黒いチューリップはこちらからお渡しいたします

空井

 今日は結婚記念日だった。五年目の。旦那からのプレゼントは緑の紙。

「他に大切な人ができた」

 そんな陳腐な言葉とともに。

 気づいていなかったと思っていたのだろうか。結婚してから徐々にだらしなくなっていた身形もある日からキレイになった。今まで付けたこともない、香水をつけるようになった。残業なんてやらない人だったのに、ほぼ毎日。休日の上司に付き合うような人じゃないのに、上司と出かける機会が増えた。そして、何より私に急に優しくなった。

 ふぅと息をつく。

「もちろん私の両親とあなたの両親にはあなたから説明してくれるのよね?」

 旦那の顔から血の気が引く。そこまで考えていなかったのだろう。

「あなたから説明してくれるなら慰謝料はいらないわ」

 旦那のお義母さんと私はとても仲が良い。そして、私の母も旦那のことをすごく気に入っている。

「じゃあ、今からあなたのお義母さんにかけるわね」

 私はスマホで彼のお義母さんに電話をかける。

「あっえっあ……」

 焦って言葉が出てこない旦那を尻目に、スピーカーを押す。

『あら、美咲さん? どうしたの?』

 明るく朗らかなお義母さんの声。今まで私の支えになっていた。

「幸彦さんからお話があるそうです」

 青ざめた顔で首をふるふると振っている旦那。

『幸彦、どうしたの?』

「母さん、俺、美咲と離婚する……」

 か細い声で呟く。

『どうしたの!? どういうことなの?』

 電話の向こうのお義母さんにはちゃんと聞こえたらしい。

「私も詳しくはわかりません。今テーブルの上には離婚届があり、先程、幸彦さんから『他に大切な人ができた』と伝えられました」

『ねえ、どういうことなの! 幸彦』

 お義母さんの悲痛な叫び。彼は通話を切る。

「お前、どういうつもりなんだ!」

 逆上する旦那。こちらは何も悪いことはしていない。

「あとから説明するより良いでしょ。あなたに都合よく説明するともわからないし」

 多分、あることないこと言って自分が悪者にならないつもりだったのだろう。

「今度は私の親ね」

「お前から言えよ!」

 私はスマホから自分の母親の番号を呼び出す。もちろんスピーカーのまま。

『はいはい、美咲。どうした?』

 いつも通りの母の声。

「あっ母さん。私、幸彦さんと離婚することになった」

『えっどういうこと!?』

 声が裏返り、驚いていることが分かる。

『そこに幸彦くんいるの? 何かの間違いよね?』

 母の悲痛な叫びを聞きながら、旦那はドアを勢いよく閉めて出ていった。

「今、出ていった」

『今、そっち行くから』

 そう言って電話が切れた。

 しばらくしてチャイムがなった。母さんとお義母さんが揃っていた。

「大丈夫?」

 お義母さんはまず私を気遣ってくれる。

「大丈夫です」

 二人をリビングに通す。テーブルの上には半分が書かれ、判まで押してある離婚届が。

「幸彦くんは?」

 私は首を振る。元々そのまま出ていく予定だったらしく、その荷物を持って行ってしまった。

「浮気相手に心辺りは?」

 お義母さんは優しい声で尋ねる。

「わかりません」

 多分、職場の後輩だとは思うが推測の域を越えないのでここでは言わない方が良いだろう。

「あんたに何か落ち度が……」

 それは言われるとは思っていた。が、お義母さんが言葉を遮る。

「美咲さんはしっかりやってくれていました。そういうことは実の親に言われた方が辛いので、今は労ってあげてください。悪いのはうちの幸彦なので」

 優しさに、平気だと思っていたのに、涙が溢れる。

「幸彦さんの浮気癖はお付き合いしていた頃からありました。だけど、いつも私のところに帰ってきてくれていました。なので今回も気づいていたのに放置していました。私の慢心が」

「それ以上は言わなくていいの」

 実の娘のように可愛がってくれているお義母さんの優しさが嬉しかった。

「どうするの?」

 母さんがテーブルの上の紙を指差す。

「書くよ。幸彦さんが望むなら」

 笑ったつもりだろうが、うまく笑えたかはわからない。

「何かあったら相談してね」

 お義母さんの言葉が心に沁みた。

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