Four Seasons

 今朝、夢を見た。


 その夢の中で僕と男の子――誰かは覚えがなかった――は寝坊をしていた。


「もう、なんでお前寝坊してるんだよ」


 彼は僕に悪態をついていた。


「僕だってたまには寝坊するよ。兄さんがいっつも寝坊してるのが悪いんだよ」


 僕も反論する。

 ”兄さん”らしい。

 その後もあーだこーだ言い合いながら学校の準備をしているとお母さん(だと思う)が部屋に来た。


「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと準備しなさいよ!遅刻するよ」


 彼女はそう呼びかけ、お弁当を渡してくれた。

 そこにお父さん(のはずだ)が助け船を出してくれる。


「仕事行くついでに送っていくよ」


 と。



 どの家庭でもある朝の日常。



 まるで、空にある雲のようにゆっくりと時間が流れていて、

 とろけるように優しくて、

 泣きたいくらい幸せで。




 ――そんな、残酷な夢だった。







 窓の外からの暖かい光が部屋を明るくしている。

 明るい、というか眩しい。

 カーテンを閉めようと外を見てみると目の前に今にも破裂しそうなくらい大きくなっている桜の蕾があった。


 結局カーテンを閉めずに、それを観察しながら朝ごはんを食べていると、看護師さんが部屋に入ってきた。


「おはよ、調子どう?」


 僕はコーヒーを一口飲んでから答えた。


「変わりなし、って感じです」


 そっかあ、と看護師さんは頷く。


「朝ごはん食べたら診察、行こうか」

「分かりました。いつもの部屋で?」

「うん、急がなくていいから。よろしくね」


 それだけ言って、その後少し部屋を掃除してから、看護師さんは去っていった。




 朝ごはんを食べ終わって、診察室の前にある待合室に赴くと、先客がいた。

 右目に包帯を巻き、その上から赤いふちの眼鏡をかけた少女だ。


「ずいぶん早いんだね、ウルトラセブン?」


 僕が話しかけて、彼女の隣に座ると彼女は甲斐甲斐しくため息をついた。


「だーかーらー、毎日言ってるけどそのあだ名、やめてくんない?」

「だったら眼鏡つけて来なければいいじゃん」


 僕はさらっと言い返すと、


「そう言われたからこの前眼鏡つけなかったじゃん! そしたらあんた、今度は何? ”ななはえもん”? 何それ、どっちにしろ名前で呼ぶ気ないじゃん!」


 と突っかかってきた。

 僕は面白くなってきて、ちょっとからかってみる。


「え? 本名じゃん? ななはえもんじゃん? 何かご不満?」

「私には岸井七羽っていう親がつけてくれたちゃんとした名前があるんだ! だから断じて! ななはえもんでもウルトラセブンでもないの!」

「やっぱりななはえもんじゃん」

「はぁ? あんた耳ついてんの? この死期デス・ピリオド!」


 なんか生意気なこと言ってきたので否定しておこう。


「はあ? 死期デス・ピリオドじゃないわ、四季フォー・シーズンズのほうだわ! 君、英語できないの⁈」

「あんたの日本語認識能力の欠如よりはマシですー」


 僕が反論をしようとすると、ポンポン、と肩を叩かれた。




「まあまあ2人とも、他の患者さんもいるんだから」


 我に返って周りを見てみるといつの間にか10人くらいの人がいた。

 こっちの方を見て、皆さん温かい眼差しを向けている。

 少し気まずくなって、その人たちに軽く頭を下げてから声の主の方を向く。


「すいません、松村先生」

「うん。まあ診察始めようか。と言っても君たちはだいぶ後の方だから待っといて」

