第33話 クシティ・ガルバ

 浅井君、つまり僕が捕らわれているビルから、数百メートル離れた空き地に着陸したヘリから三人が飛び出す。


「ここで待機していて。誰かに見つかったり、三十分しても私達が帰らなかったら、帰還して頂戴」

 頷くパイロットは明莉に、布の袋に包まれた長い棒のようなものを渡した。


「マルチブレイン、これを研究所から預かってます」

「ありがとう。さあ、行くわよ、ユウ、マリ」

 走り出した三人は、数分で目的のビルまでたどり着く。

「よし! いくぜ!」

 マリの言葉にユウが元気よく応える。

「よっしゃあ~! 一気にやっちまおう!」

 正面玄関から進入しようとする二人の頭を、ガッチリ掴んだ明莉がため息を漏らす。


「あなた達、さっき私が言った事、完全に忘れてるでしょう?」


「え? 何か言ったけ?」

 マリがユウに聞いた。

「さあ……でも、このズキズキする頭の痛さだけは、覚えがあるような気がする」

 さっきより一段と大きなため息をついた明莉は、グッと両手に力を加えた。


「こんなバカな頭は潰しても問題なさそうね」

「イテテ、明莉の馬鹿力め……うん? なんかこんな事が前にもあったような」

「そうね……デジャブ現象かしら?」

「いいえ、あなた達が、バカなだけです。いいかな?正面から入れば、組織との全面対決となり、乱戦になります。ここまではいいですか?」


 うん、うんと頷く二人。

「乱戦になった場合、相手はもしかした拳銃とか、使用するかもしれません。バーン!って弾が飛んでくるわけですね」


「別にそんなの回避すればいいだろう? イテテ!」

「マリはそれでもいいかもしれないけど、私とユウは拳銃の弾を回避なんて出来ません。ましてや浅井君には確実に当ります。分りますか二人とも?」


 無言で話を聞いている二人を、グッと自分の顔に寄せた。

「You understand?」

 うん、うんと頷く二人から手を離す。


「だからね急襲でいくの。ユウに詳細をスキャンしてもらい、浅井君のいる部屋を確定後、部屋に直接、もしくは最短距離で侵入する。誰かに見つかったら、相手を速やかに無力化。そうね、ユウが魂を抜くか、マリが叩いて気絶させる、もしくは私が絞め技で気絶させる、そんな感じかな」


「なんか面倒……」

 マリの頭をグーで叩いた明莉。

「なんか、この痛みも前に感じた事が……」

「デジャブ現象かしら?」


 二人の会話を聞いて益々力が抜けた明莉。

「えっと……とにかくユウ、浅井君のいる部屋のスキャンをお願い」

「はーい、ちょっとトランス状態に入るね。数人の霊を降ろして聞いてみる」

「あと、アイツの居所もお願い」

「アイツ?」

「九條の居所も探っておいて。アイツだけは、私の予想に収まらないわ」



 今、三人が突入しようとしている、ビルの一室には僕と九条と見張りの組員の三人。


 十分以上も、見張りの男を殴り続けた、九條の息が上がる。

「くそーなんだっていうんだ!? おまえは根性なんか無いんだよ。早く俺に詫びて、その子を渡せ!」

「もうやめて! 本当に死んじゃうよ」

 振り向いた九条は鬼の形相。


「もうこうなったら止められない。意地を通すなら死ぬ事になるぞ」

 九條の言葉に僕が覚悟を決めて、見張りの男の前に出ようとする。それを止めた男は、歯が折れ唇は腫れ、喋る事さえおぼつかない。だが、僕をを守る強い意志は揺らぐ事がなかった。


