3−4
全てが終わったのは、午後十時。普段の塾より遅い時間になっていた。
イヌイさんを家まで送ろうとしたけど、近いし明るい道を通るからと彼女は固辞した。それならせめてと大きな通りまで一緒に行って、そこで別れた。
家に帰ると玄関の明かりがまだ点いていた。なんとなく、嫌な予感がした。
扉を開けるなり、居間からお母さんとお父さんが飛び出してきた。あまりの勢いに、思わず身が竦んだ。僕は強く抱きしめられた。お母さんは泣いていた。
塾から、僕が来ていないという連絡があったのだと、そばに立っていたお父さんが言った。僕は自分の端末から休みの連絡を入れていた。けれど、その通話の声がどこか苦しげで、塾の担当者が不審に思って家に折り返したらしい。たぶん、プラグインの作用を知らず知らずのうちに受けていたのだ。
「よかった」と、お母さんは僕の肩に顔を埋めながら言った。「無事に帰ってくれて、本当によかった」
「もう少しで警察に連絡するところだったんだ」と、お父さんも涙ぐみながら言った。「お母さんから話を聞いた時は、本当に生きた心地がしなかったよ。けど、よかった」
それから二人は口々に「よかった」と繰り返した。
一つ一つの「よかった」は、鞭の一振りのように僕を打った。打たれた場所には疼きが残り、それはやがて痛みと化す。
頭の奥から、真っ黒な感情が這い上がってきた。今まで感じたことのないような、悲しみと悔いを煮詰めたような感情だった。プラグインが発する〈良心の呵責〉が溜まりに溜まって、高濃度で噴出してきたのだろう。
気づけば僕も泣いていた。
「ごめんなさい」涙声で、呻くように言った。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
お母さんが一層強く抱きしめてきた。そこにお父さんも加わった。僕たち家族は一つの塊になった。
もう二度とバラバラになってはいけない。僕は両親の腕の中で、そう強く思った。
次の朝、珍しく昇降口でイヌイさんと会った。
「おはよう」と、彼女は言った。
「おはよう」と、僕も返した。けれど、長くここに留まってはいけない気がして、手早く上履きに履き替えて彼女の脇を抜けた。そのまま振り返らず、教室へ向かった。
それから一日中、視界の隅にイヌイさんが映っていた。気になってしまうことは確かなのだけど、これまでの気になり方とは種類が違っていた。カラス除けの光る円盤が、風に揺られてチラチラ瞬いているのが見えるような、そんな気になり方だった。
放課後、校門を出ると、イヌイさんが待っていた。
「今日はどうする?」彼女はいつもと同じように言った。
「ごめん、塾があるから」
僕は彼女の方を見ないまま歩き出した。
イヌイさんを傷つけているという自覚はあった。心は痛んだけれど、きのう、お母さんたちの涙を見た時ほどではなかった。むしろ、正しいことをしたのだという気持ちすらあった。
結局僕はプラグインの奴隷なのだ、と歩きながら思った。
けど、それの何が悪い?
誰かを深く悲しませるぐらいだったら、何も考えない方がましだ。
自分の考えなんかない方が幸せだ。
本当に。
本当に——
誰かがついて来ている気がして、振り返った。
けれどそこには誰もいなかった。灰色のアスファルトに、僕の真っ黒な影が伸びているだけだった。
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