弥生:雛祝い、花綻び02
からから、と戸を開けると、台所から花瓶を抱えた龍一が出迎えてくれる。
「一緒に帰ってきたんだ、お帰りー」
「途中で会ったし、買い物付き合わせてん」
幾つものスーパーの袋やら紙袋やらを見て、ああ、と苦笑いで返された。
土地土地によって長所、短所というものがある。鎌倉の短所はと言えば、買い物の便がまず挙げられるだろう。都心のように一箇所で何でも揃う、というのを期待してはならない。が、その分、それぞれの旬やお買い得なもの、また必要に即しての買い物を数店舗をはしごしていくのも、楽しみのひとつとなるくらいには、個性もあり、また新鮮でもある。他、潮風が強い海沿いではすぐに車や自転車が錆びてしまうなど、というのもあるが。
「ちらし寿司作るんだって、宗一さんが」
花が言いながら上がり框に袋をどさどさ置き、靴を脱ぐ。その言葉にぱちり、と龍一は瞬きを数回繰り返してから、当たり前のようにそれに返した。
「そりゃあ今日は雛祭りだもの。ちらし寿司は作るんじゃない?」
「へ?」
まさか、こっちもか。花が目を丸くしたその前で、ふふん、と誇らしげに花瓶を掲げる。
「僕もちゃんと! 桃の花を用意したんだよ! 菜の花も一緒に飾ろうと思って」
偉いでしょ、と胸を張られてしまえば何も言えない。どうやらこの二人は雛祭りに並々ならぬ熱意があるらしい。先にさっさと荷物を持って上がっていった宗一は、手を洗ってから台所で袋の中身を出していく。
「わあ、豪華。お刺身とか、海老とか、いくら……あ、違うこれ、何? とびっこってトビウオ?」
「切って盛るだけやし、楽やな」
ただハマグリのいいのんが無くてなぁ、とぼやいていたが、そこまでされたら此方がどうしたらいいのかわからなくなってしまっていただろうから、正直ほっとしたとは言えまい。大き目のボウルに炊いていた米を釜からしゃもじで入れていく。本来なら、作り置き甘酢をかけたり混ぜ合わせたり等々の手間があるし、五目の具材だって作らねばならないところだが、袋からがさがさと宗一が取り出したのは五目ずしの素が詰まっている瓶だった。
「こんなんまで売ってるとはなぁ」
感心しながら具を瓶から出し、混ぜ合わせていく。五目御飯の支度が終われば、冷蔵庫から卵を取り出し、小さなボウルに割り入れる。そこへ酒や砂糖、塩を加えて菜箸で軽快に混ぜ合わせた。熱したフライパンに油を敷き、そこへ薄く卵液を流し込んでいく。瞬く間にほわほわとした薄焼き卵が目の前で何枚も重ねられていった。それを液が終わるまで焼き続け、皿に置いて冷ますと刺身を一口大に切るべく、宗一がパックを出していく。
「花、海老を縦に割っとき」
「えーと……あの、何でこんなに張り切ってるんですか?」
改めて、おそるおそるとそう問いかける。うん、と言いながら別段気を悪くした様子でもなく、宗一は言葉を続けた。
「せやな。今は存分に祝えるからや、花がおるからな。それだけや」
その言葉に、一瞬返す言葉を失う。
もしかしたら、複雑な事情に踏み入ってしまったのではないか、と思ったからだ。そっかあ、とだけ返して、花は海老の背に包丁を入れて真っ二つにしていく。祝いたくても、祝えなかった誰かがいるのかもしれない。それを後悔しているのかもしれない、なんて。考え過ぎだろうか。
「お花飾ったよー。何か持って行くものある?」
入り口からひょこり、と顔を出した龍一が何も知らずにのほほんとした口調で聞いてくる。
「紙袋から箱出してくれへんか。雛人形、実家や言うから買うてきた」
「ええっ! 家になかったんだ⁉ ええ、どんなの買ったんだろ」
「豪華なもんやないけどな。ないよかええやろ」
