ツイッターΩ興亡史

小原光将=mitsumasa obara

前編


   *


 ぼくの高校時代の話をしたい。といっても、ぼくの話ではなく、ぼくの高校の話になるけれど。

 高校の名前は伏せておくが、そこはITに関してはかなり考えが進んだ学校で、ぼくが入学する2年ほど前から、生徒に学校用のタブレットを配布するようになっていた。もちろん最初期には機能がかなり制限されており、授業中に利用する以外に役に立つことはなかったらしい。それでも、生徒や保護者のあいだではけっこうな話題になったし、受験生のあいだでもそうだった。

 導入に至るまでの経緯は高校のホームページに掲載されたが、かなりスムーズに運んだらしい。校長やPTA、教師陣に、ⅠTへの理解がある人が多く、導入の意見はかなりの賛同を得た。そして都合よく市からの補助金ももらえそうだということで、導入はかなりの現実味を持って提案された。

 とはいえ学校にはいろいろなタイプの人がいる。教員のうちの何名かは生徒たちにタブレットを持たせることに反対していた。その中には、ラガードと言わざるを得ないような教員もいたが、基本的には彼らは「高校生はまだ倫理的意識がうすいので、何をやってよくて何をやってはいけないかを一人では判断できない。だからいろいろなことが可能になるデバイスを渡すのは慎重になるべきだろう」という意見のもと、反対していた。確かに言いたいことはわからなくもない。しかしぼくの高校というのが県内でもかなり上位の偏差値を持っていたので、さすがにそのようなことを心配する必要はないだろうという判断が働き、反対意見は退けられた。しかし、譲歩として「初期は機能を制限する」という条件が加わることになった。タブレットの機能は、様子を見ながらすこしずつ増やしていくという方針になった。

 ぼくが入学したとき、学校に行ってはじめにもらったのも、学生証ではなくタブレットだった。当時は中学生や高校生くらいの人はほとんど携帯端末を持っており、その半分くらいはスマートフォンに持ち替えていた。ぼくもすでにスマートフォンを持っていたので、タブレットの操作でわからないことはなかった。

 導入から二年が経っていたので、利用可能なタブレットの機能はかなり増えていた。学内のWi-Fiにつないでネットで検索することができるし、学生ひとりひとりに専用のメールアドレスが配布され、学校からの配布物はほとんどが電子メールで送られてくる。遅刻や欠席の連絡なんかもメールで済むようになっている。もちろん教材なども電子版で見られた。

 タブレットを渡されたとき、教員からやってはいけないことを簡単に説明されたが、操作の説明はなかった。そのため、生徒の中には使い方がわからず、宝の持ち腐れのようになってしまう人もいた。

 入学当初、となりの席にKという奴がいて、彼はよくタブレットの使い方をぼくに聞いてきた。彼は家がかなり貧しかったため携帯電話すら持つことができず、タブレットを触ったのもはじめてだったらしい。画面の動かし方やタスクの削除のし方、インターネットでの検索のし方など、ありとあらゆることを彼に教えた。そのおかげで彼とはすぐに仲良くなって、ひとまず友人関係に困ることはなさそうだった。Kにも友人がたくさんできていった。

 高校生活にも慣れてきたころ、新しい機能がタブレットに追加され、かなりの話題になった。それはいわば学内限定のSNSのようなものだった。当時すでにツイッターやフェイスブックは有名で、ぼくだってそれらのアカウントの一つくらいは持っていた。

 学校専用のSNSができたというのは、若者たちの小さなナショナリズムを喚起したりもした。十代の少年少女にとって、その程度のことでも誇らしく感じられたのだろう。

 そのSNSを、便宜的に〈ツイッターΩ〉と呼ぶことにする。実際、そのアプリケーションはプログラミング部の課題として――というのも、部を名乗るためには一年ごとに何らかの成果を上げなければならなかったから――ツイッターやフェイスブックを参考にして作られたらしい。しかし噂によると、その制作の半分ほどは顧問のMという数学教師がやったのだという。