「はい」


 そして先生は僕たちの前を通り過ぎて、診察室に入った。

 入る直前に「静かにね」と口に人差し指を当てた。





 それから僕は、部屋から持ってきた漫画を読みながら待ち時間を潰していた。


 その漫画は、どこにでもいる普通の青年が、数々の仲間に支えられ、成長しながら世界の破滅から人々を救うという、何とも子供っぽいストーリーの物だった。

 それでも僕は、この漫画が大好きだった。

 何度も読み返していた。

 いつの間にか、自分も正義のヒーローになりたいな、とかいう妄想が頭に浮かんできてしまっていて、苦笑する。


 僕はきっとなれないんだ。

 正義のヒーローには。




 部屋に戻ると、先に診察を終えた七羽さんがベッドに脚をぶらぶらさせて座っていた。


「今日は何の用? 別に今はひみつ道具いらないけど」

「いや持ってないし。引き出しから出てきたりもしないし。人を何だと思ってんの?」

「未来から来たポンコツ」

「はあ!?」


 僕はベッドの隣にあるイスに座りながら言ってみる。


「しーっ、隣の部屋には他の患者さんもいるんだよー? うるさくしちゃダメダメ」

「今日のお前が言うなスレはここですかあ⁈」


 七羽さんの声がさらに大きくなった。

 この分じゃ本当に怒られそうなので話を元に戻す。


「で? 用件は?」


 七羽さんは何をどのように言うべきか考えていたのだろうか。少し間をおいてから話し始めた。


「私ね、この前、目の手術をしたんだ。右目に義眼を入れてもらう手術」

「うん」

「それでね、入れてもらった目なんだけど、過去が見えるようになっているはずなの」

「どゆこと?」

「まあ、目と同時に後天的にスキルも移植してもらった、みたいな感じ」

「ほー、何でまた?」

「まあちょっとこの目で見たいものがあるんだ。……それは置いといて、こっからが本題。あんたの過去を見させて欲しい。テストも兼ねて」


 ドキリとした。

 自分の過去が分かるかもしれないという高揚感に、次第に包まれていく。


「ぜひぜひ、お願いします」

「うん、ありがと」


 七羽さんはそう言って右目の包帯を取った。

 じっと僕の方を見つめる。

 そして、何故か驚いたような顔をした。


「え……うそでしょ」


 そう呟くと同時に七羽さんは苦しそうに右手で右目を覆った。


「大丈夫?」

「うん、多分何ともない。初めてだったからびっくりしちゃったんじゃないかな、過去を見るの」


 七羽さんは包帯を目に巻きながら話してきた。


「あんたこそ……大丈夫なの? こんな過去辛くない?」


 辛くない? と言われても……

 知らないから何とも言えない。



 知りたい。

 でも、過去を知るのは怖い。

 だから少し悩んだ。

 そして言った。


「僕、昔のこと何にも覚えてないから。だからさ、教えてくれません? 僕の過去」


 ああ、言っちゃった。

 何を言われるかと身構えていると、


「知らない方が良いこともあると思う」


 と、七羽さんは一言だけ言って、ベッドから立ち上がった。

 そんじゃ、と手を振って彼女は部屋を後にする。

 引き留めようかと思ったがやめておいた。



 過去を知らずに済んでほっとしている自分に気付いて、嫌気がさした。





 辺りが暗くなった。

 僕は部屋がある建物の屋上へ向かう。

 仰向けになって夜空を見てみる。

 最近の日課だった。

 くしゃみが出た。


「あったかくなってきたけど……夜はまだ冷えるな」


 上着を持ってくればよかった、と後悔した。

