・いざジャパンダービーへ! だけど飛行機だけは勘弁な……?

 6月上旬――ついにジャパンダービーの月がやってきた。

 俺はシノさんの軽トラにドナドナと揺られて飛行場に向かい、トーキョ行きの飛行機に乗った。


「またあなたですか……」

「おう姉ちゃん、俺を覚えていてくれたのかよ、嬉しいねぇ」


 飛行機は嫌いだ。飛行機は怖い。今度もまたタルトに散々脅かされた俺は、狭い座席で小刻みに震えながら青ざめていた。

 すると隣の通路側に、見覚えのあるフライドなんたらさんが立っていた。


「忘れるわけないでしょ、バーニィ・リトー騎手」

「へぇ、アンタ俺のこと知ってたのか?」


「違います。地上波で客室乗務員のお尻を触ったと、そうカミングアウトしたバカなジョッキーがいたって、同僚から聞いたんです。そしたら……」


 そしたらやっぱりお前だったと指を指された。


「はははっ、こっちの世界じゃこういうのは許されねぇらしいな――痛っ?!」


 死角から狙ったつもりだったんだが、尻に伸びかかった手は手刀により打ち落とされていた。


「いてて……酷ぇな、姉ちゃん」

「3アウトです。訴えます」


「けどなぁ、その頃には俺ぁもうこの世界にはいねぇしな」

「ぇ……っ?!」


 そうか、このお姉ちゃんとももうお別れか。

 帰る前にもう一度、成熟したこのむっちりとした尻を触りたかったな……。


「いつもありがとよ、姉ちゃん。アンタ、良い尻してたぜ。お迎えがきてもアッチで語り継ぐことにするわ」


 しかし、なんか言葉を間違えたのだろうか……?

 フライドなんたらさんは、らしくもなく矛を引っ込めてしんみりし始めた。


 俺と会えなくなるのが、そんなに寂しいのか? だとしたら悪い気はしねぇな!


