変遷上のノーマッド
ArtificialLine
Chapter1_別世界のマーセナリー
Prologue_愉快な戦場
「どうなってんだよ……」
眼前に広がっている光景を前にして次の言葉が出なかった。
それが今の俺の胸中を端的かつ明確に表している言葉であったからだ。
理解を放棄しようとしはじめる脳に対して、息を大きく吸い込み酸素を送り込む事で無理やり活動を促す。
飛び込んでくる景色は豊かで青々とした黄昏時の平原。アスファルトの滑走路も、撃ち殺した連中の死体も存在しない。
ただただ心を飲み込むような平原地帯が広がっていた。
こんな光景は昔テレビで見たことがある気がする。
確か某ドキュメンタリー番組だ。妹と共に学校から帰ったリビングで見ていた。
その番組で見た北ヨーロッパ平野のようだと感じる。
その時だ。鼻に嗅ぎなれた匂いが漂ってくる。
鼻腔をツンと刺激するような、思わず忌避感を抱く香り。
これは人間が燃える匂いだ。
匂いの方向へ顔を向ければ800mほど先に丘があった。そしてその丘の向こう側からいくつかの煙があがっていた。
それに加えて怒号や金属音も僅かながらに聞こえる。
首にぶら下げられたドッグタグと古びた御守を無意識に握る。
兎も角何もわからない状況だが、あの丘の向こう側で何かが起きているのは間違いなかった。
俺は使い慣れた
プレートキャリアに
まずは情報収集。どうするかはその後考えよう。
半ば投げやりな思考回路になりつつ、俺は丘の向こうへと走り出したのだった。
玉の汗が吹き出す。どこの国にいたって夏というのは暑いものだと、そう思う。
まあ幸いなのは祖国の蒸し風呂に入ってるかのような湿度の高い暑さでは無いことだろうか。
ヨーロッパと中央アジアの玄関口的なここアゼルバイジャンの夏は湿度が低く過ごしやすいことこの上ない。
とはいってもそれは祖国日本と比べての話だが。
何がいいたいかと言えば暑いことには変わりがないということだ。暑い。今すぐにでもシャワーでスッキリして冷えたビールが飲みたい。
ここにいる連中の殆どはそう思っているだろう。
このカラッとした暑さの中で飲むビールは格別に旨い。仕事終わりのビールはこのクソみたいないつもの戦場で数少ない楽しみの一つである。高望みするならばつまみできゅうりの胡麻漬けでもあれば最高だ。昔付き合っていた彼女が良く仕込んでくれていた事を思い出す。
だが生憎とここはアゼルバイジャン。あるのは芋と戦闘糧食、ジャーキー、チョコレートばかり。そう思えば今となっては祖国は遠いなと感じる。
まさかきゅうりの胡麻漬けでノスタルジックな気分を味わうとは思いもよらなかったが、食と文化というのは根強く結びついているものなのだ。
海外へ移住した日本人が最初に感じる郷愁は味噌なのだという。確かに諸外国で味噌を取り扱っている場所はそう多くあるまい。先進国の大規模食品店ならいざしらず、少なくとも戦火に見えているこの国で味噌なんて売っているはずもない。
まあ話がそれたが、俺にとっては味噌よりもきゅうりの胡麻漬けの方が思い出のある味であり、郷愁を感じると言うことだ。
隣を歩く白人の大男からシュボッという音が聞こえる。
そして同時に上がる紫煙。香りはもはや蚊取り線香よりも鼻に染み付いたアメリカン・スピリットのもの。
彼とはもう2年近く共に過ごしているが毎回同じ銘柄の煙草を吸っている。
煙草の銘柄をよく変える人物は浮気性だという。ということは彼は一途な男なのだろうか。
まあこの男は
今世紀で最もどうでもいい思考を片隅に追いやる。
人の喫煙を見るとどうにも煙草が恋しくなるものだ。喫煙欲求に駆られた俺は胸ポケットからウィンストンスパークリングメンソールを取り出す。
タールが重すぎずメンソールが口内と思考をクリアにする。丁度いい愛煙品だ。思い返せば煙草の吸いはじめから一度しか銘柄を変えた記憶はない。
そういう意味では俺も一途な男なのだろうか。すまんなマルボロブラックメンソール。お前は日本だと値上がりし過ぎなのだ。
