第9話 霞

 何分? 何時間? くらい立ちすくんでいただろう? ……『時間』という観念がかすみのように消え去り、なぜか壁に貼ってある『手指消毒の仕方』のポスターを、ピントがボヤケた目で見詰めたまま、微動だにする事が出来なくなっていた。


『歩く』どころか、座る事すら出来ない! とにかく指ひとつ動かす事さえ出来ない程、まるで身体が綿わたのようだった……。


 何か意欲を出さなくては! このままではまずい! ……と思おうとしても、その考え自体がロウソクの火が消えるように『フウッ』と消えてしまう……。


 ……私……もしかして……このまま『過労死』しちゃう……?


 私が死んじゃったら、このセンターはどうなるんだろう?


 ……今の機械は高性能で簡便なので『わざと』間違えようとしない限り、正確に検査をしてくれる。


「私が死んでも代わりはいる」


 ……某アニメの有名な台詞だ。


 ……厳密に言えば意味合いが違うが、私が明日消えても、何も変わらず装置は動き続けるだろう。 そうで無ければならない。 患者様の為に!


 ……むしろ私は、そんな時代が来た事を喜ばしく思う。


『検査結果は、検査技師の技量に左右されてはならない』……は、お題目なんかじゃない!


 ……って


 それは判ってる!


 ……判っているけれど……。


 ……ここで私の命の灯火ともしびが消えちゃったら……どうしよう……


 ……みんな……泣いてくれるかな……?


 ……お父さん、お母さんには、親孝行の一つも出来なかった……。 可哀想な事になっちゃうな。


 ……私を信じて、このセンターを任せてくれた町野中央病院の方々かたがたも、責任問題の矢面やおもてに立たされちゃうかも! ……可哀想に……ごめんね……。


 ……いや……


 ……いやいや……


 ……誰が可哀想って


 私 が 一 番 可 哀 想 だ !


 まだまだやりたい事、いっぱいあったのに!


 年頃の女性ひとたちは、みんな着飾って、輝いてる。 こんな化粧っけの無い顔、髪はひっつめ……しかも白衣ケーシーなんかで死にたくない! 


 はっしーに言われたピアスだって、まだ怖くて空けてないしさっ!


 運転免許をとって、可愛い軽自動車を買ってドライブにも行きたいよ!


 何より、素敵な彼氏と、夢のような『デート』をしてみたい!


(作者注:真優が『大林 真也』と出会い、結婚するのは、もう少しあとの事です ……詳しくは、本編『特別編 TB』をご参照下さい)


 海の見えるレストランでお食事して、その後プロポーズされちゃったりしてみたい!


 結婚式で皆に、祝福されて嬉し涙をいっぱい流すんだ!


 そして……そして、愛する旦那様の子供をたくさん産んで、めちゃくちゃ可愛がって、家族でドライブして、みんな笑顔で、美味しいものをいっぱい食べて……それから……それから……


 …………!


「うわあぁぁぁ〜〜〜ん」……突然、感極まって、堰を切ったように涙が溢れ、大声を上げて泣いた!


 一度スイッチが入ったらもう止められない! 体内の水分が無くなるくらい泣いた!


 ……その反面、第三者目線で自分を冷静に視ている自分も居た。


 私……まだ大丈夫だ。


 ……さっきの『立ちすくみ状態』は、どうやら身体が、強制的にスリープ状態に入ってしまった為らしい。


 平たく言えば『気絶』していたって事だ。


 ……その『気絶』のお陰で、多少だが体力が回復したようだ。



 ……読者の皆様は、こうなる前に逃げ出して下さいね! 絶対に!


 自分の『代わり』は居ませんよ!

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