第16話 やはりロマンスの神様に嫌われている

「よし、できました!」


 笑い倒した後の睦美は絶好調で、筆の運びも速かった。


《ビリィッ!》


 するとその刹那、目の前に大きな箱が出てくる。そして弥生はその中にいそいそと入っていった。


「……個室トイレ、必要だよな」


 そう、この箱は個室トイレだ。トイレットペーパーも付いているらしい。【魔法の執筆セット】があって、本当によかった。


「そ、そうですねっ。お役に立てて光栄です……」


 下を向きながら、おどおどした口調で言う睦美。


「……なんか、睦美さんって謙虚すぎない?」


「えっ、あっ、いえ、そんなこと……」


 会話が苦手なことは分かるが、流石に度がすぎる。自己肯定感があまりないのだろうか。


「そう言えば睦美さんって、何年生? 俺と弥生は高1だけど……って、もしかして先輩ですか?」


 高校生のような気はするが、同学年だという保証はない。先輩なんだとしたら、敬語を使わなければいけないということに、今更ながら気が付いた。


「こ、高1です……」


「あ、なんだ。同じか」


「す、すみません。私なんかが同じ学年で……」


「それ謝る必要ある!?」


「あ、謝ってしまってすみません……」


 うーん、これ以上続けても同じことの繰り返しになりそうだ。


「そこまで卑屈にならなくても……これから暫く一緒に過ごすことになるんだし、俺としてはもう少し距離を詰めて欲しいかな」


「は、はい……失礼します……」


 睦美は一歩こちらに歩み寄った。


「あ、そうじゃなくて」


 物理的な意味ではなくて、心理的な意味なのだが……。


「え、あ、もっと……ですか?」


 そう言って、ピタリと真横に立つ。


「だから、そうじゃなくて──」


「こ、これ以上はどうすれば……」


 あたふたした挙句、なにかを決意した顔になり、


「し、失礼します……!」


 右腕に抱きついてきた。右腕が柔らかい二つに包まれて幸せ──じゃなくて!


 コミュ障童貞には刺激が強すぎる……!


 海斗が言葉を出せずにいると、


「す、す、すみません! 気持ち悪いですよねっ、あ、あの、はわわ」


 いえ、とっても気持ちいいですが。


 動揺し始める睦美。離れるべきか、くっついているべきか、迷っているらしい。


「い、一回落ち着いて」


 なだめると、睦美は一度動きを止める。


「あの……睦美さんはなんでそこまで自分を卑下するの?」


 意識を豊満な双丘から逸らすため、とりあえず会話を続ける。


 すると、睦美は目線を逸らしながら、ゆっくりと語りだした。


「……私、小説を書くのが趣味ですけど、それ以外はからっきしで。でも、小説を書いていてもプロにならない限りはなにも生み出さないんですよ。お腹の足しにもなりませんし、多くの人に感動を届けることもできません」


 そもそも感動させられるような作品を書けるかも分かりませんけどね、と自虐的に笑った。


「だから……いつも思うんです。小説を書くのも趣味の範囲で、それ以外のことは全くできない。これって……私、生きている意味あるんですかね……?」


 遠い目をして、そう呟いた。


「……あるよ」


「……え?」


 睦美が目線をこちらに向けてくる。


「あるよ、生きる意味」


「で、でも……私はつまらない小説を書くだけの無駄な人間です……」


 睦美は頑なに自己否定を続ける。海斗はその様子を見、少し間を空けてから再び口を開いた。


「イワシって魚、知ってる?」


「? イワシ……はい、食べたことありますけど……」


 突然の展開に戸惑いながら答える睦美。しかし、海斗はそれを無視して続ける。


「イワシって、漢字で書くと『鰯』。魚へんに弱いって書くんだけど、見ての通りとても弱い魚なんだよね。釣れてもすぐに死んじゃう」


 黙って話を聞いている睦美。


「でもさ、イワシって大型の魚とかに食べられたりするから、イワシがいなくなると多くの魚が困るんだよね。もしかしたら絶滅するかも」


 つまりさ、と海斗はまとめに入った。


「弱いからといって、無駄じゃない。皆必ず誰かとの関わりの中で生きてるし、誰かが欠けたら他の誰かが困る。無駄なものなんて一つもない。それが自然の摂理ってもんだよ」


 睦美の存在意義はある。森羅万象の全てに、必ず価値がある。


「なら、私が欠けたら誰が困るんですか……?」


 海斗は自信を持って答えた。


「少なくとも俺はめっちゃ困る。睦美さんの文章力のおかげで生きてるし。【魔法の執筆セット】が使えなかったら余裕で死んでるから」


 海斗は竿を見てから、もう一度睦美と目を合わせる。すると睦美はその視線から逃げるように、海斗の腕に顔を埋めた。これは……言いたいことが伝わったと捉えていいのか。


「──なんかいい雰囲気のところ申し訳ないけど、私いるからね」


 弥生が少し離れたところで壁に寄りかかって、話しかけてきた。


「あれ、トイレは?」


「終わったら自動で消えるみたいね。使いたいときは念じればまた出て来るらしいわ。あと女子に向かってトイレの話題を振るのは最低よ」


 そう言いながら近づいてくる。弥生の視線は、海斗の右腕にしがみつく睦美に固定されていた。


「……すけこまし」


「え? なんか言った?」


「……別に?」


 弥生はぶっきらぼうに言い放ち、海斗の前を通り過ぎて、奥に進んでいく。


「お、おい。どうしたんだよ」


 海斗は足早に追いかける。睦美は歩く時にしがみついているのは邪魔だと思ったのか、一度離れて海斗の袖を掴んだ。そして海斗に合わせて小走りする。


「どうしたって、奥に進むのよ。もう安全地帯はなくなっちゃったんだし、出口を探すしかない。違う?」


「いや、それはそうだけど。なんか……機嫌悪くないか?」


「そうね。とても機嫌が悪いわ」


「どうして?」


 弥生は睦美を一瞥するも──溜息をつく。


「それを言う資格は私にはない」


「どういうこと?」


「……睦美はともかく、私は全然活躍してない。文句を言える立場じゃないことくらい、弁えてるわ」


「なんで睦美さんが出てくるんだ?」


 睦美も首を傾げたが、すぐに弥生の気持ちを見抜き、海斗から離れた。


「え? ……え?」


「海斗は気にしなくていい」


 事情を知っていそうな睦美に聞こうとするも、「なんでもないです」とはぐらかされてしまう。二人とも、どうしたんだろう。


 妙に気まずい空気の中、三人は奥へと進んでいった。

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