皐月:夏の気配、ターニングポイント02


 ホットプレートに油を敷き、餃子をざっと並べていく。一挙一動乱れのない整列のよう、と行きたいところだが残念ながら時折ぴょこんと変わった形のものが飛び出しているのはご愛嬌だ。じゅう、という焼ける音は既にご馳走で、フライ返しで焼き具合を確かめてからそこへ水がじゅう、と流し込まれた。ぶわり、と焦げた匂いと共に上がる湯気は蓋により封じ込められる。これで中まで火が通る時間の間に、目の前にご飯の盛られた茶碗と鶏ガラスープベースの溶き卵スープが、とん、と手際良く置かれた。手伝おうとしたら、龍一に「お仕事から帰ってきたんだから、座って座って」とにこにこ制されてしまったのだ。

 やがて水分が蒸発し切ったのか、中でぱちぱちと爆ぜる音が微かに聞こえてくる。そこで蓋をばっと開ければ、ほわっと腹に直接訴えかける匂いが座卓一帯に広がった。

「ほれ、適当に食べや」

 ざ、と手早くフライ返しで底をさらい、餃子を取りやすくしながら宗一に促され、花は箸を伸ばした。まずはスタンダードなタイプの餃子を、用意された酢醤油の皿に入れる。はふはふと、熱々に舌を火傷しないようにと気をつけながら、噛みしめると肉汁の味わいと、ニラの風味が口の中で広がった。刻んで入っているのはキャベツらしく、甘さもそこに加わり、旨味がじわじわと胃の中に落ちていく。気を遣ってくれたのか、ニンニクは入れていないらしい。その代わりにテーブルには下ろしニンニクと食べられるラー油がスタンバイされていた。

「ん? これは何入ってるんです?」

 箸で掴んだのは、合間に入っていた形が芸術的に歪んだ餃子だ。うあ、と向かいで龍一の呻いた声が聞こえたので、誰が包んだかは大体お察しである。

「それはチーズ入りやなぁ」

「あああああ花ちゃんごめんね僕の包んだの皆何かおかしくなっちゃってるから何なら僕食べるしそのあの」

「いいですよ、生焼けじゃないんですし。美味しければ結果オーライです」

 早口であうあう言葉を並べる龍一をスルーして、それを口に放り込んだ。やはり口の中が熱くて鯉のようにはくはく口を動かす羽目になったが、チーズがとろけて一気に風味が変わる。酢醤油との相性も悪くないが、これなら揚げてケチャップやチリソースと合わせても美味しいだろう。

「ほんまはニラの代わりにバジル使いたかったんやけどなあ」

「めちゃめちゃ拘ってきますね」

「本来は飽きっぽいのにね」

「飽きる暇ないし、大体共同生活では食事は作らされるの当たり前やったからな」

 どうせ作るなら、あれこれやってみたいやろ。と宗一が箸でつまみ上げたのは、中にしらすが透けてみえていた餃子だ。

「そのしらすの奴、気になってたんですよね」

「釜揚げしらすが出てたからな。使ってみたんやけど、どうやろ」

 花もそれを皿に取って、一口齧ってみる。これは餡を分けたらしく、ニラの代わりに大葉が刻まれていた。挽き肉も豚ではなく鶏胸肉で、しらすの味を活かすような組み合わせになっている。

「合いますね……大根おろしとかつけたいかも」

「あ、それ美味しそう!」

 龍一が箸を伸ばしたのは、海老が入った餃子だ。尻尾がぷりっと飛び出していて、その赤さが目に楽しい。餡はしらすのものと同じだが、海老の旨味が入るとしらすのものとは全然味が違って、これまた美味く箸がまた伸びる。三人ともひょいひょい口に放り込んで、餃子をがっつり満喫した辺りには、ホットプレートはすっかり空になっていた。

