ショーメシ~河童のかえりみち編

来福ふくら

睦月:はじめましての鍋01

『健全なる精神は健全なる身体に宿る』


 心の疲弊が和らがない限り、君はまた自ら舞台を降りることを繰り返すだろう。君の心は未だ薄暗い闇の中をうろうろとしているからだ。確かに、あの身体、あの環境は君の精神を苛み生命をも蝕みつくしていたに違いない。それが肉体から離れたところで楽になれたわけではあるまい。寧ろ、心に刻まれた傷はじくじく痛み、治る気配もないのではないだろうか。ああ、そんな顔でこちらを見ないでくれたまえ。別に、責めに来たわけではない。確かに、思うところはない、というのは嘘になるが、それでも君には苦しんでほしくないという気持ちに変わりはないのだから。

 ……これから君に提案するのは、いわば『魂の洗濯』であり『魂のバカンス』というものだ。

 何、そんな心配そうな顔をしなくても良い。上の者には、しっかりと許可を取ってある。君が何時までも先に進まないという向こうの相談から、私は派遣されたのだ。君が一歩を踏み出すために、手段も問わないことも了解を得ている。  

 何、怯えないでくれ。別に拷問にかけるわけじゃない。え? 顔が本気だった? まあそれはそうだな、君の心の安寧を得る為に本気にならないわけがないだろう。

 君にお願いするのは、一年間。そう、一年間で構わない。

『健康な身体で過ごしてもらう』

 課するノルマは、ひとつだけ。『生き抜くこと』だ。

 まあまず、一年間、生きてみて欲しい。それに関する必要経費は上で落とせる。ああ……生きることが仕事とも言えるから、給金も発生するし生活への不安はそれで払拭されるだろうかね。君は色んな表情が出来るんだなあ。まあ、少しは浮上していると安心しても良いだろうか。まあ、そんな珍妙な顔はしないでいい。大体君はなかなかの男前なのだから、もう少し顔を締めていかないと。

 後で口座も作るから名前を考えておいてくれ。本名? ううん、君の名前はあまりにも特徴がありすぎるから、もう少し癖の少ない名前を頼みたい。仕方ないだろう、その顔でそのままの名前はリスクが高すぎる。嫌だろう? 変な注目を集めるのは、幾らなんでも。

 ――ううん、随分と疑り深い。そんなに不安かな? ああ、まあ話がうますぎて怖い? まあそうか。そうだね。

 ひとりでそんないきなり生きろとか言われても、困る。大体今の時代の生活に馴染めるかも不安、と。確かにそうだねえ、それは失念していた。

 じゃあ、ひとりでなければいいんだね?

 おや、驚いたかい。いや、一人では不安と言うならば、誰かを道連れにしてもいい、ってことだ。親友、友人、知り合い、身内……今呼べる者であれば、君と一緒にその一年間を過ごさせることも可能だろう。うん? だから、言っただろう? 手段は問わない、と。

 ……ほぉ、驚いた。『彼』でいいのかい。てっきり他の……もっと馴染み深い名前を出してくると思ったんだが。いや、いい。彼も君ほどではないにしろ、なかなか次の段階に進んでくれなくて、手を焼いているとの話だし、寧ろ丁度いい。いいだろう、申請してこよう。共に一年を過ごせるなら、話に乗ってくれるね?

 うん? どうして、自分にそんなに構うのか? と。 

 ああ、答えは簡単だ。医者は患者がそこにいれば手を差し伸べずにいられない生き物だからだ。

 そして、私も君にも馴染みがある。私はここでも『医者』で、そして君がいた。出会えば、そうなるのは寧ろ必然ではなかろうか。かつて君を診たこともある縁だ。もうそれだけで理由は充分ではないかな。


 では、始めようか。バカンスを。

 大切なのは――自分自身が変わることだ。健闘を祈るよ。


 芥川龍之介くん。


***


 疲れた足取りで駅の改札を抜けると大きな書店への入り口が、楽園の門よろしく迎えてくれる。

 本屋の店頭は一週間後の芥川賞直木賞の発表で、一種のお祭り騒ぎのようになっていた。積み上げられた色鮮やかな候補作の表紙と目を鷲掴みにする派手なポップを横目に見ながら、佐藤花は目当ての本の山を探すべく新刊の陳列棚へと歩みを進めた。視線を動かすたびに、揺れる毛先は少し荒れていて時々枝毛も見える。髪もなかなか切りに行けず、もうすぐ肩に届いてしまいそうだし、後で予約を入れなければと何度目かの決意をした。今度こそは、眠気に負けて忘れてしまわないように、とこれまた何度目かの自分への言い聞かせをする。

