第17話
あたしは、様子を窺いつつ、正門から並木道を通って繋がる教室棟中央一階の正面入り口に、西側通用門から移動していた。
正面入り口には、外来受け付け兼守衛所がある。警戒しつつそこを覗いたあたしは、二人の初老の警備員さんがそこに倒れているのを見た。
息はあった。だが、昏睡していて起きない。夢時空に引き込まれた一般人が、よくこういう状態になる事をあたしは知っている。
相手は夢魔、それも、とびきり強力。あたしはそれを確信し、そんなものを一人で相手する怖さと、強力な妖魔の相手が出来る本能的な嬉しさと、あたしのテリトリーを侵した奴に対する怒りで、体が震えるのを感じた。
ここは、この学校は、あたしの縄張りだ。だから、無断で、土足で入る奴は、許さない。
何も考えずに走り出しそうになる体を抑え、あたしは守衛所に残る手がかりを探す。あたし達にとって手がかりとはつまり、匂いだ。守衛さん達のもの以外の匂いが、複数の男の匂いがあるのはすぐに分かった。その匂いを追って、あたしは守衛所を飛び出した。声も上げず、足音も立てずに。
匂いは、守衛所を出てすぐに散らばっていた。その数、四つ。あたしや
教室棟は各階八クラス、この学校は一学年十二クラスで、東側校舎の一階全部と二階の半分が一年、残りに二年が割り当てられている。三年生の教室は、正面から教室棟向かって左の、西側校舎の三階部分。
その一階の、手前から六つ目の教室で、あたしはその場に似つかわしくないチンピラが、教室の中を見まわしているのを見つけた。
何を探しているのか、あたしに背を向けているそのチンピラは、扉の隙間から覗くあたしにまだ気付いた様子はない。机の中を覗くでもなくキョロキョロと教室内を見まわすその様子から、あたしは、チンピラの捜し物はロッカーや机の中に入るようなものではなく、もっと大きいものだろうとアタリを付ける。
多分、誰か人間を探しているんだ。
そして、もう一つ、あたしは、ある意味見慣れた夢時空の中では滅多に見ない光景である事にも気付いた。
つまり、このチンピラは明らかに夢魔自身ではなく、しかし夢魔に組する側の人間。要するに、あたしから見て敵対する複数の一般人もこの夢時空の中に居る、という事だ。
あたしは、今までこういうのを見たことはない。夢魔は、基本的に単独行動すると教わってるし、今まで「協会」の仕事で見てきたケースも全部そうだった。
だが、この夢時空を張った夢魔は、自分の味方の人間もここに引きずり込んで、どうやら自分の駒として使っているらしい。
これは、非常に珍しいパターンだった。
そのチンピラが捜索を斬り上げて教室後ろの扉に向かうそぶりを見せたのをきっかけに、あたしも動く。足音を殺して、廊下を後ろの扉の傍まで。
後ろの引き戸の傍に身を低くして、あたしは
ただ、こうやって、使う時には必ず現れて、必ず答えてくれる。あたしは、この
引き戸が、重い音をたてて開く。暗い廊下に、人影が出てくる。
タイミングを計り、あたしは息を吐いてから、木刀の柄頭をチンピラの鳩尾に見舞う。
あたしの吐いた息の音を聞きつけ、ぎくりとして音のした方に身を開いたチンピラの鳩尾に、綺麗に木刀の柄がめり込む。突かれた反動で一瞬身を浮かせ、そのまま崩れ落ちるチンピラの体をあたしは支えて、音が立たないように床に下ろす。チンピラが確実に昏倒している事と、一応死んでは居ない事を確認したあたしは、足音を殺したまま、廊下の奥の教室棟東階段を駆け上がった。
「やあ……こんなに早く会えるとは、思ってもおらなんだよ」
二階の、東階段を上がった最初の教室の後ろの扉を薄く開けたとき、教室内から聞こえてきたその声に、あたしは総毛立った。
声だけじゃない。声と同時に感じた、気配。まごうこと無き、何度も対峙している、夢魔の独特の気配。今まで相手にした事のある夢魔とは桁違いの、教室の空気そのものが腐っているかのような、瘴気と言うに相応しいほどの重く、禍々しい気配。けど、全身を走る緊張の原因は、それだけじゃない。