 ツイッターΩは、学校のメールアドレスを登録すればアカウントを作ることができた。ぼくは――自分で言うのもなんだがミーハーなので――リリースされたその日のうちにアカウントを作って、いろいろと何かを書き込んだものだった。アカウントはひとつのメールアドレスにつき一つしか作れず、最初のうちはほとんどフェイスブックと変わらないような仕様だった。UIはフェイスブックとは比較にならないくらいダサかったが。

 運営は学校ではなく、Mの監督のもとプログラミング部によって行われた。サーバーは、学校が数年前から借りていたが、宝の持ち腐れのようになっていたのを使っていた。その内訳がどうなっていたのかはもはや知る由もない。というか、この話において重箱の隅をつつくようなリアリズムは邪魔にしかならないだろう。

 



 ツイッターΩは学校公認のSNSとして立ち上がり、徐々にユーザー数を伸ばしていった。生徒の半数近くが登録するようになると、教員も登録しはじめ、連絡手段として利用し出す動きもあらわれた。ツイッターΩを大きな話題とするわれわれ生徒をどこか軽蔑するような目で見ていた一部の教員たちも、雰囲気に流されて始めてしまうと、情報が四方八方から入り乱れるツイッターΩの心地の良さに魅せられていった。というか、もともとネットの知識に疎かった人ほど、ツイッターΩという新しいコミュニケーションツールにどっぷり浸かっていったという印象があった。

 その最たる例が、教頭のAだった。Aはもともとタブレット導入反対派だったが、ツイッターΩを始めると一日に何十件もツイートするようになった。その内容は、職務上必要と思われるものだけでなく、昼飯が何であったかとか、家庭の愚痴とか、学校の進学実績を如何に上げるかという名目の単なる武勇伝とかを投稿するようになった。

 ある日、Kがぼくにこんなことを聞いてきた。

「ねえねえ、ツイッターΩって何?」

 あまりにも素朴な質問すぎて、ぼくは驚いてしまう。ぼくにはリンゴって何? と聞かれたようなものだった。

 すこし頭を捻って、答える。

「まあ、SNSみたいなもんだよ。今は、最初期のフェイスブックとツイッターを混ぜたみたいになってるけど」

「えすえぬえすって何?」

 そこからわからないのか、と半ばびっくりしながら、

「インターネットを介して人と人が繋がれるようなサービスのことだよ」

 とぼくはてきとうに言う。

「それって面白いの?」

「面白いというか、ハマるって感じかな。決まった友だちとずっと一緒にいると楽しいだろ。それが、ネットの世界で一緒にいられるって感じ。あと、ニュースが一瞬一瞬に入ってくるようなものだから、話題を先取りしたような優越感はある」

