか。
食べ物が喉を通らなくなりました。突発的な頭痛や吐き気が襲ってくる日もありました。中学二年から三年にかけてのことです。
この頃からうっすらと
『早く死にたい』
そう考えるようになっていました。
でも高校に上がり、生活環境が変わって少し前向きになって。好きな子ができたのもあったかもしれません。
そんな時に、父が借金を隠していた事が発覚。父方の祖父にもバレ、家族会議に発展。昔気質の祖父は、父母を正座させ叱責。自分の両親の情けない姿。またその血引く自分に吐き気がしました。
好きな子に告白し、連絡先をゲットしても自分自身を肯定できず何時しかフラれてしまいました。迷惑ばかりかけ、申し訳なかった……
ですが曲がりなりにも成長していた私は心機一転。生徒会に入り、部活にも打ち込みそれなりに自分を認められるようになってきていました。
全くもって私自身の単純さには辟易としますが、また好きな子ができたのです。
何というかその子は悩み多き子で、相談事を聞いたりそいている内に、その考え方に惹かれて行きました。
その子はいわゆる『パパ活』をやっている子でした。
その悩み、心をどうにか救えないか模索して深夜の急な電話も出たりして相談に乗ったりなんかも。
簡単な事ではなかったけれど、応援してくれる友人がいました。
ある日、彼女から深夜の電話。
何かあったのか、その声は泣きじゃくっていて。
「私の事、抱いてくれる?」
彼女の悩みを知っていて、その身体に触れる事は心を蹂躙する事。裏切りのようにも思えてしまい、それでは彼女が余りにも報われないじゃないか。そう考えて、
「できない」
出した答えは、
「紳士だね」
吐き捨てるような彼女の言葉に否定された。
それから一週間後、彼女には彼氏が出来たようでした。私を応援してくれていた友人でした。
彼女の悩みを知って、私にできなかった選択をして
「偽善者が」
私を、見下していました。
その言葉に、友情も恋慕も全て全て裏返って。
でもそんなことがあっても彼らの事が大事で。
グチャグチャになった感情を整理できずに、完全に狂いました。
相変わらず家庭の方もよいとは言えず、精神は蝕まれ度々家出をしました。以前は憎んでいた暴力も、いつしか自分が親に振っていました。
大学も金銭的に諦めるか、行きたい学部も無い地元国公立大学へ奨学金で行くしかないことを高校に入った段階で言われていたこともありました。
行きたい大学のパンフレットを親に見せた時、当然のように
「は? そんな金ないけど」
そう恥ずかしげも無く言い放った父も母も私立文系を出て、一人暮らしもして両親に迷惑を掛けてる筈なのに。親孝行ばかりを状況的に強要され、私の良心につけ込む親が果てしなく大嫌いでした。
その不公平に、もう自分が何をしたいのか分からなくなってしまいました。
見ないように目を背けていたのです。
自分が、自分の家族がおかしいこと。
周りの友人の話す将来や家庭のギャップに両親への憎しみが積もっていきました。
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