「そうか、おまえにそんな、根性があるとは知らなかった。中学生に惚れたか?」

 九條がジャケットの裏ポケットから、大型のナイフを出す。

「だめーおじさん。ここ通して刺されちゃう」

 自分の背に隠した僕の言葉。それでも微動だしない。

「いい……んだ…前に…人を……刺したから…これでイーブンさ……」

 僕は九條に強い視線を送る。


「僕が嫌いなら私を刺せばいいだけだ。このおじさんは関係ないでしょう?」

 九條はナイフを構えて近づいてくる。

「もうそんな問題じゃねえ。裏の世界では舐められたら終わりだ。飼い主の命令を聞かない犬はいらねえのさ」


 血だらけの男が呟く。


「そう……おれは…犬なんだよ…だから刺されても…気にする事はない……」

 僕はそんな二人に、夢中で首を振る。

「そんなのは絶対駄目! 殺されていいなんてないよ!」

 僕を横にどかして、男に向かう九条は、大きなナイフを構えた。

「おまえ、いい根性だな、刺されてからが楽しみだ……うん? なんだ……この感じ?」


 部屋の空気の質が変わっていく。淀んだものが清々しいものへと変っていく。

 薄暗かった部屋は徐々に明るさを増して。光が満ちていく中で暖かさが身体を包む。


「これが……クシティ、おまえが言ったひだまりの記憶か?」


 九條の問いに瞳を閉じた僕の中の何かが答える。

 僕の顔つきは全てを許す慈愛と威厳が溢れていた。

 クシティ・ガルバ……僕が身に宿した、ことわりが発現する。


「これがあなたの真に望んだもの。例え現世で経験する事は無くても、前世であなたは感じたことがあるはず。人は死に、生まれ変わり、新しい道を進みます。でも根本に残る記憶は消えることはありません。ひだまりに包まれた記憶、親の愛情を感じた記憶、無邪気に笑った記憶。それらは生きる者全てが持つ、生きる為の根幹の記憶なのです」


 表情と口調が変わった僕を見る九條。

「これが浅井の正体……真の姿クシティ・ガルバ。天上の力か」

 九條の言葉に、瞳を閉じたまま静かに微笑む、クシティ・ガルバ。

「私に力などありません。出来る事はただ一つ。あなたと一緒にいるだけです。それが地獄でも構いません。あなたが地獄に生きると言うなら、私は一緒に地獄へ墜ちましょう」


「おまえは全てを捨てて、おれと地獄へ行くと言うのか。そんな事は、偽善者の言い逃れだ。どうせ、おまえはこの男を助ける為に、私を殺しなさいとか言うのだろう? おまえの仲間達が来るまで、俺がおまえには手を出さないとタカをくくってな。そんなもんは、おれには関係ない。その男を殺してから、おまえの首を切り取ってやる、それをアイツらに見せてやる!」


 九条の脅しにも表情も口調も変化しない僕の中のクシティ・ガルバ。

「あなたがそう望むなら、そうすればいいでしょう。私には止める力などないのですから」


 部屋に漏れる日差しはまるで昼間のように部屋を照らし、流れる空気には草木の緑の匂いが立ちこめる。


「これはなんだ、力が抜ける……」

 九條は急に身体から力が抜けていくの感じた。

「くそーなんでだ、なんでこんな時に眠くなる!? クシティおまえの仕業か?」

 静かに首を振るクシティとなった僕。


「あなたは魂が疲れている。心が休息を欲している。今は眠りなさい。私は何処へも行きません。あなたが目覚めるまで側にいます」

「馬鹿な……おれの魂が休みたがっているだって?……そんな事は……ない……絶対に」


 その場に崩れ落ちた、九條と見張りの男。

 深い眠りについた二人の男は、今は怒りも痛みも忘れ寝息を立てる。

 僕は普段の様子にもどり、ヘナヘナとその場に座り込む。


「あーよかったよ。でも僕も……眠くなった。ふぁあ~~」


 二人の暴力を商いする男の側らで眠り始める僕。


 部屋の中はひだまりと緑の匂いに満たされ、風は優しく僕の髪を撫でる。

 髪が、まるで風を受けた草原のように揺れていた。

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