煙草を口に咥えジッポライターで火を付ける。紙巻煙草を美味しく吸うコツは煙の温度を上げすぎないことなのだという。
煙が高温だと味や香りが飛ぶのだ。そもそも吸引部が高温になれば味わうどころの話ではない。
火種からなるべく離し、かつ火が移るか移らないかぐらいのところで空気を吸ってやり着火させる。
こうすることで温度を上げすぎずに済む。その後は灰が自然に落ちるまではなるべく落とさないように優しく喫煙する。
そうすることで灰が着火部分の温度を適温に保ってくれる。これが美味しく煙草を吸うコツらしい。
本当かどうかは知らない。なんせ高校生の頃に某日本最大匿名掲示板で見知った知識である。もう12年も前に吸収した知識だ。
俺にとって大事なのはこれが精神を落ち着けるためのルーティンであるということだ。もうかれこれ9年間行ってきたルーティンである。更に美味しく吸うコツがあったとしても今更変えるつもりもない。
「相変わらず19時前だっていうのに明るいなぁ」
不意に隣を歩く白人の大男が言葉を発した。今日日美麗なイラストの身体を手に入れて配信でもすれば瞬く間に登録者バク伸び間違いなしのダンディな声である。
そんな声で発せられるのは綺麗なイギリス訛りの英語だ。普段下品なブラックジョークばっかり言っている癖に相変わらず発音と声だけは良い人である。
俺も口を開く。英語で会話することにもとうに慣れた。大学時代の英語の教授が帰化したイギリス人だったため、俺の英語も所謂イギリス英語というやつである。
発音がイギリス訛りかは知らん。俺は日本人だから。正直伝わりさえすればどうでもいいというのが本音である。
「エアロン大尉だってロンドンの出身でしょう?だったら20時近くまで明るいんじゃないんですか?」
白人の大男。エアロン・スミス大尉はニヒルな笑みを浮かべながら答える。
煙草を咥えたまましゃべるな。灰を落とすな。煙草に対する冒涜だぞ。
「馬鹿野郎ヒナツ。俺は学生時代引きこもりな上に、お袋の手料理よりも戦闘糧食のが舌に馴染むぐらい軍隊生活のが長えんだ。任官していたのは大体海外だしな。色んな場所の空が入り混じってロンドンのなんて覚えてねえよ」
相変わらず皮肉めいた言い回しをする人である。
まあイギリス料理の記憶が想起されないだけマシなのでは無いだろうか。
全くもって鰻への冒涜である。家庭科の評価2の俺のほうが旨い飯を作れるだろう。
とは言え最近のイギリスの料理はかなり質が上がってきているらしいという話も聞いた事がある。ロンドンで人気のフィッシュアンドチップス店なんかは観光ブックに載るほど観光客にも愛されているそうだ。
「まあ今ではお互いに会社員ですけどね。階級制度とかが軍隊方式だからたまに忘れそうになりますけど」
自分で言った俺の顔にも、聞かされたエアロン大尉の顔にも自嘲の色が浮かぶ。
そう。俺たちは軍人ではない。
商品は武力と軍事、警備知識。お届けは物理的に不可能な場所へ以外何処へでも。
顧客は国家や大企業、資産家など。資金に問題がなければクライアントを選ばない所謂傭兵というやつだ。
とは言っても時代は2023年。表向き国際法を遵守する企業なだけあってテロリストなんか相手には商売をしていない。
主に自国民の犠牲を嫌う大国様が行いたがっている海外派兵の代理やら内戦中の国家の政府側に雇われたりするのが主な業務。
まあ最近じゃ治安のいい国で物資輸送やら現金輸送、警護、兵員教練なんかの仕事の割合が増えてきたらしいが。
なんでも我が祖国日本にも支社ができたらしい。当然のごとく
そもあの平和ボケした国で小銃をぶら下げて歩く必要もないだろうが。―――こめかみに鋭い痛みが奔った。嫌な記憶が想起される。
そういえばC.C.Cに入社して以来一度も帰っていない。もう2年近くになるのか。時の流れは早いものだ。お盆の時期には―――休暇を貰って一度帰ろうか。
「思えばヒナツから自衛隊を辞めたって連絡がきてから結構過ぎたのか」
「ええ。2年近くになりますね。早いものです」