「どうした……あの
余裕綽々という感じで、教室の中央あたりに居るその男は、まるであたしの事を知っているかのように、言う。
――「奴」だ――
あたしも、直感する。行くしか、ない。気配と威圧感に呑まれかけたあたしは、下腹に力を込め、決心する。決心して、願う。
――ゆぐどらしる、あたしに、力を貸して――
かつて一度、対峙したことのあるはずの相手に、あたしは身をさらした。
「ほう……覚えているぞ。確か、あの狼の一番上の娘であったか?」
きゅう、と口角を上げながら、男は呟いた。それを聞いたあたしの体は、震える。「あの狼」とは、つまり。
「顔はさほど似てはおらんが、気はあの狼とも、あの男ともよう似ておる。なるほど、あのやくざ者の覚えに嘘はなかったか」
「あんたが……母さんと父さんを……」
恐怖、畏怖、恐れ。相手の、あたしを遙かに上回る力量の感触と共に、あたしはそういった悪い感情も感じる。だけど、あたしの中に、それを上回る怒りが生じた。
にたり。男が嗤った。
人の顔とは思えない程、上弦の三日月のような赤い口を、耳まで大きく開いて。
あたしは、教室の机の上に飛び上がり、
「娘、おまえ本当に、あの狼の娘か?」
数回斬り結び、弾き飛ばされて背中から机を蹴散らして床に倒れたあたしに、男はゆっくりとそう聞いた。
「何故、人の姿で闘う?」
「うるせえ!」
背中の痛みに歯を食いしばりながら、悪態をついてあたしは立ち上がる。ダメージは大したことは無い。たとえあばらの一本二本折れたところで、すぐに治る。だけど、痛いものは痛い。
「あたしの勝手だ!」
「……そうか。おまえ」
男は、大太刀のような結晶を纏ったその両腕を上げて、せせら笑った。
「半端者か」
念をこらした
それでも、奴の腕の
力が、足りない。
あたしは、こんなもんじゃない。こんなもんじゃないはず。そう思っても、力がこれ以上、出ない。
気圧されているから?違う、それだけじゃない。
あたしが、あたしの中の、狼の力を引き出せていないから。
「あっ!」
さらに何度か討ち合い、弾かれて、あたしの木刀が、体が、大きくのけぞった。
男の顔が、頬が、歪んだのが見えた。嗤ったんだ、そう思った。
軽く引いた男の右腕が、あたしの腹を狙う。
崩れた姿勢では、躱せない。弾かれたあたしの木刀を振り下ろし、防がなければいけない。しかし。
柄頭であれを弾き落とすより、あれがあたしの腹に刺さる方が、多分、早い。
あたしの頭の中の冷静な部分がそう結論しかかった時、
「
声と、銃声が重なった。
狙ったのか、偶然なのか。
二発の弾丸は、揃って男の剣に命中した。
そのわずかな弾みで、剣が逸れる。あたしの制服の左裾をかすめて、男の剣と右腕が通り抜ける。
「りゃあ!」
好機。泳いだ男の上体めがけ、あたしは退いた姿勢から木刀を振り下ろす。男はそれを左手の剣で受け流し、流されたあたしの木刀は、男の脳天を逸れて男の右の二の腕を切り裂く。
散らかった椅子や机で足場が悪い上に、この退けた姿勢からでは二の太刀は振えない。一瞬考え、すぐに判断してあたしは声のした方へ走る。
そのあたしと入れ替わるように、さらに二発の弾丸が、銃声を後にして飛ぶ。金属が結晶と打ち合い、弾ける音がする。
あたしは、後ろは見ずに、その銃弾を放った奴の横を駆け抜ける。ほとんど同時に、そいつも踵を返し、一緒に廊下を走る。教室棟の突端の東階段から、正面入口の中央階段に向かって。
階段の上から音がする。反射的に、あたしは中央階段を降りる。そのあたしの後ろで、銃声が二つ。階段の上、三階の天井あたりに着弾した音がする。牽制の射撃。後ろで何が起きていたかを想像しつつも、あたしは、後ろは気にせず走る。逃げ場の少ない学校内で、時間稼ぎが出来そうな場所に向かって。
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