がさがさ、と出す音が向こうの方で聞こえてくる。本当に、そこまでしなくてもいいのに。そう言ったけども全然聞きやしなかったのだ。でも、何か思うところが二人にあるのならば、付き合ってもいいだろうか。
「まあ、美味しいごはんもあるしね……」
「ん? 何や?」
「ううん、何でもないですよ。こっちの話」
本当に、おじいちゃんが三人に増えたみたい、だなんて。
口が裂けたって言えやしない。
***
居間にある棚の上にちょこん、と乗せられた兎のお内裏様とお雛様の両脇に、花を飾ったお猪口が添えられる。二人は酒を呑まないから、恐らく祖父が持っていたものを出してきたのだろう。玄関には桃と菜の花が生けられた花瓶が、龍一によって置かれていた。
そして今、和座卓の上には御馳走がずらりと並べられているわけで。
真ん中には大きな皿に盛りつけられた五目ちらし寿司がどん、と陣取っている。先刻焼いた薄焼き卵は錦糸卵となり、鮮やかな黄色を五目ご飯にまとわせていた。その上を愛らしいピンクのでんぷと桜の形のかまぼこ、一口大に切られた様々な種類の刺身が飾り付けられ、そこにとびっ子がぱらぱらと宝石のように散りばめられている。
その隣には市場で買った三浦大根をことことと昆布だしで煮たものが器の中で湯気を立てていた。その横にはちょこん、と田楽味噌の入った小鉢が置いてある。それをつけて食べろ、ということだろう。
それでは足りないのかと思ったのか、更に大皿に唐揚げが山を作っていた。これも揚げたてだというのが見てすぐにわかった。お吸い物の中にはかまぼこと小さな鞠のような可愛らしい飾り麩が浮いている。
「すっご、ぉい」
「今日はちやほやされる日やからな。たんと食べ」
「そうそう、いっぱい食べようね」
しゃもじを手にして宗一がちらし寿司を茶碗に盛って、目の前にことん、と置いた。
純粋に祝われているのだ、と実感が湧くと、少々、その照れが顔に上がってくる。こんなに祝ってくれるなどと、考えもしなかったから。親達も祝ってくれたのだろうけども、子どもの頃だろうから記憶に薄いのだ。
「えーと、あの」
「どうしたの?」
煮物を小鉢に分けていた龍一が、心配げに顔を覗き込む。
ああ、もう。なんだ、これ。恥ずかしいったら、ありゃしない。
だけども。
「……ありがとう、ございます。嬉しい」
素直な感情を、素直に言葉に乗せて。しかし、二人のきょとんとした顔に、ぶわっと恥ずかしさが顔に駆け上がる。
「はい! いつまでもこっち見ないで下さい! 食べます! いただきます!」
ぱん、と思い切り音を立てて手を合わせてから、ちらし寿司に箸を入れる。そんな花を見ていた龍一も、宗一も、同時に口元を綻ばせる。
「じゃあ僕達も食べようか」
「せやな、唐揚げも冷めてまわんうちに食お」
その声は、とてもとても嬉しそうで。
花は、一層頬が熱に染まるのがわかってしまって、ずず、と慌ててお吸い物を口にしたのだった。
***
かしゃんかしゃん、と食器を洗う音が、台所に響く。
食器を洗うのは龍一の役目になっていた。勿論花も洗うが、殆どは自分がやると引き受けている。料理音痴で、どうやっても宗一や花のように美味しいものが作れなかったからだ。只でさえ味付けは調味料の量は計っている筈なのに劇物一歩手前のものを生み出し、ならばとトマトを切ろうとすれば潰れかけ、肉を切ろうとすれば勢い余って指まで切りそうになり、挙句キャベツを真っ二つにしようとしたら包丁の柄がバキリと音を立てて召された。蒼白になった宗一にもういい! と、止められたのを思い出す。こちらにお試し転生する前に、こちらの世界に上手いこと馴染めるようにと数日かけて知識を叩き込まれたものの、どうしても料理だけは身につかなかったのだ。
だから、ある意味宗一――直木三十五を指名したのは正解だったのだろう。他の面々もどうもそっち方面に関しては若干の不安がつきまとうから。
