第3話 スマホを抱えたウサギさん(仮)

「おーい! 誰か──」


「──いやああああああっ!? 私、本当に魚とか無理だから!」


 向こうから光が近づいてくる。海斗は奥の方を見てみると。


 そこにはスマホのライトで前を照らしながら、全力疾走する少女。海斗と同じくらいの年齢だが、うさ耳のついた全身もこもこパジャマだ。洞窟内で見ると場違い感が否めない。


 しかし、それよりも違和感を覚えるのはその後ろ。巨大なタツノオトシゴが槍を抱えて追ってきているのだ。追っているといっても、足があるわけではなく、空中を泳ぎながら移動している。どんな原理で浮いているのかは謎だ。


「えぇ!?」


 海斗も駆け出す。マグロの次はタツノオトシゴか。なんでこんなに魚難が続くんだ。


 悲鳴をあげる少女の前を走っていると、先程の円状の部屋に着いた。


「こっち!」


 海斗は少女を誘導し、まだ入っていなかったもう一つの道に飛び込む。


 未知の場所に逃げ込むのは躊躇ったが、一番最初に通った道は一本道。隠れる場所もなく、体力を消耗して確実に追いつかれてしまう。だから多少のリスクを背負ってもそこに向かうしかなかったのだ。


「ん、あれは?」


 入り口に入ってすぐ、壁の一部が階段になっていた。それは天井の小さな穴まで続いている。あそこに入ればタツノオトシゴのサイズで通り抜けることはできないだろうが……。


 迷ったものの、このルートも基本一本道のようで、そこに逃げ込む以外の選択肢はなさそうだ。


 海斗は階段を駆け上り、穴に飛び込む。遅れて、大声をあげながら少女が到着──と思ったが、階段の途中で転んでしまった。


「危ない──!」


 タツノオトシゴが槍を構えると同時に、海斗は上半身を穴からだして少女のうさ耳を掴む。そして槍が飛んできた瞬間、一気に引き上げた。


 槍の切っ先は狙いを外し、少女のお腹すれすれを掠った。


「ひゃあ!?」


 間一髪の回避。少女はもう涙目だ。


 そのまま少女は海斗の上にドサッと覆い被さる。着地失敗。


「いってて……」


 ライフジャケットが衝撃を吸収してくれたとはいえ、人に勢いよく押しつぶされればそれなりに痛い。


「……もう、最悪……酷い目に遭ったわ……」


 少女は海斗の上でゆっくりと身体を起こす……が。


「えっ……?」


 事件発生。パジャマの前面が大胆にオープンしていたのだ。具体的には、みぞおちの上からへそ下まで。さっきの槍で裂かれてしまったのだ。


「きゃああああああああああああああああ!」


 海斗は理不尽にも平手打ちを食らい、少女は腕で胸元を隠したまま、壁際まで後ずさり。


「最低! 不潔! 破廉恥!」


 少女は容赦なく海斗を罵倒する。いちおう命を助けた恩人なんだが……。


 しかし、こういう時の言葉選びは慎重にならなければいけない。ここで変な言い訳をするとボコボコにされかねないのだ。


 だが海斗は普段、あまり女子と話すことがない。なんて言うのが正解なのだろうか……。ちなみに、男子と話す機会すら少ないのは秘密だ。


「え、えっと……」


 海斗が導いた答えは。


「肌、綺麗だね」


「死ねえええええええええ!」


 少女は片手に持ったスマホを投げつけ──ようとしてそれは流石に止め、代わりの手頃なものを投げようと周囲を見渡すも──見つからず。


「もうっ! 死ねっ! 死ねっ!」


 結果、罵倒するに落ち着く。いや、落ち着いてはないのだが。


「ごめん。弁償するから……あ、今はお金持ってないわ」


「そうじゃないでしょ!? 私そこに怒ってないから!?」


 怒りのボルテージは上がっていく……かと思いきや、少女はすぐに落ち着きを取り戻した。


「……ごめん。ちょっと私、取り乱したかも」


 海斗の弁償発言に呆れ、逆にそれが彼女の頭をクールダウンさせたらしい。


「うん。俺もなんか、ごめん」


 互いに謝って、静寂が訪れる。……気まずい。


 海斗はとりあえず、周囲の状況を確認し始めた。


 四方を壁に囲まれている部屋。タツノオトシゴとかエリマキトカゲとか、その類はいない。つまり、今のところここは安全ということになる。天井も充分な高さがあり、快適に過ごせそうだ。