「ヒナツ。お前一度も帰国してないだろう。オレが口利きしてやる。今年は家族に会ってこい。早くしないと旅行明けの飼い犬みたいに顔を忘れられるぞ」
――――ビクッ。エアロン大尉のジョークにこめかみが僅かに痙攣した。
心拍数が僅かに跳ね上がる。喪服の列がフラッシュバックされる。感情の抜け落ちた少女の手を握っているのは、さて誰であったか。
紫煙を吸い込み肺に入れ、吐き出す。強引に思考を煙とともに霧散させようとする。
「…そうですね。お盆の時期には帰らせてもらおうと思いますんで、口利きお願いしますねッ!!」
無理に語気を上げて思考を吹き飛ばすように言葉を発する。
大尉に事情を話していないのは完全にこちらの落ち度だ。彼も悪気があって冗談を言ったわけではない。
「お盆って…お前あと2週間くらいしかねえじゃねえか‼ちょっとは早めに言え‼」
言葉を発する前に大尉の視線が俺の目を見た。瞬間、涙袋がピクリと震えたのが目に入る。
きっとこっちが内心取り乱した事に気づいたのだ。だが事情を話していない事を汲み取ってか、気づいていないふりを続けてくれた。
心の中で謝罪をし、茶番を演じることを選択する。
「でも口添えしてくれるんでしょう?頼りにしてますよ」
エアロン大尉はええいッ!といいながら煙草を地面に落としブーツで踏みつける。
公序良俗の観点から如何なものかと思うが、今のこの場所でそんな事を気にする奴も、そんなマナーも存在していない。
そういうのは平和な国だけの特権なのだ。
「紳士に二言はない‼だけど次からはもっと早く言えよなぁ。じゃねえとオレがハバネロみたいに真っ赤になった大佐に睨まれる」
エアロン大尉はヤレヤレとボディランゲージを行う。
厳つい白人の大男がそれを行っても全く可愛くない。むしろ周囲に威圧を振りまくだけである。
さて。我々がこうして話しているここが何処なのか。
ここは中央アジアとヨーロッパ世界の境目。コーカサス地域に存在する国家アゼルバイジャンのドーラ空軍基地だ。
なぜそのようなところに我々がいるのかと言えば、単純明快仕事である。
半年ほど前に反政府クーデターに端を発した内戦がアゼルバイジャンで巻き起こった。
アルメニアの工作やらなんやらという話であるが、その辺はあまり興味がない。
そのあたりの戦略情報は必要であればC.C.Cの諜報部隊が報告してくるだろう。
重要なのは我々C.C.Cがアゼルバイジャン政府に雇われてこの内戦に介入しているということである。
展開兵力は3個連隊から構成される1個旅団。C.C.C社員約1万人が現在アゼルバイジャンで業務に従事している。
流石は世界最大手
歩兵は勿論のこと装甲大隊や戦闘飛行隊までも投入しているのだ。
そも装甲大隊はひとまず置いておくとしても戦闘飛行隊という航空戦力を保有し運用できる規模の企業という時点で狂っている。
そして先程から話している俺こと朝霞日夏中尉とエアロン・スミス大尉はC.C.Cの戦闘機部隊が拠点としているここドーラ空軍基地の警備任務に従事していた。
エアロン大尉は元イギリス特殊空挺部隊第22SAS連隊、そして俺は元日本国陸上自衛隊第1空挺団出身である。
2013年に起きた南シナ海危機を発端として改正された自衛隊法。それに伴い東欧への復興支援派遣隊として訪れていた国で当時SASに所属していたエアロン大尉と出会った。
俺は幼少期からサブカルチャー好きであったのだが、エアロン大尉はジャポ二メーション(特に深夜アニメ)の大ファンだった。
そういった共通点から話が弾み、連絡先を交換し自衛隊が撤退した後も度々連絡を取り合っていた。
その後紆余曲折有り俺が陸上自衛隊を退職した後にC.C.Cへと勧誘してきたのもエアロン大尉である。
それからというもの同じ部隊でいくつかの戦場を共にしバディと呼べるまでに信頼関係を築いた。
要するに俺の人生のキーマンであるのがエアロン大尉というわけである。
閑話休題。
現在はここドーラ空軍基地を拠点とするC.C.Cの戦闘機部隊も作戦行動で出払っており、これらはいつもの哨戒任務の最中の一コマである。
