華宿りの少女は婚約者から逃げられない

羽衣石えな

第1話 華宿りの少女

「おまえのような“華宿はなやどり”など、産まれて来なければ良かったのに」

「どれだけ寒凪かんなぎ家の顔に泥を塗るつもりなのかしら。忌々しい」


 これはいつの記憶だろう。遠い昔の記憶か、はたまたつい先日のことか。

 おまえは畜生以下の存在であると、生かしておいているだけ有難いと思え、と存在全てを否定する言葉を浴びせられるのが日常に組み込まれているから、そんな些細なことはどうでもいいのだけれど。


「華宿りだというのに、十六になっても異能を持たない出来損ない。何のために産まれてきたんだ、あれは」


 ただただひたすらに、寒凪家の当主とその妻――自らの両親に頭を下げ続ける。


 そうだ、これはちょうど二年前。

 十六の誕生日を迎えたその日。


 伊鞠いまりが部屋から出ていたのを偶然父に見咎められてしまいひどく叱られた後、丸二日屋敷の奥深くの蔵に閉じ込められた時だ。


「本当に申し訳ございません。……お父様、お母様」

「おまえなんかに母親呼ばわりされたくなくってよ。本当、人を不快にしかさせられないのね」


 室内に響く金切り声。少し顔を顰めた父。

 この二人は、……いや、寒凪家の人々は何を言っても、何をしても伊鞠に対して強い嫌悪と、拒絶を顕にする。

 

(私は、どうして生まれてしまったのだろう)


 夢から覚めても変わらない現実から目を背けようと、静かに目を閉じた。


* * *


 まるで不吉な黒猫の瞳のようだと蔑まれる金色の瞳から、涙が一粒頬を伝う。

 最悪な目覚めだ。

 まだ嘲りと、蔑みの含まれた声が脳内に響いている気がする。自分の存在全てを否定する言葉が、まるで鎖や枷のように、どれだけ引き離そうとしても、頭の中から離れない。


 物心つかない頃から、ずっと言われ続けていることなのに。未だに物に当たり散らすような暴力にも、精神的な苦痛にも慣れることはない。

 仕方ないと、辛くなったって無駄なことだと、とうに割り切っている筈なのに。


 ――華宿りは体内を巡る血、その全てが華である特異な存在を指す。

 もちろん、傷口から出てくるのは血ではなく美しい花々、もしくは花弁だ。十歳を迎えると、その華宿り特有の異能が顕れるのが一般的である。


 ……だが、伊鞠は十八を迎えようとしている今でさえ、異能を使えたことがない。


(そろそろ殺されても文句は言えないわよね)


 異能は希少価値が高い。なにせ華宿りにしか発現しないのだから。

 寒凪家は、その異能の利用価値の高さを見越して、未だに伊鞠のことを生かしておいている。


 それだけの経済的な余裕を持っているのもあるし、華宿りは建国当初のこの国――朱雀国すざくこくに大きく貢献したという云われがある。

 異質で薄気味悪い存在というのも確かだが、無闇に扱っていい存在でもないのだ。


 まあ、生かしているといっても、ご飯は一日一食あるかないかで、扱いは使用人以下。

 家の者にも、使用人にすら見下されるのにも慣れきってしまった。


 十歳を迎え、人々の期待が失望に変わるまでは、一応は寒凪家の長女としてそれなりの扱いはされていたのにな、と。

 硬く薄い、布団の役割を果たせなくなっている古布団を畳みながら思い返す。


 あの頃は、一日三食ご飯が出ていた。

 誰からにも忘れられたような古い離れの、狭く日も入りづらいような部屋ではなくて、雨風が凌げる母屋の一室に住まわせてもらっていた。

 昔も今も、部屋にあるものは布団や小さな手鏡、数着のお仕着せくらいと必要最低限のものくらいなのは変わりないのだが。


「早く起きないと」


 井戸から桶に水を汲み、顔を洗う。

 手入れのいらないようにと自らの手で肩口で切り揃えている、生まれつき、まるで老人のように白い髪を梳かす。

 必要最低限の身支度を済ませた後は、空腹を訴える腹を井戸水を飲んでなんとか誤魔化すことにした。


 この家での伊鞠の仕事は、掃き掃除や拭き掃除などの屋敷の掃除だ。来客がある時は人の目に触れないようにと自室から出ることも許されない。

 そうなると、いらないことまで考えすぎてしまうので、自分の役割が与えられていることは、少しありがたい。


 人目につかないように掃除を行うのはもう慣れたもので、手際よく掃除を行っていく。


「ふふっ。お父様ったら、そんなこと言わないでください」


 ふと、鈴を転がすような声が聞こえた。廊下を掃除しながら、障子の隙間を覗く。

 目に入ってくるのは、美しい着物を着て、無垢な笑みを浮かべる少女――自らの双子の妹である真白と、向かいに座り談笑する父。


(同じ両親から産まれた、双子の姉妹なのに)

 

 華宿りか、そうでないか。それだけの違い。

 どうすれば、真白のように愛されていたのだろう。そんなことを考えていても何も変わらないと、分かっている。


 でも、幸せそうな二人を見てしまうと、望んでしまう。無条件に与えられる愛情を。愛し愛されることの幸せを。


 腰のあたりまで伸ばされた艶やかな黒髪も、薔薇色の頰も、何ひとつ不自由のない暮らしも。全部持っているのは真白の方だ。


「……産まれたときから、私は真白とは違うのだから、しょうがないのよ」


 気を引き締め、箒の柄を持つ手に力を入れ直し、一旦手を止めてしまっていた掃除を再開する。何年もの間毎日休みなく行ってきた仕事なのもあり、手際よく短時間で掃除を済ませることができ、ほっと一息をつく。

 だが、そうそう休んでいていい時間などあるわけもなく。すぐさま次の仕事へととりかかろうとしたその時。


「いたっ」


 水仕事のせいで荒れに荒れた手から、じわりと桜の花弁がにじみ出てくる。

 次第に花弁はひらひらと宙を舞い、まるで人為的に起こしたかのような不意に吹いた突風に飛ばされていく。

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