「決まった友だちとずっと一緒にいるってのがわからないからなあ。俺はずっと友だちいなかったし」

 Kはさらっとそういうことを言う。そのことに、劣等感を抱いているといったそぶりも見せない。何か飄々とした態度がそこにはあるのだ。

「とりあえず、はじめてみればわかるんじゃないか?」

「お前はやってるの?」

「やってるよ」

「じゃあ、やってみようかな」

 ぼくはKにタブレットを開かせ、アプリケーションを導入してやり、アカウントの作り方まで手取り足取り教えた。

「これでお前もツイッターΩの住人だよ」

 2人してタブレットの画面を覗きこむと、そこには投稿数も〈フォロワー〉の数も0のままのアカウントがある。

「これで、どうするの?」

「まあ、友人の数を増やしていったり、何か投稿したりだな」

「ふうん」

 Kは言う。思ったよりも嬉しそうではなかった。

「でも結局、ツイッターΩをやってる人って学校の人たちなんでしょ。ならわざわざやらなくてもいい気がしてきた」

「でも、学校でいつも一緒にいるわけではないし、友だちほどではないくらいの人とゆるい繋がりが持てたりするし」

「なるほどね」

 Kは、とりあえず納得した風に見せておけば無難だろうとでも言うように言った。

「じゃあ、なんかツイートしてみろよ」

 とぼくが言うと、

「いや、いい」

「なんだよ。せっかくアカウント作ったのに」

「お前のアカウント、教えてよ」

 Kは言う。

「……いいけど」

 アカウントを教えると、Kはぼくをフォローした。ぼくもKをフォローしておいた。投稿はゼロだが、フォロワーの数が増えたことに喜んでいるようだった。

「これでよし」

 と言って、Kはアプリを閉じてしまう。まだ何もしてないのに。

 それからしばらく経ってもKはツイートをしなかった。ときどきKのアカウントを見に行ってみたけれど、プロフィール画像もフォロー数も変わっていなかった。KはツイッターΩをしていないとき何をしているのだろうかとよく考えるようになった。ツイッターΩに登録しているのに、なにひとつ近況を報告しようとしないのが不思議でならなかったからだ。これでは、繋がっているのか繋がっていないのか、よくわからない。ぼくは確か『インターネットを介して人と人が繋がれるようなサービスだよ』とか『決まった友だちとずっと一緒にいると楽しいだろ』と言ったのだが、あれは嘘だったかもしれないなと思ったのだった。

 もしかしたらKこそが、この学校で一番最後にツイッターΩのアカウントを作った人物かもしれなかった。まあ、そんなことはどうでもいい。




 ツイッターΩの機能はすこしずつ拡張されていった。まず、部活動ごとにアカウントを作成できるようになった。とはいえ、それは仰天するようなことではない。部活動のアカウントができたところで、内部の学生に向けて宣伝を行うくらいしかやることはないのだから。

 しかし、ある部活はそれ以上のことに活用して見せた。新聞部だった。

 わが校の新聞部は、コンクールで入賞も果たすほどしっかりと活動しており、毎月かなり完成度の高い学校新聞を作っていた。この度、ツイッターΩでアカウントができてからは活動の幅を広げ、新聞部独自のホームページを作り、そこに電子版の学校新聞を掲載することとなった。ホームページは少なくとも毎週、多いときは二日に一回の頻度で新しい記事が追加された。記事は公式のツイッターΩアカウントによって拡散されるようになった。はじめのうちは記事がアップされてもたいした反応は起こらなかった。が、時間が経つにつれ作成する記事の内容が変わってゆき、ネット上で話題になりやすいものが増えていった。つまりバズりやすくなったということだ。それにしたがって新聞部のフォロワー数は伸びてゆき、学生の7割以上がフォローしているという状況になった。また、記事のツイートはフォロワーによってシェアされるので、実質的に全校生徒および教職員がつねにそれを見て、反応しているという状況になった。ツイッターΩも新聞部のアカウントも、小さなメディアと呼んでしかるべき能力を持つに至った。

 月に一回、紙媒体で配布するだけの学校新聞では、読者の反応を直接確かめることはできなかったが、ツイッターΩでは違った。そういうことだ。

 そんなこともあってか、ぼくたちは、いや、われわれは、ツイッターΩに深くのめり込んでいった。ちょっとした暇つぶし程度にしか使っていなかった人が、より積極的に発言するようになり、現実の空間よりもネット上の空間の方が、発言の場として優位に立つようになった。そのときにはもう誰ひとりとして自分たちのやっていることを疑うことはしなくなっていた。


   *


 夏になった。学園祭の季節が近づいてきた。学園祭は9月の第2週の土日に行われることになっていた。生徒たちは夏休みを目いっぱい使って、自分たちの企画の準備を行うことになっていた。それは1年生も3年生も変わらなかった。つまり、3年生は夏休みを受験勉強よりも企画準備の方に費やすことになる。はっきり言ってしまえば、勉強時間の浪費ということになるだろう。そのぶん勉強すれば成績が上がるのは明らかである。この問題は生徒のあいだでも、教師のあいだでもたびたび話題に上がっていた。

