【完結】沈む陽、昇る月

蒼井アリス

第一章

プロローグ

「こんな霧雨の夜は、お前はいつもそんな顔をするな。昔何かあったのか?」


 真木洋介まきようすけは相手の返事を期待する様子もなく、ポツリと呟いた。

 瞬きもせずまるで聞こえていないかのように窓の外を見つめていた海藤猛かいとうたけしは、洋介のその言葉に返事をするかどうか決めかねていた。答えたくないわけではない。本人にも答えが分からないのだ。薄ぼんやりと何かを思い出せそうだと思った瞬間、その輪郭はすっと消えてしまう。まるで自分で記憶を封印しているかのように。


「そんな顔ってどんな顔だよ」

 猛は首だけで振り向いて、洋介の視線を探した。

「かわいがっていた子犬がよその家にもらわれていくのを見送っている時の顔だ」

 猛と視線を合わせて洋介が答えた。

「俺は猫派だ」

「犬ってのは単なる例えだろうが」

「分かってるよ」


 そう答えて猛はまた窓の外に視線を戻した。洋介の問に答えが見つからないもどかしさと、大切な何かを思い出せない苛立ちで、猛は眉間に軽くシワを寄せた。

「悪い、困らせるつもりじゃなかったんだ」そう言いながら洋介は窓に映る猛の顔からそっと視線を外した。


 謝る洋介の言葉に、猛は静かにため息をついた。霧雨の夜は妙に焦燥感に襲われる。

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