逃亡 短編集

神楽 羊

逃亡

 ––愛って何?身体を重ねればそれは分かるの?じゃあ私は誰よりも愛を知っていなくちゃおかしいじゃない。


 彼女は煙草の煙を窓の外へ吐き出しながら言った。煙が目にかかったようで左目を擦っている。


 –––私はね、中学2年生の時継父に犯されて処女を奪われたの。

 一人では生きて行けない母はとても弱い人で私が性的虐待を受けている事を知っていても見て見ないふりをしてた。

 あいつの要求は日に日にエスカレートして、私が拒否すると殴る様になった。


 それも見えない場所ばかりを、無力な私は痛いのが嫌で抵抗する事を止めそれからはずっと奴隷みたいな生活だった。外面の良い男でね、まさかそんな事をしているなんて誰も疑問に思わなかったんじゃないかな?母親も消極的であれ共犯関係だったし、私に居場所なんてどこにも無かった。



 –––見えない様に二の腕を切り、ODをしながらそこに痛みと安心感を覚えて、それでも、それでも頑張ってこの地獄を生き抜く事が出来れば、いつか幸せになれる日が来るんだ、きっとそうに違いないってどこかで期待していたの。



 私が高校を卒業する頃、あいつは男を取ることを強要して来た、来る日も来る日も知らない男に買われる毎日にずっとギリギリだった私の心はもう立ち直れない程壊れてしまった。


 –––音がした、高音の、弦楽器の弦が切れるような音。ピーンって音が。



 それは些細な事でめちゃくちゃに殴られた夜だったわ、私は継父を殺そうと思って台所に行って包丁を手に取りそのまま背中越しに腹を三回刺した。呻きながら倒れる男を見た時、これで私は解放されると安堵した。

 それでね、おかしいんだけど自分も死のうと思って血塗れの包丁を首筋に持って行ったの。やっと自由になれたのにね、死にたくなっちゃった。

 そこで我に帰って不意に今の現状がとても恐ろしくなって何も持たずに逃げた。

 何もない海の近くの村からここまで逃げて来た。


 –––ここまで聞いたら分かると思うけどあの男はたちの悪いチンピラでさ、もしかしたら追手もかかって来ているかも知れない。それに私は人を刺した犯罪者、私の手助けなんてして捕まったらあなたもただでは済まない。良くて警察、悪ければヤクザに追われる事になる。


 だからもう私の事は放っておいて、二度と知らないふりをして。

 一度寝たくらいで私の何が分かると言うのよ…ここまで堕ちて汚れてしまった私をそれでも愛してくれる?馬鹿にしないでよ、見下してるからそんな事言うんでしょ、哀れみなんて欲しくない。



「そうじゃない、…僕は女の子にモテた事も無いしセックスだってした事なかった。

 若い頃は童貞を捨てれるなら誰でも良いって思っていた時もあった。でもこの歳になって思ったんだ。

 自分が本当に大切だと思う人としたいって。

 友達に言ったら気持ち悪いだとか散々言われたけど僕は昨日君と寝てそれは間違っていなかったんだと思った、守りたいって思ったんだよ。

 君は眠りながら泣いてた、だから、だから僕は君のそばにいなくちゃって思ったんだ。」


 –––あなたが私を助けてくれるって言うの?こんなにぐちゃぐちゃになっちゃった場所から救い出してくれるって言うの!?…無理よ、無理だわ。


「一人じゃ出来なくても二人なら出来るかもしれないじゃないか、今は上手い答えが見つからないけど。とりあえずここが危ないなら逃げよう。誰も知らない場所へ行こう、一緒に!」


 –––なんでそんなに優しくしてくれるの?


「わからないけど、思ったんだ。蹲っている君と目が合った時にこんなに悲しそうな目をした人を見て見ぬ振りは出来ないって。それに君は、とても綺麗だったから。」


 童貞を捨てたばかりの僕が言うと笑われてしまうのではないかと心配したけど彼女は笑ったりしなかった。


 僕は座り込んでいる彼女に右手を差し出す、戸惑いを見せながら恐る恐る彼女が手を掴む。女の子の手をちゃんと握るのは初めてだった。それを伝えると


 –––順番がおかしいよ、馬鹿みたい。


 と言って泣き顔のまま彼女は笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る