「本当にこんなことをしていて良いのだろうか」と、はしゃぎながらも考えていたのは容易に想像できる。

 そのため、夏休みがはじまる直前になって学園祭廃止案が提案されたという噂が出回ったときも、誰も驚きはしなかった。ただ、激しい反対意見や拒絶反応とも言うべき罵詈雑言は飛びかっていた。

 噂の内容は次のようなものだった。

 学園祭廃止案を言い出したのは教頭のA。Aは昔から「無駄な行事をいろいろと廃して生徒の勉強時間を増やすべきだ。生徒にとっては娯楽が減ることになるかもしれないが、長い目で見れば、これこそが本当に生徒のためになることだ」などと言って、様々な行事に対して存在意義を問うていた。Aはひとまず「本年度の学園祭の中止」を目指して動いている。学園祭全体は、生徒会と実行委員会を中心として企画されるが、教師陣からの許可を得なければ開催はできない。つまり、Aは生徒会と実行委員会の立てた企画を許諾しないように教師陣に働きかけようとしている――。

 しかし、時を待たずして、この噂が現実のものであることが知らされた。

 ある日の放課後、AがツイッターΩ上で自身の計画とその必要性を宣言したのだ。Aは現段階で数名の教員からの賛成意見は得ており、実現する可能性が高いことを強調して述べていた。

 ツイッターΩがこのような使われ方をしたのはそのときがはじめてで、誰もが「ツイッターΩでそんなことを言っていいのか?」と思ったんじゃないだろうか。少なくともぼくはそうだった。まるで、町中の人々が日々の生活の悲喜苦楽を語り合っている広場にマイクを持った人物がやってきて町の改革案を演説しはじめたというような、そんな感じだった。簡単に言ってしまえば、声が大きくてうるさい、と思った。

 Aが宣言していたのがちょうど生徒たちが時間を持て余していた放課後だったこともあり、ツイッターΩには多数のアカウントが押し寄せ、多数の反応が次から次へと展開されていった。それはまるで……

「ねえ」

 ――。

「ねえ」

 ――――。

「ねえ!」

 Kの声だった。

 気付いたらKが前の席に座っていて、ぼくの顔を覗き込むように振り返っている。(※語りの時制がブレるとかいうツッコミはなし)

「うわ、何だよ」

「さっきから呼んでるのに全然反応しないじゃん」

「いや今ツイッターΩで大変なことが起きてるんだよ」

「へーそうなんだ」

「いやほんとに大変なんだって」

 ぼくはほとんどKの顔など見ずに受け答えをしていた。

「何があったの?」

「いや、Aが学園祭を中止にするって」

「え? まじ!?」

 とKが大声を出す。クラス全体に響き渡るが、他の生徒もみなスマホに張り付いて黙っている。

「まだ決まったわけじゃないけど動き出してるっぽい」

「まじで?! 俺も見なきゃ」

 と言ってKはタブレットを取り出し、ツイッターΩを開く。しかしいくらタイムラインを遡ってもぼくしかフォローしていないのだから、情報は出て来ない。

「うわっ、お前がめちゃくちゃ何か言ってる」

 ぼくの過去のツイートを見て言う。

 仕方がないのでぼくのツイッターΩの画面を見せてやる。そこにはKが話したことも目を合わせたこともないような生徒たちのツイートが並んでいる。しかもそのツイートのすべてがひとつの話題について多かれ少なかれ言及しているのだ。そのスケール感に圧倒されたのか、Kはしばらく同じ画面をじっと眺めていた。ぼくだったらさっさと流し読みして、情報の藻屑へと変えてしまうのだが。

 とはいえツイッターΩ上でなんらかの議論が進行しているというわけではなかった。Aはすでに一連のツイートを終わらせて現実世界に戻っているのだろう。ツイッターΩにはやはり生徒たちの激しい反対意見や拒絶反応とも言うべき罵詈雑言があるだけだった。それらは議論のレベルに達していなかった。