 ずず、と溶き卵のスープを飲みながら、花は二人をじいっと眺めていた。

「ん? どうしたの、花ちゃん」

 小首を傾げ、龍一がお茶の入ったグラスを差し出しながら訊いてくる。

「……ふたりとも、優しいなあって」

 そう返した途端、龍一も、宗一も目を丸くする。少しの沈黙のあと、ほぼ同時にそりゃあ、と言葉が重なった。


「花ちゃんが優しいからじゃないの? 遠縁とは言うけれど得体のしれない男二人が住んでるのを許してくれてるんだから」

「まあ、少々警戒心が薄い思うけどな。まあ、信頼の分は返さなあかんやろ」


 それぞれが、それぞれなりの答えを返してくれる。

 おそらくはそれが、彼等へ対する答え、に繋がるのだろう。スープの最後の一口を喉の奥へ送り出してから、花はご馳走様、と手を合わせる。

「じゃあ、優しい花ちゃん様のお土産を食べましょう!」

「あ、そういえばお土産あったんだよね」

「ケーキか? 皿持ってくるか?」

 席を立ち上がり掛けた宗一の肩をぐい、と押し戻す。取ってきますから、と笑ってぱたぱたと台所へ入り、冷蔵庫を開けば先刻持ち帰ってきた箱が、冷蔵庫の真ん中の棚に鎮座していた。それを取り出してから、スプーンだけ用意して、居間に戻っていく。

「――マンゴープリン、頂いたんですよ。美味しいんですから!」

 そういって箱の中からことん、と二人の目の前に出したのは、牛乳瓶よりは背丈の低い、口の広い瓶だ。その中にはぎゅっと南国の色を含んだプリンが詰められている。果肉がちらちらと中に入っているのが見えるその上にはきゅっと生クリーム、そしてレッドカラントが飾り付けていて店に出すものではないにしても、可愛らしい仕上がりになっている。

「うわぁすごいねえ、美味しそう!」

「マスターの奥様のお菓子絶品なので、食べたらもっとびっくりしますよ」

 にんまり笑ってから、ふと斜め向かいが静かなのに気がつく。恐る恐る様子を伺うと。

 無言で、宗一がプリンを凝視していた。目が、まるで宝物を見つけた少年のように、きらっきらしている。普段が表情がそんな動かないだけに、感情が溢れ出ているその反応が新鮮すぎる。

「…………花」

「ナンデショウ」

 うっわ、すごく喜んでる。

 表情筋が全稼働してる様子に、向かいで龍一も目が点になっている。まあ、そうでしょうそうでしょう、この人いつもそんなに顔動かないものなあ、と何処か他人事に思っている自分も、驚きで固まっているのだ。

「……食べて、ええんかこれ」

「はい」

「ほんまに!?」

「ほんまです」

 思わず関西弁で返してしまうのは、許されたい。イントネーション違っても許されたい。

 ふわあ、という声が聞こえてくる。少年っていうよりこれ、もう、乙女だな。自分より確実に年上だろう男性にそういう表現は如何なものかとは思うのだけど、もう反応が乙女だ。『可愛い』と呟きそうになったのを、必死に呑み込む。

「マンゴーで、こんな菓子……作れるようになったんやなあ……」

 暫し眺めてから、勿体ないなぁと呟きながらスプーンをつぷっと入れる。そしてそっとすくい上げてから口の中に入れて、じっくりと味わっているのがわかった。ぷるぷる、震えている。感動巨編でも見た後みたいだ、と花は観察しながら、自分もぱくりと口に放り込んだ。ふわん、と濃厚なマンゴーの甘さとプリンのまろやかさに、頬が緩む。横の人はそれどころじゃないけど。全身溶けてなくなっちゃわないだろうか、大丈夫かなこの人、と心配してしまう。

「……花」

「どうしました」

「プリンやないな……マンゴーやん……」

「マンゴープリンですよ、宗一さん」

「ほんま……ええ時代になったなあ……」

 素だ。素で、感動してる。しかし、こんなふにゃふにゃに可愛らしい反応見たら、ついつい甘やかしてしまいたくなるのは理解出来てしまう気は、する。花は、それが出来る立場ではないが、まあ、うん。

 花なりには、甘やかすことは出来るのだ。例えば。

「マンゴープリン、あとひとつあるんで。それは、宗一さん食べていいですよ?」

「! ほんまに!? ええのん!?」

「……ほんまです」

 まあ、こんな風に、くらいは。

 花にだって、甘やかすくらいさせてほしいと、思うのだ。なんて。


***


《マンゴーの味を覚えた。昨年の春からだ。》

《食つてゐると、だんゝうまくなってくる。うまい、と思つたら最後、逃れられないマンゴー地獄だ。》

《この誘惑をのがれようかと、オレンヂを食ふが、オレンヂはマンゴーぢやないし、甘酒をのむが、これもマンゴーじゃない。》

《そんなにうまいかと聞かれても、うまいとは、答へられない。初めての人には、少し臭いですよ、といふ位だが、大してうまくもないのに、何んて食ひたくなる味であらう。》

《日本でマンゴーが育つなら、僕はマンゴー屋になる。》


――直木三十五『果物地獄』より、抜粋。


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