第3章 5年生の新学期
第82話 ハンナと距離を置いた
朝が来た。希望の朝だ。
窓から朝日が差し込んでくる。といっても屋外は真っ暗で、窓の光も窓そのものが合成した仮りそめのものである。それでも私の気分はすっきり晴れ晴れとしていた。なぜなら今日から、5年生としての新学期が始まるからだ。
メグワール学園は9月始まりの8年制であり、その後半、5年生以降は地球を離れて月キャンパスで勉強することになる。同じ学園とはいえ、家族から離れて地球とは重力の異なる月という新天地で初めて迎える学校だ。私は気合十分だとばかりに、腕を鳴らしてみせた。
「おは‥おは‥おはっ」
ベッドに座っている私に、ハンナが遠巻きに鳥のような声をかけてくる。いつもなら私のすぐ近くまで来てあいさつしてくれるのだが、おとといの夜のことがまだ尾を引いているようで、ハンナはかなり遠慮している様子だった。いつもならこういう時は私の方から近づいてハンナを安心させるものだが、あいにく私もおとといの夜のことをまだ気にして、ハンナにどう声をかけるべきかいまだに分からない。
「お、おはよう、ハンナ‥」
私はハンナと目を合わせず、小さい声で返事してゆっくり立ち上がった。ハンナは私の返事を聞き取ると、黙って自分のスペースに戻っていってしまった。そんな私とハンナの様子を不審がっているのか、私がパジャマから着替え終わったタイミングでレイナが声をかけてきた。
「おはよう、ユマ」
「おはよう、レイナ」
私は206の部屋のドアノブに手をかけたが、ふと気付いて後ろをちらりと見た。まだパジャマのままのハンナがドアと私に背を向けて、ベッドに座っている。その後姿が小さく、あまりにも寂しそうだったのだが、私もやはり声をかけるのを躊躇してしまう。
「ハンナ、一緒に朝ごはん行く?」
代わりにレイナが声をかけた。ハンナはこちらも向かずに小さい声で、「遠慮します」と言った。
レイナは私に「待ってて」と言うと、ハンナの座るベッドへ近づいた。
「ハンナ。あたしは一緒に来てほしいわ」
「ですが‥‥」
「‥‥‥‥無理ならいいわ。でも遅刻しないこと」
「はい‥」
ハンナは力なくうなずいた。
◆ ◆ ◆
食堂で私の向かいに座ったレイナは、心配そうに私に尋ねてきた。
「ハンナと喧嘩したの?昨日から様子がおかしいし‥‥」
「そんな、喧嘩なんて‥」
私はハンナと喧嘩したことがない。喧嘩になりそうな時はあったが、いつもハンナのほうが引いてくれる。ハンナは押しに弱いことを思い出して、私もつい譲歩してしまう。それでお互いがいい感じで譲り合うので、いつも喧嘩する前に解決してしまうのである。
そう考えると、これは喧嘩に近いのかもしれない。現にこうして私とハンナがお互いに気まずさを感じることは、今までなかったような気がする。ハンナが私に告白した直後ですら、普通に親友として付き合っていたように覚えている。
しかし私の返事を聞いてしばらく考えたレイナは、突然にいいっと笑った。
「ど、どうしたの、レイナ?」
またエロ同人のスイッチが入ってしまったのかと戦慄するのと同時に、レイナの背後にいるアユミとノイカがこっちに気づくのが視界に入った。
「ちょっと、レイナ、黙って」
「ハンナとセックスしたんでしょ?」
「あの、それ以上は、どうか」
「ハンナに抱かれてイッちゃったんでしょ?電話してきたから分かるわ」
「えっ‥‥」
レイナの隣にことんと食事の盆を置いて、アユミが黄色い髪の毛に隠れたグレーの獣耳をびくびく動かしながら引いていた。一方のノイカは何事もなかったかのように、私の隣の席に盆を置いて座った。
「あ‥‥」
レイナもアユミに気付いたようで、顔を赤面させながら私をちらちら見ていた。いつもなら「座っていい?」と聞いてから座るのに今日は黙って座ってしまったアユミに、私は弁明した。
「すみません先輩、今のは違うんです」