普段から俺、朝霞日夏中尉とエアロン大尉はバディを組むことが多い。そしてエアロン大尉は小隊指揮官。俺は次席指揮官。本来であれば小隊指揮官と副官がバディを組んで行動することは無いのだが、そこは最大手
「そういえば、今日はフォーマルハウトの連中何処を飛んでいるんだ?」
フォーマルハウト。正式名称コントロール・クライシス戦闘航空部門戦闘飛行課第44戦闘飛行隊。通称"フォーマルハウト隊"
このドーラ空軍基地を拠点とするC.C.Cの戦闘飛行隊の名前だ。要するに我々が警護する実質的な対象である。
「確か首都バクー周辺ですよ。フォーマルハウトの機体は
「ヒナツ。それ絶対にフォーマルハウトの連中に言うなよ。奴らは元々空軍や海軍のアグレッサーだからな。いまのまま空戦ができないんじゃいずれロシア領にすら飛びかねんぞ」
「ロシア空軍相手とか勘弁してくださいよ。流石に規模が違い過ぎて物量で潰される。そんで下は地獄。最終的にボルシチにされるのは御免だ」
冗談を言い合いお互いに吹き出す。
俺もすっかりこのイギリス人のせいでブラックジョークに染まってしまった。
もし今後メディアに露出する機会でもあれば気をつけなければ。
2019年に起きたケニアホテル襲撃事件でメディアに露出させられてしまったSAS隊員のように英雄としてならまだしも、しょうもない冗談が原因で認知されるとか末代までの恥である。まあ彼女も妻もいないしできる予定もないが。
因みに件のSAS隊員はエアロン大尉の戦友らしい。曰くメディアに対して英国紳士らしくブチギレていたとか。
―――その時だった。
身につけている無線機からプッシュ音が鳴り響く。
それは無線から直接発せられるのではなく、装着しているヘッドセット-ComTacⅢを通じて直接鼓膜を揺らした。
瞬時に意識を切り替える。先程までの緩んだ空気は一瞬にして弾け飛び、冬の早朝の如き鋭さへと変化する。
定時報告はまだ先のはずだ。つまりは定時報告外の異常事態が起きたことに他ならない。
俺とエアロン大尉は耳元に流れてくる声を聞き逃すまいと神経を張り詰めた。
そして聞こえてきたのは同じ小隊の隊員の声ではない。
凛と張った女性の声色。確かこのエリアの管制を担当している女性オペレーターのものだ。
<<
コーカサスコントロールからの通信内容を理解した瞬間に全身に電流が奔った。
最早内戦ではない。この紛争は国家間戦争に発展した。
すぐさまエアロン大尉が無線を繋げコーカサスコントロールとの通信を開始する。
『こちらヴァイオレット2-8。コーカサスコントロール、アゼルヴァイジャン国内の反政府ゲリラに動きはあるか?』
<<こちらコーカサスコントロール。ヴァイオレット2-8、少し待て。……そちらの言う通り各地の反政府ゲリラが
『ヴァイオレット2-8了解。アウト』
<<こちらコーカサスコントロール。既にアルメニア国境付近でアンノウンとアゼルバイジャン正規軍の戦端が開かれた。戦力比から見て間もなく突破されるだろう。各員の奮励努力を期待する。アウト>>
首にぶら下げられたドッグタグと古びた御守を無意識に握る。いつから持っていたものなのか覚えていないが、なんとなく捨てられず験担ぎとして身につけているものだ。
俺とエアロン大尉は走り出していた。今の無線は全C.C.Cユニットが聞いていたはずだ。
であればここドーラ空軍基地に駐留する部隊も迎撃準備を開始しているに違いない。
走りながら簡易的に装備の確認をしていく。
今の装備はジーンズとコンバットシャツの上に各種装備を身につけている。
頭部はベースボールキャップを被りその上からComTacⅢというヘッドセット。
アイガードにESSクロスボウシューティンググラス。グラスのカラーはオレンジ。
タクティカルベルトには5.11のVTAC Brokos。プレートキャリアと同じくMOLLEシステムを利用してガンホルスターやハンドガンマグポーチ。ダンプポーチなどを装着している。
それらのチェックを十数秒のうちに済ませ、