「ものすごい速さでタイムラインが流れてる。今まででいちばんかもしれないな。お祭りみたい」

 とぼくは言う。

「お前もツイートしてみろよ」

「何を書けばいいんだろう」

「何でもいい」

「変なことつぶやいて、空気読めないみたいに思われないかな」

「そういう場所ではないよ」

「何だろう」

 Kは自分のタブレットを手に持っている。

「思ったことを言えばいい」

「思ったことが何かわからない」

「そのままだよ。」

「じゃあ」

 と言って、Kはタブレットに何かを打ち込んだ。

 やがてぼくのタイムラインにKのツイートが表示される。しかし、それも新しいツイートに押され、流されていく。

『みんな、うるさい』

 Kが思っていたのはそれだけのようだった。




 その日の夕方、新聞部が号外を出した。記事の内容は先に述べた通りで、Aの学園祭廃止案についてだった。

 Aはそれ以降あまりツイートをしなくなった。あるいは計画が思うように行かず、わざわざ発信することも無かったのかもしれない。本当のところは今となってはわからない。

 しかし、結果を先に述べてしまえば、紆余曲折の果てに、この年の学園祭は中止されてしまう。その紆余曲折について、ぼくはいま書いているわけだ。


   *


 夏休みに入った。ぼくたちは学園祭の準備をはじめた。誰ひとりとして、本当に学園祭が無くなるとは考えていなかった。

 ぼくのクラスはお化け屋敷を企画していたので、教室を迷路のように区画するために大量の段ボールを用意した。段ボールは50キロほどになった。とりあえず、それに色を塗っていくことから始まった。

 夏休みに入ってから、新聞部の記事の更新頻度が格段に上がっていた。平均して一日に二回ほど記事が上がるようになった。これまでは新聞部の誰かが書いた記事は編集部を通じてホームページに掲載されていたが、このごろは部員それぞれが自由に記事を書き、自分の判断で記事を掲載できるようになったらしい。そのため新しい角度からものを捉えた記事が増えたが、それと同時に、程度の低いものも増えていった。

 あらゆるものに功罪があるのだ、とぼくは思う。ただの核分裂反応が電気を作り出すこともできれば人を殺すこともできるのと同じように。

 Aの学園祭廃止案だってそうだった。学園祭をやらない代わりに、ぼくたちは勉強時間という実はけっこう大切なものを得る。学園祭はすべての生徒が強制参加となっているから、出し物に興味がなくても――あるいは学園祭そのものに興味がなくても――協力はしなくてはならない。中には、その時間を勉強にあてたいと思っている人もいるかもしれない。そして、その意見はけっして。ぼくの中には、学園祭廃止案の実現を影ながら応援している生徒もいるだろうという実感があった。

 生徒たちはいつのまにかAへの批判や意見を現実世界で言わなくなっていた。終業式の日、Aは壇上に上がり1学期の総括をくどくどと語っていたが、学園祭廃止案についてはいっさい触れなかった。われわれ生徒も、ツイッターΩでの批難の嵐が嘘であったかのようにしれっと聞いている。しかしそれでも、しんと静まり返った体育館の中に、一触即発の緊張の糸が張りつめているのがわかった。いつの間にか、政治らしきものが動き出していたのだ。




 夏休みのあいだにツイッターΩでは何度かのアップデートが行われ、さまざまな機能が追加された。その中でもっとも重要だったのが、アカウントの複数所持の解禁であった。これによってアカウントを追加で5個まで作成することができるようになった。また、これまではアカウント名は必ず氏名と決まっていたのが、新しく作成されたアカウントについては自由に設定できるようになった。これによってツイッターΩはかなり本家ツイッターに近付いた。アップデートされたその日から多くの匿名のアカウントが作られ、大いに盛り上がった。みんな口をそろえて、このアップデートを「神アプデ」と言い、このアップデートを主導したというプログラミング部部長Bを賞賛する声が高まった。

 しかしその裏で、この機能が学園祭廃止案の問題に利用されていた。〈学園祭廃止断固反対!!!〉というアカウントが作られたのだ。フォロワー数もかなりのものだったが、ツイートのバリエーションが少なく、常に「学園祭廃止案に反対します!!!」くらいのことしかつぶやいていなかった。管理人が放置したBOTみたいになっていた。