 美容院の予約を忘れても、新刊の発売日は忘れない。花にとって、本屋は宝箱とも癒やしの空間とも言っていい。行ったことのない場所、会ったことのない人、決して経験することはない時代、目にすることもないだろう動物や植物、そして触れることのない空気。本を開き、それらを文字を追うことで生き生きとしたそれらを感じることが出来るのだ。

 人によっては、映像や音がないもので感動など出来ないのに、と驚かれることも多い。それはそれで、否定はしない。視覚や聴覚がメインとなって生きている人達にとって、それが全てだからだ。たまたま、花は文字からも風景や色や音を感じ取れる、ただそれだけのことである。

「あったあ……」

 探し求めていたコーヒーカラーの表紙を見つけ、迷わず手に取る。そして、レジに並びながら、財布を取り出した。中身は決して豊かではないけれども、楽しみにしていたものを買えるというのは、それだけで幸せなものだ。 

「ありがとうございました!」

 元気のいい女性社員の挨拶を背に外に出た花の手には、本が入ったトートバックが新たに増えていた。

 さて、今日は久々にあそこに向かおうか、と足取りも軽く、今度は駅から少し離れた商店街へと向かう。最近、横道に入った辺りにひっそりと古書店があるのを発見したのだ。この町には数年住んではいるが、仕事がごった返していた頃には冒険する余裕も、そして体力もなかった。新年明けてようやっとそのゆとりが出来たというわけだが、それは同時に花が無職になったことを意味している。さあ、明日はどうなる? と自分に問いかけるが、今は目の前の冒険を楽しむ方が先だ、と考えることをやめることにした。

 古書店は学生時代から好きな場所ではあった。しかし、昔と今とでは好きの理由は違っているように思う。学生時代はそれこそ小遣いが足りなくて、古本屋で活字の欲を満たしていた。まるで大盛上等な定食屋に向かうような感覚だったのだが、今はどちらかといえば砂の中から砂金を見つけるような。或いは河原の石の中から翡翠を見つけるような気持ち、というべきだろうか。宝物を探すような、そんな。

 外にも本棚が出ており、みっしりと詰められた本の壁を見つけて、花はその横にあるドアをぎい、と開けた。けっして店内はぱあっと明るいわけでなく、古本独特の匂いがうっすら漂うセピアカラーに占められている。そんな、うっすらと灯りが揺れる店内へ足を踏み入れれば、まるで現世から隔離されたような錯覚に陥るのだ。

 店の主成分でもある薄茶色の紙には、その時代の空気が含まれている。手に取って読んだ人、本を書いた人、本になるまでに携わった人、それぞれの息吹がそこには封印されている。一欠片に触れられたような、その感覚が花には宝石であり財産であり栄養であったのだ。勿論、実際どうだったのかはわからない。想像の範囲を越えることのない、都合の良い妄想のひとつなのかもしれないが、それでも。かつてその本の色が鮮やかだった頃と同じ空の下に今、自分はいるのだ。それを手に取る実感は何にも代えがたい充実感を与えてくれる。


「あ、良かったぁ……まだあった」


 手が、少し高い場所にあったその一冊を引き寄せる。黒一色の布張りの本の中身を確認して、にんまりと自然笑みが浮かんだ。今日の宝物、と呟けば喜びが胸の中に芽吹く。完全に表紙買いではあった。しかし数日前に見つけた時から、シンプルかつ目を惹いたその本の存在を、忘れることが出来なかったのだ。一旦時間を置いて、尚も心を占めるのならば迎えたほうが後悔しない、というのは花の経験から得た知見だ。

 現実を一瞬忘れさせてくれるくらいには、優しい甘さが含まれたそれを手にして、花はレジへと向かったのだった。


 帰り道、ポケットでスマートフォンが震える。画面を見れば、母親からのライン通知が画面に表示されていた。そういえば、前に帰ったのはお盆の季節だっただろうか。忙しさにかまけて、顔を出していない気がする。

『珍しいね、どうしたの?』

 指でぽちぽちと文字を繋げて送信すると、画面にぽん、と返信が映し出される。

『あんた、仕事今どうしてたっけ?』

 ……一言目から痛いところをまた、抉ってくる。無職ニューイヤーを迎えた、というお先の見えない現実がのしっと背中にのしかかった。何をどう誤魔化したところで状況は変わりはしないので、観念して只今求職中、とだけ返すと、思いもよらぬ文字が返ってきた。