「方位270からの機甲大隊とボギーってどう考えてもゲリラじゃないですよね?」
「あったりめえだろ!十中八九アルメニア正規軍だよ!奴さんパイの準備が終わってもねえのに掠め取りにきやがった!」
道中で複数の人物とすれ違っていく。
それらはすぐにC.C.Cのオペレーターかアゼルバイジャン兵かどうかが判別できた。
動きが全く違うのだ。C.C.Cのオペレーターは一切の淀みなく装備の搬送やチェックを勧めている。
対してアゼルバイジャン兵の多くは混乱しているようであり指揮系統がメチャクチャになっていることが伺える。
正直に言って烏合の衆だ。だがそんな中でも能動的に命令発令への準備を勧めている正規軍兵士の姿も垣間見える。
彼らの顔には見覚えがあった。我々C.C.Cが教練を施した空軍基地守備兵だ。生憎なことに実戦部隊であるアゼルバイジャン陸軍には殆ど教練を行えていない。
本来であれば予備兵も同然の扱いを受ける彼ら空軍歩兵が実戦経験済みの陸軍部隊よりも動けているのは皮肉以外の何物でもない。
そうこうしているうちに当直で使用している宿舎へとたどり着いた。既に我々の部隊であるC.C.Cヴァイオレット2-8歩兵小隊が準備を完了し待機していた。
コーカサスコントロールの通報から3分。さすがの練度と統率力である。壮年のヒスパニック系オペレーターが俺と大尉の姿をみとめると大声を投げかけてきた。
「大尉‼ヴァイオレット2-8は進発準備を完了しています‼」
「流石だ曹長‼オペレーション・アンチテーゼに置けるヴァイオレット2-8の配置はドーラ空軍基地の北部ゲート防衛だ。総員乗車‼」
エアロン大尉の号令でヴァイオレット2-8の面々がいっそ芸術的とも言える素早さで各車両に乗車していく。
C.C.Cが主に用いる車両はブラックペイントのスバルフォレスターだ。軍事用に改良されルーフに射座が取り付けられている。射座には
その道中、再び無線から声が聞こえてきた。
<<こちらC.C.C所属フォーマルハウト隊の
<<こちらコーカサスコントロール。アルデバラン、既に国境線は敵機甲部隊に突破された。また国際チャンネルを用いてアルメニアからアゼルバイジャンに対する宣戦布告がなされた。私達の敵にアルメニア政府軍も追加だ。オーバー>>
<<アルデバラン了解した。フォーマルハウト隊はアグジャバディ県上空で敵航空戦力を捕捉している。接敵まで60秒。これを撃破し航空優勢を確保した後
<<こちらコーカサスコントロール。アルデバラン、フォーマルハウトは4機小隊だが、
<<うちは皆士気旺盛でね。制空戦闘が無いことに嫌気が差してロシア旅行を画策していたぐらいだ。航空優勢確保後
さっきエアロン大尉と話していた内容はどうやら事実であったらしい。本当に勘弁してくれ。ロシアは稼働率は兎も角としても実戦経験でいえば世界トップレベルなのだ。
アメリカ軍、中国軍に並んで相手取りたくない軍隊である。
<<コーカサスコントロールより。西部地域での最重要拠点はドーラ空軍基地だ。地上ユニットの劣勢時は
<<期待しないでおくよ。アゼルバイジャン空軍は内戦初期にかなり損耗しているからな。おっとエンゲージだ。これより航空優勢を確保する。アルデバラン、アウト>>
航空無線と地上無線を分けていないのかと気になったが、フォーマルハウト隊の面々の通信はこちらには入電していない。
であれば
ヘッドセットから見知った連中の声が聞こえてくる。これから間もなくで戦場へ赴くというのに、車両内の会話は酷くいつもどおりであった。
『空の連中、いきり立っていたな』
『気持ちはわかるさ。私達だって日本とかに派遣されてみろ。きっと平和すぎて気が狂うぞ』
俺は次席指揮官として司令部交信用と小隊交信用の2つの無線機を身に着けている。
そのうちの小隊交信用の無線からの声だった。全くもっていつもどおりの会話だ。これから死ぬかもしれないというのに。
だが彼らの所作は会話内容の様に緩みきったものではない。
寧ろその逆。研ぎ澄まされた刀剣が如き雰囲気を身にまとっている。
C.C.Cの、というよりは