「えっと‥‥生徒会長は振って、ハンナと付き合うことになったってことでいいかな‥‥?でも、付き合い始めて早速セックスするのはどうかと思うな‥」
「ち、ち、違うんです、その‥‥付き合ってないです!」
「付き合ってないのにセックスしたの?」
「セックスもしてないです!」
「どういうこと?」
私はアユミへの説明に10分を要した。せっかくのスープが冷めかけてきたところで、アユミはようやく納得してくれた。レイナは私の説明の始め頃はしっかり食べていたが、途中から頬を赤らめて申し訳なさそうにうつむいていた。
「なるほど‥‥」
アユミは呆れたようにため息をついて、パンをちぎって口に入れた。
「‥それでお互い気まずいんだね」
「はい‥」
「私でよければ相談に乗るけど?」
そう言ってもらえて嬉しい。カタリナとも気まずい状態は続いていて、ゆうべはメールもできなかった。でもカタリナとは、放っておいても向こうからくいくい来るので処置が楽だ。問題は小心者のハンナのほうだ。ハンナの場合は、どうしても私から動かなければいけない。
「ありがとうございます」
「それじゃ、朝は短いから帰ってからね。夕方はどう?」
「大丈夫です、よろしくお願いします」
そうして、私はいったんは一安心したものだった。
◆ ◆ ◆
メグワール学園は軍人を育成するという特殊さから、制服というものがある。生徒たちは全員、制服というものを着なければいけない。もちろん教官も軍人であるから、教官専用の制服というものが存在する。普通の学校にはないので珍妙なものだが、かわいいのでよしとする。魔力クラスも技力クラスも、制服は共通だ。真っ白にやや水色の入ったブレザーにスカート。かわいらしいデザインだ。
私とハンナは、レイナを挟むように並んで校舎へ向かった。緩衝地帯になったレイナは、それでも嫌な顔ひとつしなかった。
「おはよう。あれ、ハンナは隣じゃないの?」
近くを歩いていたセレナが声をかけてきた。
「おはようございます。はい、その、いろいろありまして‥‥」
「‥‥そう」
セレナは事情を知っているのか、それ以上深くは追及してこなかった。
初めての月キャンパス。靴を履いたまま校舎に入るのだから、玄関にはゲル状の物質がとても薄く塗布されている。それを踏みつけると、靴の裏の汚れが吸収されて、新品とまではいかないが室内での使用にたえうるものになる。なので校則として、この玄関などゲル状の塗布がある床以外から校舎に入るのは禁止だ。もっとも、そのようなことをする人はいないと思うが。
私たちは教室に入らず、その足で講堂に向かった。これまでにも学園祭で月キャンパスに来たことはあり講堂にも行ったが、さすがに数ヶ月以上前のことは覚えていられない。先輩たちと一緒に講堂へ行った。
薄暗い講堂は、椅子がひっぎりなしに並んでいた。私たち3人は、事前の通知にあった通り、ステージから近い前の方に座った。5年生たちはこのあたりに集まることになっている。
「おは」
私、レイナ、ハンナが並んで座ると、ハンナの隣にいたクレアが声をかけてきた。薄暗いしハンナのことはよく見ていなかったので、声をかけてくるまでクレアだとは気づかなかった。
ハンナが小さい声で返事した。
「お、おはようございます、ラジカさま‥」
「‥ねえ、なんで隣同士じゃないん?」
クレアが肘掛けから身を乗り出して聞いてきた。私とハンナは親友でいつも一緒にいるので、その関係をよく知る同級生の間では、隣でないだけで事件なのかもしれない。
「いろいろあって」と私は答えかけたが、クレアがハンナの目をじっと見ているようだったのでやめた。ハンナはうつむきがちになって、沈黙していた。
「‥メアド、交換するん?」
「‥‥お願い‥します」
クレアの提案にハンナはうなずいて、制服のポケットからスマートコンを取り出した。
★打ち切り撤回します。続きは近日公開予定です。
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