 夜空の中にはいくつもの星々が見える。

 その中にひときわ明るく輝く星を見つける。



 ポラリス。

 毎日動かないで、他の星の中心になっている北極星。

 北極星は永久に変わらないわけではなく、とても長い時間をかけて他の星へと役割を交代していく。

 例えばポラリスの次に北極星になるのはエライという星だ。

 今みたいにみんなの中心で輝いていられる時間には限りがあるということだ。

 この世界で変わらないものなんて、きっと一つもないのだろう。



 それでも。

 一瞬だけでも。

 僕も誰かの心の中で、あんな風に輝けることができるのだろうか。



 そんなことを思いながら、ひたすらに夜空を見上げるのだ。






 いつの間にか、桜が満開になっていた。


 僕はいつも通り待合室で七羽さんと診察を待っていた。

 しばらく漫画を読んでいると、向かいのソファに新しく患者さんが座ったことに気付く。

 前を向いて確認してみると、風邪をひいたのだろう、苦しそうな娘さんをお父さんとおぼしき男性が介抱していた。

 その後もちらり、ちらりと様子をうかがっていると、急に隣にいた七羽さんが立ち上がった。


「どしたの? ウルトラセブン」


 いつものノリで質問しつつ彼女の方を向くと.


 彼女は、泣いていた。


「ちょっと、トイレ行ってくるね」


 無理に明るい声でそういうと、七羽さんは足早に待合室を出ようとする。


「ちょい待っ――」

「ついてこないで!」


 引き留めようすると七羽さんにきつく言われた。


「……ごめん、ちょっと一人にさせて」


 僕はうん、と間抜けな返事をすることしかできなかった。






 少しして診察の順番が回ってきた。


 診察室に入るなり、僕は、


「なんか七羽さん泣いてどっか行っちゃいましたよ」


 と報告した。


「なにー? 四季ちゃん、泣かせちゃったの?」

「いやいやまさか、そんなことないです」

「ま、多分大丈夫だよ。彼女もいろいろあってね。報告ありがとう」


 いろいろというのが少し気になったがそれは聞くべきではないだろう。

 松村先生はそこまで言うと一呼吸おいて、


「さて、本題に移ろう」


 と話を切り出した。




「四季ちゃん、おめでとう。君は退院することになった」

「……へ?」


 あまりにも急すぎて頭が真っ白になってしまった。


「だから、退院」

「あ、はい。ありがとうございます」


 もちろん退院できるのは目出度いことだ。

 でも僕には心配なことがあった。


「あのー、僕、退院して、何やればいいんでしょう?」


 質問すると、先生は答えた。


「あさってから、君には”プロテクターズ”という組織で仕事をしてもらう」

「”プロテクターズ”?」


 先生は深くうなずいて、


「フレンズは知ってるね? そこでは、フレンズを駆除して人々の生活を、文字通り守ることが仕事だ。やってくれるね」


 は? 唐突すぎだろ常考。


「いやいやいやいや無理ですよ、僕戦ったことなんかないですし。そもそも、フレンズなんて見たことないですし」

「無理じゃないよ。君にだって輝かしいスキルがあるじゃないか」

「そんなん、『コップに入ったお水一瞬で氷にできます!』とか、そういうことしかできないじゃないですか!」

「まあまあ、話を聞いてくれ」


 そう制止されたので黙ることにした。


「君をプロテクターズに入れる理由は二つある。まず、この組織は病院と提携している。だからいつでもここに来やすい。もう一つの理由、それは君が、過去を思い出すチャンスになるかもしれないからだ」