泡を流し、皿を水切りラックに立てて置いたところで、背後に気配がする。
「あれ、どうしたの? 直木」
花はもう部屋の中だ。今日は物音が早めに消えたから、早々に眠ってしまったのだろう。
彼女が聞いていなければ、血縁――という設定なものの、血は繋がっていないというのは知られてるから随分複雑な家庭環境として認識されてしまっているのだろうけども――を演じる必要はない。
「ほれ」
テーブルにぽん、と包みを置かれる。首を傾げながらタオルで手を拭いて包みの前まで足を進める。
「これ、僕に」
「ん」
「開けていいの?」
「ん」
手にして、かさりと開いてみる。そこには紙の束とペン、そしてインクが入っていた。紙の束は、原稿用紙だ。
見れば、宗一は少々決まりが悪そうに視線を彷徨わせている。それは彼が照れている証拠でもあった。
「ちと遅れたし俺もお前もそういう性分だから、そういもんしか思い浮かばなかったんや」
他のもんでなくて悪かったな、と言葉は続く。
「……あれ、もしかして誕生日プレゼント、なの?」
「もしかしなくても! 自分の生まれた日くらい覚えとかんかい!」
ああ、そうだっけ。カレンダーを見れば、日付変更線を越えたことにより、昨日となっている。自分でも忘れていたし、大体雛祭りで御馳走を食べられたのだから、気にしなくても良かったのにと思ったが、思うよりずっと生真面目な彼は放っておけなかったのだろう。
「書けるかわかんないけど、でもあると確かに落ち着くよね。有難う」
「おう」
くるりと丸い背中を向けられた時、はた、と気が付く。
「あれ? 待って。君の誕生日は確か先月じゃ」
二月十二日。此方の生活に慣れるのにいっぱいいっぱいだった頃合いで、気が付けば過ぎていた。しかし、当の本人は知らんぷりを決め込んでいる。
「知らんな、別にええやろ」
「良くないよ! ああもう明日! 明日僕も買うからね! プレゼント!」
「ええって」
「いーやーでーすー! 本当、自分のことに関しては無頓着なんだからさあ、君ってやつは!」
甘えているようで、甘えていないのも。膝をついて助けを乞うこともしなかった。しなくても、強かったから、彼は生きていられたけれども。飄々と生きる男、でありたかったのはわかる。自分だって出来るなら、そうしたかったけれども。結局は弱かったのだ。その腹を括れなかったということなのだ。
しかし、それにしても。
自分なんて何でもない、なんて決め込んでるのもどうなのかと思う。
――君と花ちゃんがいない間に、虫の知らせを受け取った、っていうのかな。女の子の部屋を覗くなんて正直気が進まなかったんだけど。
――その机の上に、君の本があったんだよね。本屋にも並んでいない、君の随筆集が。
――あれを読んだら、花ちゃんはどんな反応をするんだろうね?
――もしかしたら、バレちゃうかもしれないけど……それならそれでも、僕はいいんだ。
教えてはやらないのだ。龍一はそう決めて戸を閉める。何も、見ていなかったことにしたのだった。
それで、崩れたところで自分は構わない。また生きるなんて、そんな気になんかなれないんだから、別に。
でも、彼はどうなんだろうか。転生云々が台無しになることより、あの本を読まれたことを知った時の反応が、知りたくて仕方なかった。その場面を想像すると、ふふ、と龍一の口元に笑みが浮かぶ。
「本当に、少しは自分に気を遣わないと、痛い目見ちゃうよ?」
微笑を浮かべて友達なりの忠告をしてはみたが、宗一はどこ吹く風と言わんばかりに、視線を明後日の方向へと逸らしたのだった。
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