『丁度いいわね。一年くらい、うちでバイトしない?』

 うん? なんて? と首を傾げたのは自然なことだ。佐藤家は自営業ではないし、大体娘の手を借りてどうにかなるような仕事を父親もしていない。というか一介のサラリーマンが娘の手まで借りてまでやらねばならぬ仕事、は会社として如何なものなのか。母親の仕事、と言っても専業主婦兼小説家の彼女にしてやれることは誤字脱字のチェックくらいなもので、それもわざわざバイトとか銘打つものでもない。それもここ半年ばかり、ご無沙汰であった。母親なりに気を遣ってくれていたのかもしれないが。

『うちでバイトって何』

 疑問符を浮かべる兎のスタンプを添えて、そう尋ねると、すぐに答えは返ってきた。

『鎌倉のおじいちゃんがボケちゃって。あんた、覚えてる?』

 おじいちゃん。ああ、そういえば。

 昔は良く一家で遊びに行っていた母方の祖父のことだ、とすぐ思い当たった。

 おじいちゃんは、とても孫に甘くて、初めての女の子の孫である花をそれはそれは可愛がっていた。小学校、中学校前半までは休みの度に家族で遊びに行っていたものだったが、高校で部活やバイトに明け暮れるようになると、足は段々遠退いてしまいここ数年は年一回、お年玉目当てで行くのみとなっていた。二十代になった花にも「いつまでたっても花はワシにとっては、可愛い女の子なんだよ」と容赦なくお年玉のポチ袋をコートのポケットに突っ込んでいたし、それを結局受け取っていたのだから、甘えていたのは否めない。

 そのおじいちゃんが、ボケた。ああ、そうか。

 地味な衝撃が、じわりと心臓に響いた。

『そうなんだ』

『で、老人ホームに入居って話になったんだけど、鎌倉の家がぽっかり空いちゃうの。おじいちゃんが元気なうちは時折戻って家で過ごさせてあげたいとも思ってるんだけども、誰もいない間、どうしようかって話になってね』

 確かに。

 只でさえ鎌倉という立地の中でも、おじいちゃんの家は海の近くのいい物件であるのはわかる。売却すれば、かなりの値がつくことだって素人の花でもわかったが、売るのが忍びないという意向も理解出来た。それで今度取り戻そうとしても、手が届かなくなるのは明白だ。だからせめて、おじいちゃんが旅立つまではという気持ちもあるのだろう。


『あんたに、まあ一年くらい住んで欲しいのよ』


 ……うん? なんて?

 鎌倉で暮らせるなんて、そうそうないわよ。羨ましいわぁ。――母は、うきうきした表情を浮かべた犬のスタンプを添えて、そう締めくくった。ちょっと待って待って、まだ引き受けるって言っていない!

『待って。羨ましいっていうなら、お母さん行きゃいいじゃん!』

『もー馬鹿ね、お父さんどうすんの。お母さんいなかったら自分の世話もろくすっぽ出来ないのに、放置したら大惨事よ』

『……それはお母さんの教育が行き渡ってないんじゃないの』

『教育してどうにかなるなら、とっくに叩き込んでるわよ』

 ああ、まあ、そうね。何かとズボラが服を着て歩いているような父親ののっぺりした顔を思い浮かべながら、溜息が自然に出る。比較的強気で、割と物理で通すことに定評のある母に匙を投げられるのだから、相当なのは娘である花も知るところだ。

『あんた、仕事ないんだし。まあ、引越し代は出してあげるわよ。こっちの都合で今住んでいるところから離れさせることになるんだしね。あと当面、基本の生活費くらいは振り込んであげるから。それならすぐに仕事見つからなくても不安はないでしょ。兎に角、住んであげてほしいのよ。家は人がいなくなっちゃうとすぐに駄目になっちゃうから』

『ううん……一人じゃ広すぎない?』

『まあ、お母さんも顔出したげるし、従姉のハルちゃんにも声かけたげるわよ。一緒に暮らすまで出来なくても、遊びに行ったりは出来るでしょ』

 仕事のことを言われると痛い。それに、当面とはいえ生活費が振り込まれる、っていうのはなかなかに美味しい条件なのではないだろうか。今住んでいるワンルームマンションの家賃だって馬鹿にならないし、鎌倉で暮らす、ってのはこの先なかなかない経験だろう。一年の猶予が出来たと考えれば、悪い条件では決してないわけで。知らない相手に、知らない場所を紹介されたわけでもないし、それならば。