 他方で、〈学園祭廃止案に賛成します〉というアカウントも存在した。これを見つけたとき、ぼくは「やっぱりいたか」という気持ちになった。ツイートの内容はかなりクリティカルで、「学園祭の準備というのは二週間もあれば完了する程度のものであるにもかかわらず、生徒たちは自分たちの青春ごっこやモラトリアムを楽しむためにわざとだらだらと時間をかけているのだ」というものだった。

 この指摘は実のところかなり正しかった。ぼくのクラスも、お化け屋敷の仕掛けを作るという名目で昼間から10人ほど集めたが、結局夕方までみんなで雑談をして終わった、というようなことがけっこうあった。まあ、それ自体は楽しくはあったのだが、〈学園祭廃止案に賛成します〉には返す言葉がなかった。図星を突かれた生徒たちの一部は、匿名アカウントを使って「陰キャ乙」「友達がいないから勉強することしかできないks」「教頭に媚び売ってんじゃねーよ」などとリプライを送っていた。こういうところも本家ツイッターに似はじめていた。




 学園祭の準備で集まったとき、このことをKに話すと、冷静に笑っていた。

「ツイッターΩって大変だね」

 とKは言う。

「学園祭なんかよりもツイッターΩの存在の方がよっぽど時間の無駄かもね」

「言うじゃん」

「でも俺は学園祭もツイッターΩもなくなってほしくないな」

「どうしてだよ。学園祭はともかく、お前はツイッターΩはやってないだろ」

「やってないけど、なんとなくあった方がいいなって思うんだよ」

「ふうん」

 Kは自分の利にならないことにもちゃんと目を向けてその価値を測るんだな、とぼくは思う。

「俺の親、けっこう借金があって、生活するだけで精いっぱいって感じなんだよ。父さんも母さんも毎日身を粉にして働いて、それでやっと3人兄弟を食わしてる。でも、両親は疲れた感じを見せないし、家の中ではずっと明るくて。はっきり言って、最高の家庭だよ。他の家庭がどうだか知らないけど」

 なぜ急にそんな話をはじめたのか、ぼくにはわからない。

「このあいだ、ちらっとツイッターΩを見たとき、違うなって思ったんだ」

「何が?」

「楽しみ方かな。みんな楽しいからツイッターΩをやってるんじゃなくて、引くに引けなくなって、仕方なくやってるような気がしたんだよ。それって違うよなって思ったんだよ」

「ふうん。まあ、それはちょうどAが宣言したときだったからかもしれないけど」

 とぼくは言う。Kがぼくに同調を求めていないのがわかった。

「それと似たようなこと、誰かが言ってたな。ツイッターΩで」

「そうなんだ、誰?」

「あれだよ。漫才やってる人」

「知らないよ」

「去年の学園祭で漫才やってた人だよ。お前は去年の学園祭、見に来たの?」

「学園祭は見たよ。二日とも行って二日ともさいごまでいた。漫才は見てないけどね」

「めちゃくちゃ面白かったよ。ヤバい奴が出て来てさ、ヤバいことを言うの。不謹慎ネタっていうのかな。めちゃくちゃウケてたよ」

「へえ、おもしろそう」

「その人、今年で三年で、最後だから絶対また漫才やるって言ってたよ」

「ツイッターΩで?」

「ツイッターΩで」

 何はともあれ俺は学園祭が楽しみだよ、とKは言っていた。

 いま思い返すと、Kはクラスの中でもいちばん学園祭に熱をそそいでいた。準備のために招集がかかると必ず参加していたし、その中でもいちばん働いていた。お化け屋敷の内装を決めたのはKだったし、小道具の準備を任されたのもKだった。企画責任者を勤めていた女の子が、自分の考えた計画を最初に相談するのもKだった。