「……わかりました。触っても良いです」

「へ……?」


「良いっていってるんだから、好きにして下さい……。さあ、ど、どうぞ……」

「んじゃ遠慮なく」


 人目を気にしながら、お尻を突き出してきたので俺は迷わずそれに触れだ。

 だがなんかこれは違う。相手がやけに素直だと、なんか楽しくねぇ……即飽きた。


「元気が出たみたいでよかったです。お茶をお持ちしますね……」

「あ、ああ……ありがとよ?」


 その後もフライトポテトちゃんは、なぜか俺にやさしくしてくれた。

 なんか拍子抜けだが、これっきりだと思うとそのやさしさが嬉しかった。



 ・



 空の旅を終えて、トレーニングセンターにてオニゴロシと再会した。


「バーニィ! 全然会いにきてくれないから寂しかったよぉー!」

「悪ぃな、俺ぁ飛行機がどうしてもダメでよ……。会えて嬉しいぜ、オニっ子」


 あと調教師のおやっさんにもだ。


「よう、馬たらし。俺たちで持久力が付くよう調教しておいたが、後の仕上げは任せるぜ。細かいケアはこっちに任せとけ」

「助かるぜおやっさん。コイツを2400mを走りきれる身体にしねーと、何も始まらねぇからな」


 ダービーまであと10日ほどだ。少しでも距離適正を伸ばそうと、今日から厩舎に泊まり込みの特訓に入った。



 ・



 それから5、6日が経ったある日、あのタマキさんが厩舎に飛び込んできた。

 その顔は硬く血の気のない蒼白そのもので、加えてよっぽどショックなことでもあったのか、声まで震わせていた。


「バ、バーニィくんっ、ガンを患っているというのは本当かねっ!? 医者はなんと言っているのだね!?」

「……は?」


 タマキさんも老齢だ。ボケはある日突然にやってきて、あっという間に人格を破壊する。

 いぶかしむ俺の態度に、タマキさんはホッとため息を吐き出していた。


「バカ言わないでくれタマキさん、俺のどこが鳥に見えんだ?」

「む、むぅぅ……。いつもと、変わりないようだね……?」


「そりゃそうだ。そっちこそ急にどうしたんだよ?」

「そうか……あれは、ただの飛ばし記事だったか……。ふぅ、心配させおって……」


 よくわからんが、俺の無事を心から喜んでくれていた。

 これから俺は厩舎の馬の調教を手伝うことになっているのだが、これはそうもいかなそうだった。


「いやなんの話だ?」

「ダービーが終わったら、しばらく旅に出ると君は言っていただろう……」


「俺はこっちの世界の人間じゃないからな、元の世界に帰るんだ」

「国に帰るなんて言わないでくれ。ビザなら先生方に相談して私がどうにかするから、私とシノくんのために、ジャパンに残ってくれないかね……?」


「いや、そうもいかねぇんだ」

「そんな、このまま引退するなどあまりに惜しいよ……。ああ、それよりもこれを見たまえ」


 それは週刊誌というやつだ。これはエッチなおねーちゃんが載っているやつでな、へへへ……っ、タマキさんも紳士ぶってる割にお好きなようで。


「どこを開いている……そこではない、このページだよっ、よく見てくれたまえ!」


 この世界は最高だ。エッチなお姉ちゃんがカラーで見放題だ。これに慣れちまったもう終わりだ。裸婦画なんて見れたもんじゃねぇ。


「んん……不敗の天才ジョッキー・リトー氏、フライト中にガンをカミングアウトする……? その頃には、もうこの世界に俺はいない……?」

「バーニィくん、念のため確認するよ。これは、事実なのかね……?」


「あーー……あんときか。それであのねーちゃん、俺にやさしかったのか。なんか悪いことしたな……」

「どういうことだね?」


「こりゃ言葉のあやだ。元の世界に帰るって言ったつもりが、勘違いさせちまったみたいだ」


 するとやさしい老紳士は、やっと胸のつかえが下りたと言わんばかりに胸を押さえて、また深く深く安堵していた。

 この爺さんも良い人だ。別れるのが惜しいな……。


「まぎらわしいことをしないでくれ、バーニィくん……」


 タマキさんの返事は押し潰れたような小声だった。

 こりゃ、悪いことしちまったな……。


「悪ぃな、タマキさん。何度言っても信じてもらえねぇからもう一度言うが、俺ぁ、別の世界からきた騎士なんだわ。……一度あっちに帰れば、またここに戻ってこれるかもわからなくてな。だから世話になったアンタに、ダービー制覇の栄光をくれてから帰りてぇんだ」


 病気を疑われて週刊誌にすっぱ抜かれたのは、心臓を抱えるタマキさんには悪いが、俺と女神ちゃんにとっては好都合だった。

 騎手の病気が不安視されれば、それだけダービーでの人気が落ちるからな。


「悪い冗談はよしたまえ」

「いやマジだって、信じてくれよ」


「わかった。ジャパンに戻りたくなったら、いつでも私に電話をかけてくれ。知り合いに話を付けて、可能な限りの長期ビザを通してみせるよ」

「なんか悪ぃな、タマキさん。そんときはぜひ、そのピザ・・とビールで歓迎してくれよ」


「う、うむ……。やはり君の冗談は独特だね……」


 誤解は解けそうにない。むしろ信じてくれるシノさんやタルトの方が少数派だろう。


「せっかくなんで、調教でも見ていきますか?」

「うむ、そうしよう。それにしてもよかった、はぁ……くれぐれもワシより先に死なんでくれよ、バーニィくん」


「そりゃこっちのセリフだぜ、タマキさん」


 タマキさんという思わぬゲストに見守られながら、俺はその日もオニっ子の調教を進めた。

 少しでも持久力を付けてもらおうと、ややスパルタ調教気味に芝のコースを長く走った。


 自分の馬を見ているときのタマキさんは、こんな俺が言うのも変な話だが、子供みたいでかわいい爺さんだった。



 ・



 かくして10日間の調教が終わり、堂々の五木賞馬メイシュオニゴロシ号は急成長した。


――――――――

【馬名】メイシュオニゴロシ

【基礎】

 スピードA+

 スタミナC+→B+

 パワー B

 根性  B+→A

 瞬発力 S →S+

【特性】

 シルバーコレクター(2着に入賞しやすい)

 追い込み巧者

 騎馬槍術適正◎

 騎馬射撃適正○

【距離適正】

 1300~2100m

  → 1300~2300m

――――――――


 本場入場で、五木賞馬にまたがって弓を放って見せたらスタンド席の連中にウケるだろうか。


 2400mあるジャパンダービーで走るには、オニっ子の距離適正が100m足りていないが――100mほどならばペース配分次第でどうにかなるはずだ。


「がんばろうね、バーニィ」

「おう、お前さんをダービー馬にしてやるからどんと構えてろ」


「うん! バーニィと一緒なら負けるはずないよっ!」

「その意気だ、強気に行こうぜ!」


 さあついにダービーだ。

 全サラブレッド最強の栄光を求めて、俺たちはラストランに向けて走り出した。

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