最早彼らにとっては非日常こそが日常だ。
そんな俺もウォーホリック予備軍の1人である。自衛隊退職時は実戦経験なぞ皆無だったが、C.C.Cのオペレーターとして転戦を続けていたあたりから感性が壊れた。
僅か2年の戦場が、27年の人生を受け入れがたくしている。人はそれこそ大量に殺した。俺は選抜射手だ。必然その機会は多くなった。
ここにいる連中は魂が闘争という死神に惹かれちまっている連中なのだ。
まあ俺の場合はISILの蛮行を間近で見る時間が多かったっていうのも決壊のトリガーだったのだろう。
そんな思考の内にコンボイは北部ゲートへと到着した。
各員が降車し防衛位置へ展開していく。
すぐ横に存在する滑走路から轟音が鳴り響いた。空気を劈くエンジン音。直後に身体を襲う強烈な風圧。
目の端でそちらを見てみればアゼルバイジャン空軍の
初期通報から既に10分が経過している。
もう少し早く
だが離陸していく
全くもってドーラ空軍基地の司令官殿は優秀であらせられるようで何よりだ。ゴミカスどもが。
「よし、ライアットとゲールマンはゲートの防衛だ。レイチェルとレネイはゲートの二人を援護しろ」
エアロン大尉が的確に指示を飛ばしていく。その内に俺は車のトランクを開き、その中から2つの銃を取り出していた。
「相変わらず重いな」
一挺はM39EMR。M14系ライフルの現代改修品であり、マークスマンライフルにしてはそれなりの性能にまとめている。使用弾薬は7.62mm×51mm NATO弾。バイポッドを装着しているため立射するには重量がキツイが、半固定運用ならば問題ない。4-16倍暗視スコープも取り付けておりこの夜間運用では大いに役立つだろう。
もう一挺はバレットM82A1。12.7x99mm NATO弾とかいう気の狂った弾薬を使用する
「ヒナツ、お前は弾薬庫の上で阻止射撃を行え。敵が見えたら撃っていいぞ‼お前が先駆けだ」
「了解、大尉」
エアロン大尉からの指示が下りゲートから50mほど後方に存在する臨時の弾薬庫の天井へと駆け上がる。
流石に
だが行軍ってわけでもないんだ。問題はない。弾薬庫の屋上に到達し担いでいた銃を置いていく。
少し乱れた息を鍛えた体力と幼い頃からやってきたシステマ独自の呼吸法を組み合わせて落ち着かせる。
そしてうつ伏せになり射撃体勢をとりつつ各火器の最終チェックを始めた。
チェックが終わり、ポケットに突っ込んでいた干し梅を口に放り込む。さあ準備はできた。あとはお客さんが来るのを待つだけだ。
存外その時はすぐに訪れた。大体2分後、無線機がヘッドセットを通して鼓膜を震わせる。
<<コーカサスコントロールよりドーラ空軍基地の各C.C.Cユニット。警戒中の
コーカサスコントロールのオペレーターが凛とした声で悪態を付く。
だが全くもってそのとおりだ。この半年で連中の戦力の多くを削ったはずだが。何にせよ俺が開戦の口火を切ることになりそうだ。
『ヒナツ、敵が見えたら撃ってよし。開幕の一撃は任せる』
「言われなくても、大尉」
その数秒後、稜線から現れるトヨタ製のピックアップトラックを視認した。月明かりと高緯度特有の日の高さではっきりと確認することができた。
距離約1400m。風速3m程度。コリオリ力を含めて大まかな射撃位置を決定する。本職のスナイパーで無いためそういった連中には劣るだろうが、射撃の技術に関してはそれなり以上の自負があった。どうせスコープなし曳光弾狙撃なんていうアホみたいなことをしているのだ。初段が当たらないことなんて当たり前。そこから修正射を行い2射で一両を仕留める。言っていてなんだが正直自分でもどうかと思う。きっとワンショット・ワンキルを心情とする本職の連中に怒られるんだろうななどとどうでも良いこと思いながら―――-トリガーを引いた。
12.7x99mm NATO弾が起こす強力な衝撃が肩を襲う。それを肩甲骨を反動方向へずらすことで身体全身へと逃した。
ノンスコープ狙撃にも良いところがいくつかある。その最たるものが