 ふだん遊びに誘っても、Kは「お金がないから」と言って断っていた。高校生が言うところの〈遊び〉とは、たいていカラオケやボウリングなどの金のかかるものだったからだ。しかし学園祭の準備には金がかからないし多くのクラスメートが関わる。ぼくは学園祭の準備を遊びだとは思わなかったが、Kにとってはこれ以上にない遊びだったのかもしれない。学園祭を青春ごっこと形容したアカウントがあったけれど、少なくともKにおいてはごっこでも何でもなく青春そのものだったのだろう。そしてKはそんな悪意のある言及に負けないくらいしっかりしていた。


   *


 Aは夏休みの後半になってふたたびツイッターΩで意見を発していたが、大した内容ではなかった。夏休みが始まる前に宣言したことを繰り返しているだけだった。書いてある内容からは、教員からの指示も得られず廃止は難しそうだということが読み取れた。実のところ、Aよりも〈学園祭廃止案に賛成します〉の方が話題の中心にいただろう。

〈学園祭廃止案に賛成します〉は、どのクラスにもあるような、学園祭にやる気がありそれを男女のコミュニケーションへと昇華している層と、学園祭にまったくやる気がないかあるいは男女間のコミュニケーションを苦手としていて企画準備に積極的になれない層との対立を煽っており、主に後者からの指示を得てフォロワー数を増やしていた。学園祭マジックという言葉がある通り、学園祭には彼氏・彼女がほしいという欲望が介在していることを、軽妙に指摘していた。

「多くの場合、女子は集団行動に慣れているので学園祭の準備に積極的に参加するのだが、男子は積極的なものと積極的でないものに二分される。そして積極的な男子は単に彼女が欲しいという欲望――もっと言えば性欲だが――だけを動機としており、気持ちが悪いのだ」

 このようなことを言い、支持を受けた。フォロワーのほとんどが匿名アカウントだったが、その数は100に及んでいた。それだけ学園祭に恨みのある人間がいるということか。

 しかしそのようなことを妄想すること自体モテない男のルサンチマンだろうという指摘があった。それは学園祭廃止反対派からなされた。

 このあたりから、賛成派と反対派の言い争いは加速度的に紛糾していくことになる。ツイッターΩの中だけで。

 とはいえ、学園祭廃止賛成派の意見を顕在化したことだけでも、単純にすごいことだとは言えた。どの学校にも常に強力な保守の空気が流れており、改革派はいつもマイノリティにしか成り得ないのだから。




 夏休みが終わる直前になって、ひとつの問題が起きた。

 ツイッターΩは、学校公認のSNSとしてリリースされる前、試験運用としてプログラミング部のあいだだけで使われていた。一か月の試験運用のあいだになされたツイートは、今でも履歴を遡れば見ることができるのだが、そこに問題があった。プログラミング部の部長Bが飲酒を匂わせる発言をしていたのだ。


B:名前がダサい日本酒選手権を開催します。

投稿時間|20○○年4月15日16時28分


 というツイートがまずあり、その後すぐさま自分で自分にリプライを送っていた。


B:優勝は「獺祭」です。

投稿時間|20○○年4月15日16時29分


 これではただのギャグにしか見えないが、その後が問題だった。

 プログラミング部の部員CがBにリプライを送った。


C:どういう意味?

投稿時間|20○○年4月15日16時30分


B:「だっさい」っていう日本酒があんねん

投稿時間|20○○年4月15日16時32分


C:へえ、そうなん。よう知っとるな

投稿時間|20○○年4月15日16時33分


B:うまいから飲んでみ。高いけどな

投稿時間|20○○年4月15日16時35分


C:未成年なんで飲めませ~ん

投稿時間|20○○年4月15日16時36分


 当然Bは未成年であったので、飲酒は違法である。

 このツイートがある日突然掘り起こされ、ツイッターΩ上で拡散された。学校でこの話を知らない人はいないというくらいに。

これを聞きつけた教員はすぐにBを呼び出し、飲酒は本当かと問い質した。Bはただの冗談だと言って急場をしのいだ。が、プログラミング部の部員の口から、たびたび飲酒の自慢をしていたということが漏れると、ふたたび呼び出され、長時間に渡る尋問を受けた。その結果、Bは酒を飲んだことがあると白状した。