 意味が分からなかった。

 だからそう言った。


「全く意味が分からないです。何でフレンズと戦うことが僕の――」

「記憶を取り戻したくはないかい?」

「……もちろんです。でもだからと言って――」

「それに君は、ヒーローになりたいんじゃなかったっけ?」

「ぐっ……」


 痛いところを突かれた。


「やってくれるかい?」

「ぐぬぬぬぬ……」

「ほら、どうすんの?」

「……やります。僕は、ヒーローになりたいんで」


 松村先生はニヤリと笑った。



 なんだかんだ言いながらも、自分の心が高揚しているのが分かった。






 病院で過ごす最後の夜、僕は寝付けなかった。

 これからのことに対するたくさんの期待と、ちょっとの不安……

 だったら良かったのだがその逆だった。

 999パーセントの不安と1パーセントの期待が頭の中を駆け巡っていた。


 少し悩んで、七羽さんの部屋に行った。

 彼女とは待合室での一件以来、顔を合わせていなかった。

 ドアをノックする。


「入って、いいですか?」


 しばらくすると七羽さんがドアを開けて中に入れてくれた。


「ごめんなさい、こんな遅くに」

「ううん」

「明日の朝、ここを出ることになりました」

「そうらしいね」


 長い沈黙があった。

 話したいことはたくさんあるのに言葉が出てこない。

 とりあえず、訊いてもいいか分からなかったことを、思い切って尋ねてみた。


「もう、大丈夫なんですか?」

「うん、私は大丈夫。そっちこそ大丈夫なの? 急に敬語だし」

「今日は真面目に話したいなって思って。七羽さんの方が一つ年上ですし」

「そっか」


 七羽さんは冷蔵庫から水を用意してきてくれた。

 そして自分の分を一口飲むと語り出した。


「私ね、父親が殺されたんだ。この目はその時に庇おうと思って負った傷。でも、庇うつもりが守ってもらっちゃって、結局何にもできなかった。もっとたくさん話したかったのに。おいしいご飯も一緒に食べたかったし、いろんな場所に行きたかった。私の幸せは奪われたんだ。だからね、私は父親の復讐をしようと思ってる。そうする以外、やることが思いつかない」


 そういうことだったのか。

 あの時、親子を見て泣いていたのは、そういう理由があったのか。

 僕は心の中で感じた、言ってはいけないことをつい口に出してしまった。


「あなたが……羨ましい」

「え?」

「あ……ごめんなさい」


 七羽さんは首を横に振った。


「続けていいよ」

「……ほんとに、あの、多分気分悪くさせちゃうと思うんですけど……僕は記憶がないんで、その、お父さんに良くしてもらったりとか、そういう体験がないんですよね。だから、お父さんのことで苦しんでる七羽さんが、ちょっと、羨ましいなって。僕がここを出るのも、自分の記憶を取り戻したいからっていうのもあって……すいません」


 七羽さんはごろんとベッドに寝転がって、


「そっかあ、大変だね。四季くんも」


 と妙に明るい声で言った。


「でもさ、私が言うのもなんだけど、きみは過去を気にしすぎなんじゃない? 大事なのは今とか、その未来さきなんじゃないかな。……私は、四季くんには私みたいな過去に縛り付けられてる生活は、送ってほしくないな」

「でも、過去が見つけられなかったら、行く意味なんてあるのかな?」

「ふーん、なるほど。今の安定した生活を投げ出すのが怖くなっちゃったんですねえ、分かります」


 七羽さんは煽り口調でそれだけ言うと、真面目な声に戻って、


「だったら行かなければいいだけ。今からでも遅くないから、先生に言って来たら? でも、きっと行動しない人は、永遠に星はつかめないと思うよ。……知ってんだからね、きみが毎日夜空を見上げてることくらい」


 恥ずかしくなって、僕が何とも言えない反応をしていると、いきなり七羽さんが僕の両肩を掴んできた。


「四季くん、これだけは忘れないで。きみはこれからどこに行ってもひとりじゃない。どうしようもなくなったら戻ってくればいいだけ。私はもうしばらくここにいると思うから。いつでも帰って来たらいいよ。私は、きみの味方だから。もう一回言う。きみは、ひとりじゃない」


 そう言って、肩から手を外して、恥ずかしそうに笑った。


「大事なことだから二回言っちゃった。アンダスタン?」


 僕は頷いた。


「……ありがとう、おやすみなさい」

「うん、ヒーローになってこい。坂本四季」




 部屋に戻ってからは、さっきまでのことが嘘のように、気持ちよく眠ることができた。






 雲一つない青空が広がっていた。

 日なたではもう暑いくらいだ。

 僕はプロテクターズの基地に向かって歩みを進める。

 少し強い風が吹いてきた。

 その風で桜の花びらが散っていく。


 778パーセントの期待と、222パーセントの不安を抱えて。




 季節は移ろっていくのだ。















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