インベイダーズ
烏丸焼
第1話 霹靂
天が、割れた。
薄氷が踏み破られるように、星が瞬く黒い天蓋の一点がひび割れ、砕け散った。たまたま空を仰いでいた人々は、呆然と目の前の光景に見入っていた。僕もその一人だった。
空に開いた穴から、真っ黒な星が一つ落ちてくる。いや、それは星と呼ぶにはあまりにも人工的で幾何学的な形をしていた。球型の多面体をした構造物を囲うように、幾本もの棒状の物体が花弁のような輪郭を描いている。構造物は花弁をプロペラのように回転させながら、徐々に地上へと落下してきていた。
「なに、あれ」
思わずこぼれた声は、誰のものだったか。誰のものとも知れない呟きに答える声はない。人々が呆然とする間にも構造物は落下を続け、やがてその下端が立ち並ぶビルの屋上に触れた。重い音と共に、コンクリートの巨大な破片が大通りに落ちてくる。響き渡る落下音と飛び散る破片を前にして、人々はようやく自分たちの身に迫る危機に気付いた。
大通りが悲鳴と混乱の渦に包まれる。ガラガラと今も音を立てて削られていく建物から離れようとする者。建物の中にいる人々に避難を促す者。落ちてくる構造物の姿をカメラに収めようとする者。
混乱の中で、僕はただ立ち尽くしていた。ずっと続いてきた日常が、わけのわからないものに壊されるのを眺めていた。
「なんだろう、これ」
これまで味わったことのない感情がわき上がる。悲しみでも、怒りでもない。胸の奥に熱いものが微かにこみ上げてくる。あの構造物に対して何かを叫びたい、けれど何を叫びたいのかはわからない。未知の衝動に戸惑う僕の背に、鈴の音のような透き通る声がかけられた。
「サン、あれは私たちの敵です」
振り返ると、逃げ惑う雑踏の中に一人、凛然と、編み込んだ長い深緑色の髪を夜風に揺らせて少女が立っていた。髪と同じ色のシンプルなワンピースドレスが、雑然とした街の中で神聖な輝きを放っている。彼女の瞳は静かに、真っ直ぐに、天から落ちてきた構造物を見据えていた。
「リード様。いらっしゃったのですか」
思わぬ人物を前にして、僕は姿勢を正す。祭事の時に壇上に座っている姿を遠目に見た機会は何度もあったが、呟き声が聞こえるほど近くに立たれた経験などない。僕が恐る恐る顔色を伺うと、リード様も黒い瞳を僕へと向けて、静かに、厳かに告げた。
「サン。貴方は今からあれと戦うのです」
「え……え?」
言葉の意味を理解するのにたっぷり三秒かかった。上空では今も構造物が回転と落下を続けている。生物なのか機械なのかもよくわからない。今からあれと戦えと言われても、何をもって何をするのか、まるでイメージができなかった。
「あの、恐れながらリード様。仰っている意味がよくわかりません。あれは一体何なのですか?」
「はっきりとしたことは、まだ」
静かにリード様は首を横に振った。
「何だかわからないのに敵だっていうんですか?」
「あれが何かは現時点では情報が足りません。しかし、あれがあのまま落下を続ければ、市街地は破壊され、市街地を支える神樹の根にも傷を負わせるでしょう」
リード様は夜空を振り仰ぐ。視線の先には、その枝でこの大陸全土の空を覆っている荘厳な神樹の幹がある。
「神樹はあれを他惑星からの敵性兵器と判断し、このような時のために準備されていた星間戦争用兵器の出動を決定されました。サン、貴方はそのパイロットに任命されたのです」
「僕が、パイロット」
その響きに、古い記憶が刺激される。神樹の意思で惑星探査船の乗組員に選ばれた父さん。僕は何もわからずただはしゃいでいた。ところが、父さんは宇宙に行ったきり帰ってこなかった。今度は僕が、他の星と戦うための兵器のパイロットに選ばれた。
「どうして、僕なんですか」
漏れ出たのは、そんな言葉だった。リード様は少し眉を下げた。
「全ては神樹の意思が決めることです。巫女である私はそれをお伝えするしかありません」
「答えになってないですよ。調査任務の父さんだって帰ってこられなかったんだ。戦うなんて、死んじゃうかもしれないのに。納得、できませんよ」
「それでも、私は貴方に戦ってくれと言うほかありません。神樹が貴方を選んだ以上、兵器のシステムはすでに貴方専用に設定されています。貴方が乗るしかないのです」
「くっ……そんなこと、急に言われたって」
「お願いします。あなたの家族や友人、この大陸に住む全ての人々のために」
リード様のまっすぐな視線から顔を背ける。市街地の上空では、落下を続ける構造物が幾筋もの光に照らし出されていた。しかし、光は構造物の表面を右往左往するばかりで、落下は止められない。今あれに対処できるのは僕しかいない。
「わかりました。従います」
「感謝します。それでは、私についてきてください」
市街地を抜け、草原を渡り、連れていかれた先は神樹の幹の根本だった。広大な樹皮の根本近くに大きな洞があり、人ひとりが通れるほどの通路が幹の奥へと続いている。十年前、父さんを見送った門だ。
「リード様、よろしいですか」
「はい、なんなりと」
「僕の身にもしものことがあった時は、母に伝えてくれませんか。寂しくさせてすまない、と」
「わかりました。お任せ下さい」
答えとともに一礼したリード様の顔は、悲しげに歪んでいた。
「申し訳ありません。貴方一人を矢面に立たせてしまって」
彼女が見せた顔は、神樹の巫女としての無機質な顔ではなく、僕とさほど歳の変わらない一人の少女らしい顔だった。
「リード様が気に病む必要はありませんよ。全ては神樹の判断なのでしょう」
僕はリード様に背を向け、神樹の門へと足を踏み入れた。
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