巨大なマズルブレーキの先から撃ち出された弾丸は暴力的な初速を伴って対象へと向かっていく。
それはまるで誘導されるかのように曳光弾が軌跡を描きながら目標へ吸い込まれていった。
エンジンブロックに直撃した12.7x99mmの榴弾は破裂し車を月まで吹き飛ばす。
「当たんのかよ……」
その命中に一番驚いていたのは俺自身であった。そりゃなるべく当てられるように撃ったが、まさか初弾で本当に当たるとは思いもよらなかった。
恐らくは曳光弾を使用したのが功を奏したのだ。
どういうことかといえば、こちらから発射された曳光弾はあのドライバーにも見えていたはずである。それは着弾までの2秒にも満たない時間だが、ドライバーが回避を行おうとハンドルを切るのには十分な時間だ。結果としてドライバーは見えたままの弾道を予想し回避しようとした。だが長距離射撃はコリオリ力の影響を受ける。
要するに地球の自転の影響で弾が曲がるのだ。それはコリオリ力を知らない存在からすれば摩訶不思議な光景だろう。
そして最初に見えた弾の機動をみて回避しようとしたドライバーは、コリオリ力によって曲げられた弾着地点に自ら飛び込んでしまったというわけである。
全ては弾を放った瞬間に車がハンドルを切って機動を変えたのが見えたことからの推察である。
あのドライバー相当いい反射神経とドライビング技術を保有していた。これで長距離狙撃を経験した事のある人物であったのならば恐らくこの初弾は命中しなかっただろう。
『良いぞヒナツ中尉!仕事が終わったらうなぎゼリーを奢ってやる』
「謹んでお断りします、っと」
続けて2両目に目標を定めてトリガーを引く。弧を描くように飛んでいく曳光弾。
だがその着弾はズレ命中しない。
「まあこれが普通だわな」
その弾着から修正し第二射を叩き込む。
弾丸は狂いなくピックアップトラックのフロントガラスへ吸い込まれていき横転爆発したのが見えた。
3発で高速移動中の車両を仕留められた事に若干の満足を覚えつつ口の中で干し梅を弄ぶ。
ゲートからは歓声が聞こえてきた。彼らにも月まで吹っ飛んだ車両が見えたのだろう。
同時、他の3方向からも銃声が鳴り響き始める。C.C.Cオペレーターが受け持つ方角からは俺と同じようなアンチマテリアルライフルの単射音が。
アゼルバイジャン正規軍が受け持つ方角からは
<<こちらコーカサスコントロール。ヴァイオレット2-8、そちらが先鋒を撃破した敵北部部隊が稜線の手前で停車した。現在トラックから歩兵が降車し接近中。警戒されたしオーバー>>
『ヴァイオレット2-8了解。防衛任務を継続する、アウト』
<<…いや、待て。敵部隊の更に後方、距離2200mの森林部に複数の熱源が出現。これは―――迫撃砲部隊だ>>
その通信が入った瞬間に風切り音をヘッドセットが拾う。咄嗟に対ショック姿勢を取った。
直後ヘッドセットが音量カットするほどの轟音、そして熱風が肌に感じられる。
滑走路横に設けられていた掩蔽壕に迫撃砲が着弾したのだ。
『全員頭を下げろ‼観測手はまだいないはずだ‼精密攻撃はありえない‼』
エアロン大尉の怒号混じりの声がヘッドセットから聞こえる。冷静なものだ。流石に頼りになる。
俺は対歩兵射撃に備え
<<ヴァイオレット2-8、狙撃を行っていたのは誰ですか?オーバー>>
『アサカ中尉だッ!』
<<アサカ中尉。こちらコーカサスコントロール。敵迫撃砲部隊の視認は可能か?オーバー>>
「不可能です。稜線に加え森林が遮蔽になっている」
事実を伝える。どう足掻いても視認は不可能な相対位置だ。
恐らくはフォーマルハウト隊による
各国アグレッサーなどの出身者が多い彼らがアルメニア空軍ごときに負けるとは思わないが、あまり期待はしないほうが良さそうだと感じる。
だが事実として迫撃砲火力を叩き込まれながら基地防衛なぞできるわけもない。一瞬詰みの二文字が脳裏をよぎる。
<<こちらコーカサスコントロール、アサカ中尉了解した。虎の子だが
そしてぴったり15秒後に稜線の向こう側で爆炎が上がったのが見えた。