『じゃあ、いいよ』

 引っ越しの荷物まとめるのも大したことはなさそうだな、などと考えながら。花はぽち、と了解した! と元気よく親指を立てるキャラクターのスタンプを母親に送りつけたのだった。


 そうだ、これはバカンスなのだ。

 一年限定の。


***

 

 正直、自分の荷物より本の方が多かったのは笑うしかなかった。

 引っ越し業者のお兄さん方に重い、重いと悲鳴を上げられながらも何とかそれらは家の中へと運び込まれたのは昼過ぎのことだった。花はぴしゃんと戸を閉めた後で、改めて部屋の確認をすることにする。

 玄関脇にある客間は、全体的に和風の作りとなっているこの家では異彩を放つ洋室で、無駄に小さなシャンデリアが天井からぶら下がっている。スプリングが壊れていたとのことで、ソファーは処分されていて写真立てや置物も置かれた棚の他はがらんとしている。がらんとしていたのはこの部屋に限らず、台所や居間、かつてはお泊り用の部屋となっていた和室や奥の書斎代わりのおじいちゃんの部屋までも同様の状態であったのだ。

 家の主であるおじいちゃんの荷物は殆ど居間の角にまとめられており、家具の中は殆ど空となっていた。三段ボックスが大半を占めていた以前を思うと、家具は持ち込まなくて正解だったなとしみじみと思いながら、手っ取り早く布団など今日早速使うであろうものから荷解きを始める。一番奥の部屋を自室にしようと決めていたので、事前に運び込んでもらっていたお陰で、それらは思うよりスムーズに行うことが出来た。

――んじゃ、お昼食べたら居間の段ボールを開けちゃおうかな。本棚、寂しいし。

 此方に来る途中で買ったおにぎりのパッケージをぱりぱり開けながら、日が暮れるまでの予定を頭の中で立てていく。コンビニのおにぎりは海苔が別になっている構造を考えた人を称えたい、とパリパリ派の花は齧りつく度に考える。しかし、味わって食べている場合ではなく、お茶でそれらを流し込んでから再び荷解きの作業へと入った。

 居間には大きな本棚があり、そこは数冊の本が差し込まれているのみだった。恐らく花と同じように古本屋で気紛れに買ったのだろうと思われる仏像の展示会のパンフレットや、刀剣の雑誌、はたまた明治大正の文豪の全集が歯抜けでおさまっている。

「おじいちゃん、芥川龍之介とか読んでたんだなあ。あ、これ二葉亭四迷じゃん……へー……で、そこで赤川次郎とか入ってくるのかぁ……本当に気侭に読んでるなあ」

 それらを一箇所にまとめると、自分の本を差し込んでいく。本棚は年代物のしっかりとした木製のもので、使い込まれた証の艶がとてもいい味を出している。自分の持っている本は、元々そこにあったかのように自然にするすると馴染んでいく。新しい本は光沢のある表紙が室内に揺れる照明で、ぴかぴかと星のように自分の存在を示していた。古書店の本達は決して星のように瞬いたりはしないが、まるで人のような存在感を持っている。

「長いこと人の手にあるものね。付喪神とか、いたりして――なーんてね」

 そう独り言を連ねながら、一冊、また一冊。本棚を埋めていく。

 と、室内に少し割れたような呼び鈴の音が大きく、響いた。

 びくん、と思い切り身体が跳ねてしまう。誰だ、と記憶を辿り、そういえば母が引越しの手伝いに来てくれると言ってくれていたことを思い出した。従姉も連れて行くから、と言っていたが彼女も会社と家の往復で体力を使い果たしているのではないか。無理はしなくていいよ、と言っておいたのだけども、果たして。

 ぱたぱた、と玄関まで向かう道のりが、長い。平屋建てのそこそこ広い家で、居間から廊下を経て、というだけで移動している実感が伴う。比較対象がワンルームマンションだから、寧ろ比べる方がおかしいといえば、おかしいのだろうが。引き戸の硝子の向こうには、予想通りに人影が二つ並んでいる。しかし、それは花の思っていた人達のものではなかった。


 ……ひょろ長い、男二人。


 怪しい。怪しすぎる。警戒するのは、当然だ。

 確かに日本は安全な方とは言われるけれども近年物騒な事件も増えたし、何よりも人数や腕力的にも不利が過ぎる。これは居留守を使うべきなのか、と身構えた瞬間、大音量が花のデニムパンツのポケットから溢れ出した。東京と銘打ちながら千葉にある夢の国で行われるパレードの音楽が、玄関に流れていく。居留守という手段を立たれた危機的状況の中、画面を慌てて見れば待ちかねていた『母』の文字であった。

