第37話 幕間の番外:巴と信仁の後日談の後日談04
翌朝。深夜遅く
それでも各自は六時には起き出し、別室で休んでいた
言い出しっぺでもある円が、当たり前だという孫三人の視線に押されつつ、行きがかり上これを快諾する。二つ三つ頼み事をした信仁は、しかし、自分の行動の全体像は教えない。昨夜巴に話したとおり、何かの拍子に動きを悟られるのを避けるためだという事は、全員が理解している。
「……わかっててアレなのか、わかってないのか、わかってるんならとんでもないクソ度胸よね……」
着替えるからと言って、食事の礼を言って離れに戻る信仁の背中を見ながら、円が呟く。
「わかってるはずよ。あの人、内心はものすごく緊張してるのよ。ただ、そう見せないだけ。普段だって、ああ見えてすごい周りを気にしてるもの」
「へえ……」
同じように信仁を見送りつつ答えた巴を面白そうに見ながら、円は感嘆する。伊達に二年間同じ学校に居たってわけじゃ、ないって事ね。自分たちでは今ひとつ見抜けないところを見抜けているらしい孫娘に、円は少し安堵した。
「それで、あいつはここには来ない、って事ですか?」
夕べ不満の声を漏らしたその男は、待ち合わせ場所で円から説明を受け、そう聞き返した。
「夕べ言ってたでしょ?殴り合いは御免だって。よーいドンで走って逃げられるってもんでもないのは信仁君もよく分かってるもの、そりゃ最初から距離を置くわよ。それとも何?見つける自信がない?」
「そんな事はありませんが……まあいいです、それなら」
相手が相手であり、男はやや緊張しつつ答えた。
確かに、ここに来いとは言われたが、自分もそこに居るとは言っていなかった。村の中心部――村の住人たる
思って、男は明るい朝日の下で、里で最強とされる女傑、
「……じゃあ、そろそろですんで、カウントしていいですか?」
鰍が、体つきに似合わない、男物のごつい腕時計を見ながら大きめの声で言う。火の見櫓の足下にいるのは男と円、巴、馨、鰍、そして里長の六人だけだが、面白そうな見世物に、手すきの里の者達は皆遠巻きに見物しに来ている。
「あ、あと、これ持って下さい」
馨が、男にビールのロング缶を差し出す。
「え?」
「信仁さんから頼まれてて」
有無を言わさずそう言って馨は、一晩暖かい部屋に放置されたらしい、全く冷えていない――むしろ外気より若干暖かい――ロング缶を男に握らせる。
「……まあいいけど……何の意味があるんだ?」
「さあ……」
聞かれて、馨は肩をすくめる。
「……したら、いいですか?」
男と、円と里長が頷いたのを確認し、鰍が深呼吸してからカウントを取り始めた。
「……一分前……三十秒前……五、四、三、二、一、ゼロ!」
さて、獲物はどこだ?男は、軽く腰を落としてどちらにも飛び出せるように身構える。
その瞬間。
頭上の、火の見櫓のてっぺんにある半鐘が、甲高い音をうち響かせた。
その場のほぼ全員が、見物の野次馬も含めて、一斉に半鐘を見上げた。
その約一秒後、銃声が聞こえてくる。1発だけ。
「……そっちか!」
音のした方を聞き分けた男は、一言呟き、腰を落として……
次の瞬間、手に持っていたビール缶が、強い力で弾き飛ばされた。
アルミ缶が貫かれる音と、それを上回る、猛烈な勢いで吹き出すビールの音。衝撃で痺れる手指。自分が手に持つ缶ビールが、銃弾で撃ち抜かれたのだと男が理解するまでに、一瞬の間があった。
まともにビールの噴水を受け止めた男は、破裂した缶が地面に落ちた音を遠くで聞きながら、血が逆流するような怒りがわき上がってくるのを感じる。
「……ふざけやがって!」
牙が、噛み合わされる。ビールの匂いで鼻が利かない。だが、二発の発射音の位置は同じ、この耳でバッチリ押さえた。
獲物がそこに居ると見当を付けた、畑を挟んでおよそ三百メートル強先の里と森の境界線の一点に向けて、男は飛び出して行った。
――撃てるものなら、撃ってみやがれ――
ほとんど一直線に走りながら、男は思った。自分が居た場所と発射音がした位置、幸か不幸か、この二点は畑のあぜ道でほぼ直線状に繋がっている。俺にとってはこれは好都合だ、三月の今はこの畑はまだ植え付けされていないが、それでも畑の中を走るのは気が引けるし、第一走りづらい。人間なら三百メートル走るのに三十秒以上かかるだろうが、
体を低くして走りながら、男は既に勝ちを確信していた。
――どうした、撃って来いよ!――
狼の視覚が、その不自然な一点を捉える。森の始まりの、その一点だけが、ごくわずかに周りと色合いが違う。そしてなにより、黒く細長い何かが、ほんのわずか、覗いている。
――迷彩服着て伏せているのか。あと数歩でそこに届く、そしたら、ふん捕まえてやる――
男は、ほくそ笑む。
――人間の目なら誤魔化せただろうが、
勝利を確信し、男の口が大きく裂ける。
その時、その森の始まりの一点が、動く。
草木の塊が、ほんのわずか、起き上がる。
男はそれを、迷彩服に偽装まで纏った人間が、恐怖に駆られて思わず体を起こしたのだと理解した。
――折角の偽装、なかなか人間にしちゃ上手いもんだったが、ビビって動いちゃおしまいよ!――
「取ったぞおらあ!」
わずかに身を起こしたその塊、周囲の枯れ草を引き摺りつつ盛り上がったギリースーツを抱きかかえるようにして、男はその中に居るだろう獲物を引きずり出した、はずだった。
――軽い?それに……――
急激に、突進の速度が減じる。ギリースーツに引き摺られ、驚くほど広い範囲の下草や枯れ葉がまとわりついてくる。咄嗟に、反射的に身をひねるが、むしろ体の自由が利かなくなる。
そのまま、不自由な姿勢で地面につんのめった男は、そこからさらに十五メートルほど奥の森の中に、銃口と照準眼鏡だけを覗かせ、自身は半ば土に埋もれるようにして身を潜めている何者かが居る事に気付いた。
――しまっ……――
銃口から、轟音と火炎が吹き出した。
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