今ほど所属企業がC.C.Cで良かったと思った事はない。普通の
ありがとうコーカサスコントロール。ありがとう綺麗な声のオペレーター。あなたが女神だ。
『Hue‼最高だッ!愛してるぜコーカサスコントロール!』
他部隊のオペレーターが歓喜のあまりコーカサスコントロールに愛を叫んだ。
まああのクールなオペレーターのことだ。小言を言われるに……
<<ンンッ‼ンンンンッ!か、各ユニット警戒継続。状況継続中です!>>
……メチャクチャ動揺しとるがな。存外ウブなのかもしれない。まさか命の危機に瀕した戦場で顔も知らない人物の性癖について考えることになろうとは誰が思うのか。
さて。そうこう考えている内に敵歩兵が
グリップを握りストックを肩に押し当てる。両目を開けた状態で暗視スコープを覗き込むと増幅された光で構成された緑の世界が現れる。
そしてくっきりとその歩兵達の姿を確認することができた。だが多大な違和感を感じる。コイツラ…装備が良すぎる。
アルメニア、アゼルバイジャン共に旧ソ連構成国。そのため装備にもその色が濃く出ているはずだ。それに正規軍からの離反者が多少合流しているとはいえ大多数は民兵のはず。であるのならばあの装備は何だ?
「コーカサスコントロール。こちらヴァイオレット2-8朝霞中尉。敵の歩兵を視認したのだがどうにもおかしい。連中
<<こちらコーカサスコントロール。アサカ中尉、確かか?オーバー>>
「間違いない。スコープではっきりと見えている。連中装備だけは超一流だぞ」
<<了解。現状作戦に変更はありません。C.C.C各ユニットは防衛戦闘を継続。戦闘終了後に調査チームを派遣します。コーカサスコントロール、アウト>>
きな臭いことになった。この戦闘にはアルメニアだけでなく第三組織が介入していることは間違いないだろう。
それも西側最新装備を供給できるような潤沢な資金力を持つ組織が。だが少なくともこの戦域にそれらが直接参加している可能性は低いと思える。
直接参加しているのならこんな稚児にも等しい杜撰な拠点攻撃は行わないだろう。
違和感を抱えつつも口の中の酸味に一瞬意識を向けることでそれを振り払う。
そして完全に射程に捉えた歩兵に対して射撃を開始した。
1人、2人、3人、5人、8人。なるほど。縁日の射的をしているのかと勘違いするほどに弾を当てやすい。
やはりこいつら装備以外は素人だ。だが
少々面倒だがヘッドショットを狙っていった方が確実か?
そうして14人目の頭を吹き飛ばし、15人目に照準を合わせた時だった。
全身の毛が逆立ち鳥肌が立つ。なぜ?その理由はすぐに分かった。
15人目の後方、稜線の上にそいつはいた。
地上戦の主力であり、圧倒的な装甲と機動力、火力で歩兵をボロくずの用に吹き飛ばす巨体。
平野に置いて不意遭遇すれば神に祈るしか無い鉄の猛獣、戦車だ。
特徴的なネットで車体を覆っているその砲口と目があった。
「T-90ッ!?」
『おいヒナツ!T-90ってマジか!?そこから逃げろ!絶対に狙撃手を吹き飛ばしに来るぞ!』
<<そんな敵
俺はエアロン大尉とコーカサスコントロールの声が聞こえる前に走り出そうとしていた。
そしてその瞬間、T-90の砲口が砲炎を吐いたのを目撃する。
妙に周りが遅く見える。匍匐状態から起き上がり、弾薬庫の屋上から飛び降りようと走り出す。
視界の端には迫ってくる砲弾。屋上外縁まであと3m。
砲弾はスローになった世界でも高速で迫ってくる。
あと2m。過去の記憶がスライドショーの用に流れ出す。その多くに写っているのは、1人の少女と1人の女。
最早砲弾は眼前まで迫っている。
あと1m。ああ、そうか。これが走馬灯。
砲弾は弾薬庫の外壁を食い破り内部の燃料弾薬に引火した。
視界が白く染まる。嗚呼、死ぬ瞬間まで意識があるものなんだな。ごめんな。秋奈、ひめ……。
「ヒナツゥゥウウッ!!」
エアロン大尉の絶叫が俺の耳に聞こえることはなかった。
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