「もしもし? お母さん! 今何処なの⁉」

 声を潜めながら、噛みつくように出ると、のんびりとした声が、思いもよらぬ言葉を口にしたのだ。


『あ、そっちに宗くんと龍くん、着いたかしらぁ?』


 ……は? と思わず聞き返してしまうのは当然だろう。

 誰だそれは。聞いたこともない名前なんですが。

「待って? お母さんが手伝い来るんじゃなかったの?」

『ごめんごめん。今日ちょっと動き取れなくなっちゃってね。ふたりに予定より早めにお願いしちゃったの』

「ふたり? ってそのふたりを私知らないんですけど?」

『まあ、そりゃあそうかも。遠縁であんたもこーんなちっちゃい頃にしか会ったことないからねぇ』

 そんな記憶にもないような人達を寄越したのか、この人は。真顔になりながら花は戸の向こうにいる二人組の影を、じっと見つめた。


「うーん、不審者と間違われちゃってるのかな。壺とか売りつける気はないんだけど」

「阿呆か。普通に俺達不審者やぞ」

「えっ、嘘、こんなに無害な顔してるのに」

「無害って意味わかって言うてんのか」


 漫才が始まりそうだ、と思うような調子で会話が進んでいる。少なくとも、すぐに危害を加えようという切羽詰まった様子はない、と判断すると、花は通話をスピーカーに切り替えた。

「わかった。ちょっとお母さんも一緒に話をしてくれない? 万が一何かあったら自宅電話で通報してよ」

 そう言うと、戸の向こうで「あっ通報されちゃう?」と困っているのかいないのかわかりかねるような、のんびりとした声が聞こえてくる。兎に角、母親が言う二人なのか、まずはそこからだ。

「どちら様ですか」

 鍵を開ける前に、当然まず聞くべきことを口にすると、少しぶっきらぼうな声がそれに応えた。

「植村言います。可乃子さんには話聞いてへんかな」

 可乃子、は母の名前だ。だが調べればそれは、すぐにわかることで安心材料にはなり得ない。

「……今聞きました」

『ごめんねぇー! 宗一くん、今話したのよお!』

 スピーカーの声がけたけた笑いながらそう伝えると、戸の向こうから深い溜息が聞こえてきた。まあ、この様子から見るに、母親と彼等との面識はあると思っていいだろう。スピーカーをそのままに、花は鍵を開けて、からからと戸を開けた。

「あ、可愛い」

 嬉しそうに表情を綻ばせたのは、先刻のんびりと通報を心配していた方だろうか。柔らかそうな髪をふわふわゆらして小首を傾げて此方を覗き込む。くりっとした目が仔犬を彷彿とさせた。端的に言えば、顔が良い。これはさぞかし注目を集めそうだな、と思いながら隣に立っている青年へと視線を移した。

「怯えさせんなや、お前はじっとしとき」

 そのふわっと青年の首根っこをわしっと掴んだのは、母曰く『そういちくん』か。此方は整髪料で髪を上げているせいか、自分より年上なことがすぐにわかった。ただ、伏目がちではあるが、目はやはり丸く並べば血縁だということはすぐに察することが出来る。双子か、それか歳がそう離れていない兄弟、と考えて間違いなさそうである。

 ぱちり、と目がかちあった。あー……とそういちくんは少々困ったように声を上げてから、身の置き所に困るかのように視線を少し彷徨わせ、少し厚めの唇を指で撫でた。凝視されているのに気が付かれたのか、そういちくんは更に困ったように視線を彷徨わせた。

「遠縁やから、まあ初対面やろ。向こうは龍一。俺は宗一。兄弟、みたいなもんや」

「ええっ、僕達兄弟じゃないの⁉」

 花が驚く前に、首根っこを掴まれて大人しくしていた龍一がショックを受けた表情で、叫んでいた。ぽかり、と軽く裏拳で叩かれてから黙れ、と怒られている様を呆然と見ていた花の手の中で、母の声が響いた。

『ねえねえ! 寒いんだから、中に入って話したらどう? 三人とも』

 確かに、ごもっとも。

 まあ、家に入れるに関してはまずは許してもいいだろう。そう判断して、花は戸をがらり、と全開にする。

「どうぞ、ろくすっぽ片付いちゃいないんですけど」

 まずは、温かいお茶が必要だ。吹き込む風にぶるり、と震えながら二人を中に促したのだった。

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