「うぅ……さむ……」


 少女は体育座りをして、蹲っていた。


 そう言えば、空気が少し冷たい。海斗は厚目の長袖長ズボンでブーツを履き、さらにはライフジャケットを着用していたため気付かなかったが、確かに春にしては寒いかもしれない。海斗も、釣りでないならここまでの厚着をする気はなかった。だが、たまたまここに閉じ込められ、ちょうどいい服装になったのである。こんなに寒いのは、洞窟の中に太陽光が届かないからだろうか。


「あの……服、直そうか?」


「は? 裁縫セットとか持ってないけど?」


 他人の厚意にここまで攻撃的な口調で応えるとは思わず、海斗は少し眉をひそめたが、続ける。


「釣り針と釣り糸で応急処置くらいならできる。破れたままだとお腹冷えて体調崩すよ?」


「つ、釣り針って。魚が口に入れたもので縫われるわけ? それは気持ち悪いんだけど」


 ムカつく気持ちをグッとこらえる海斗。


「もちろん新品のやつ。それなら問題ないでしょ?」


「うん……まぁ、それなら」


 なぜか施しを受ける側が渋々といった態度をとる。そうとう気が強い少女らしい。


 海斗は近づいていって、服の破れた箇所を確認した。目算で必要な糸の長さを割り出し、ポケットから巻かれた糸を取り出す。とりあえず伸縮性のあるナイロン製のもので、4号と呼ばれる太めのサイズの糸を選択した。後で糸が切れたら、少女もまた別の意味でキレるだろうからだ。


 針はそこまでこだわる必要がないので、適当なものを選ぶ。また、それを外掛け結びという方法で結び、糸のもう一端を玉結びして、とりあえず即席の裁縫セット完成。


 そして海斗はその針を近づけ──


「ちょっとあんた、どさくさに紛れて触ったりしたら殺すわよ」


「触らないよ」


 溜息交じりに返答する。触るほどの胸はないくせに……と言ったら殺されるか。


「ふーん、どうだか」


 最後まで嫌な言い方をする奴だ。よっぽど縫うのを止めようかと思ったが、今は不本意にも仲間として共に生き抜くしかない。一人でいるよりも生存確率が上がるからだ。だから、少女に腹を冷やして倒れられては困るのだ。


 海斗は服に手をかける。肌触りはいいが、確かに生地が薄い。これでは着ていても寒いだろう。もしかしたら寒いせいで機嫌が悪くなっているのかもしれない。そう思うと、海斗は少しだけ同情した。


 海斗は黙々と作業を進める。裁縫は家庭科で少しかじった程度だが、糸を扱うのは慣れているため、それなりに自信はある。持ち前のセンスで、テキパキとこなしていく。


「……よし、終わった」


 最後に玉留めをし、ライフジャケットに付けていたミニ鋏で糸の切れ端を切った。


「えっ、もう?」


「うん。これでマシにはなったと思うけど……」


 少女は服の破けていた部分をさすり、完全に塞がれていることを確認すると、


「……やるじゃん」


 意外にも賞賛の言葉が返って来た。


 海斗は面食らい、リアクションのタイミングを失ってしまう。それを誤魔化そうと、ポケットからなにかを取り出した。


「これ、あげるよ」


「……カイロ?」


 海斗が差し出したのは使い捨てカイロ。これは夜釣りをするときや、風が強い時に手がかじかんでしまうため、常備しているものだ。あると中々便利だが、洞窟内は風もなく、昼夜問わず気温も一定のはずだから、これは少女にあげるべきだ。


「……ありがと」


 急にしおらしくなった少女を海斗は不審に思ったが、彼女の顔がほんのり赤みがかっていたのは、薄暗くて気付かなかった。

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