 Bが獺祭を飲んだのは正月の親戚の集まりでのことで、家族や親戚にすすめられて飲んだと言う。ほかにも自宅で親がいる前で酒類を飲んだことがあり、親は許しているのだと言った。しかし仮に親が許していたと言っても違法行為であることには変わりないので、Bの処分が決まり、一か月間の自宅謹慎が課せられた。少々罰として重すぎるだろうと思われたが、ツイッターΩで自慢していたことも含まれていたのかもしれない。

 この事実は新聞部によって大々的に報じられ、夏休みが終わるまでのあいだ生徒たちの話題を独占することになった。

 これだけなら不良少年が謹慎したというよくある話に過ぎないのだが、まだ続きがある。プログラミング部は学園祭の特設ホームページを作ることになっており、Bはその責任者だった。Bが一か月謹慎するとなると、誰かがその後釜に入らなければならなかったが、その適任者がいなかった。いまの時期から突然責任者になってくれと言われても誰もやりたがらなかったのだ。

 実行委員会が責任者を探しているうちにさらに問題は進展した。

 プログラミング部顧問のMがツイッターΩに書き込みをしたのだ。

「部員たちの制御が完全に自分から離れ、銘々で好き勝手なことをやり始めており、先日のツイッターΩのアップデートも事前の相談なしに行われたものだった」と言う。以前からBは後輩部員を手下のように扱っており、プログラミング部はもはやBの私物と化しているらしい。

 Mは、Bの数々の不正行為を列挙していったが、そこには自らの監督責任を放棄している感じもあった。第一、生徒の問題をツイッターΩに書きこむこと自体、教師としてどうかしている。しかし、そういうのを気にしていられるほど冷静でもないようだった。もはやプログラミング部は一つの部活と言えるほどのものではないことをMは強調し、学園祭特設ホームページの制作はもう諦めるべきだと言って、発言を締めくくった。

 これを受けて実行委員会は特設ホームページの作成は諦めるという声明を出した。しかし、Bが黙っていなかった。

 Bはすでに自宅謹慎に入っていたのだが、なぜかツイッターΩに現れ、Mに対して文句を言い始めた。Mはこれまで一切顧問としての仕事をしてこなかった。Bがプログラミング部を私物化してしまったのも、元はと言えばMの統率力の無さが原因であり、Mは教員としての資質に欠けている。このようなことを言って回った。

 MとBの言い合いはツイッターΩ上で、ある種の見世物みたいになった。それ自体はお祭りのようで面白くはあった。

 その翌日、突然Bのアカウントが削除された。おそらくMがプログラミング部の部員に命令し、削除させたのだと考えられた。これによってMとBの争いはMの反則勝ちみたいになった。

 しかし、さらにその翌日、Mが学校で使っているノートパソコンがコンピューターウイルスにかかった。MがタブレットからツイッターΩに愚痴を言っていた。画面にMの顔写真が無数に映し出されるようになり、まともに機能しなくなったらしい。害の少ないウイルスだったようだが、Mは対処の仕方がわからず、パソコンを買い替えるしかなかったらしい。

 犯人は、プログラミング部の部員の誰かだろうということは誰にでも想像できたが、いつまでも犯人を特定することはできなかった。そもそもMが自分でウイルスを入れ、誰かを犯人に仕立て上げようとした可能性もあるのだ。

 Mは激怒して――といってもツイートの文面から激怒しているように見えただけだが――プログラミング部を廃部にしようと言い出した。しかし、それを言った瞬間、Mのアカウントもまた削除された。

 これでBとMの争いは収まった(ように見えた)。が、あとから考えると、この出来事は、ツイッターΩがコミュニケーションの場から断絶と闘争の場へと変わっていく、その転換点となった、と言えるだろう。

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