第8話

 亮子りょうこの話から、私は、この桐崎快人きりさき かいとは、のべつまくなしに他人の精気を吸うわけではなく、特定の相手と床を共にする事で精を吸う、その際に相手に強烈な快感をもたらす、そういうタイプの吸精鬼であろうとあたりをつけていた。

 その特定の相手が、同意を得た特定の個人に限定されるなら、他人が目くじら立てる話でもない、とも言える。命の危険がないのなら。いや、あったとしても、それを承知であるのなら、それはもう、二人の間の問題と言ってしまって良いのかもしれない。

 だが。それが、同意のない他者にまで手を伸ばすようであるのなら。

 それは、私は、許すことは出来ない。


 もし、桐崎の手が、私の許可なく私の体に触れたなら、私が体に貼っていた霊符ふだが発動し、それをきっかけに部屋の四方に貼っておいた霊符が連鎖して発動する。私は、そう仕込んで罠を張っていた。

 私の体に貼っておいた霊符、それは、私と同化し、私の体を模した式神であり、言わば私の身代わりだった。

 そして、その身代わりの式神は、悪意ある接触に反応して私から分離し、その悪意の対象を捕縛する戒めでもあった。

 師匠でもある母から実践中心に拝み屋としての技術を教わった私の、密教の術を主体とする母との最大の違い。それは、母が実践で得た知識と経験を元に、より多方面の技術をないまぜにして、道教や陰陽系の技術を多く取り込み、呪符や式札の扱いに長けること。落とし屋、祟られ屋として自分の肉体を媒体とすることが多かった母が、その危険性を緩和するために編み出した手法。結局、母自身は遅くなってから改善を始めたこともあって大成しなかったが、逆に私は基礎そっちのけで最初からそれを叩き込まれた。実践を、いや実戦を通じて。


「おかげで、お山で基礎をやり直したときは結構最初は苦労しました。出来ない事はないけど、変な癖が付きまくっていたから。でも、おかげで、基礎をやり直したことで一段ランクアップ出来た自覚もありましたけど」

 琥珀色の液体が三分の一ほど残るグラスを軽く回しながら、青葉五月あおば さつきは語る。グラスの中の氷が、涼しげな音をたてる。

「母、師匠にとっては、咄嗟の時にはつい、慣れ親しんだ体術の方が先に出ちゃう、私は、符術に頼りがち。術の系統そのものは大差ないんだけど、そういう違いが、結局、桐崎への対応の違いになって、結果を分けたんだと思います」

 言って、五月はグラスを空け、話を続けた。


 相手の正体も力量も見極めがついてないから、これはあくまでも牽制の一手のつもりだった。そのために、二重三重に部屋とアパートと敷地とに封印の霊符ふだを仕掛け、式札の発動まで気配が立たないように仕掛けておいたのだ。相手がこの式札で封じれればよし、破られるなら、その時に相手の見極めがつく。力押しで封じるにしろ、敵わないとみたら逃げるにしろ、三重に真言の霊符で縛れば相応の力と時間は稼げる、その腹づもりだった。

 そして。

 桐崎は、私の髪に、触れた。


 その瞬間、身代わりの式神が起きた。起きて、桐崎の体の自由を奪い、術の発現を抑えるため、捕縛する。目の良い・・・・者ならば、私の体の外側が一皮剥けるように爆ぜ、裏返り、何条もの薄い包帯のような式神の末端が桐崎を縛り上げるのが見えたと思う。

 同時に、私はソファベッドから飛び退いて桐崎から距離を取り、隠し持っていた霊符ふだと暗器をいつでも使えるように身構える。

 私の感覚は、式神の起式と同時に部屋の封印の霊符も発動している事を感じる。この中ならば、音も光も、外には漏れない。無論、私の許可のないものの出入りは出来ない。対抗する術や、あるいは力業で封を破ることは可能だが、それは相手にそれなりの力を使わせ、あるいは隙を作らせる事を要求する。


「それって、あたしがはめ込まれた、アレ?」

 蘭円あららぎ まどかが、一年近く前の事を思い出し、確認する。

「そうです。私の必殺技、なんですけど……」

 言いながら、五月は視線を北条柾木ほうじょう まさきに流す。

「あー……」

 円も、その視線の先を読み、何事か納得したような声を漏らした。

「……え?何ですか?……あ!」

 二人の視線を受けた柾木は、ちょっとうろたえ、そして思い出す。

 自分が、この二人との本当の初対面の瞬間、五月が貼ったであろう霊符を剥がし、握りつぶしていたことを。

「……まさか、素手であれを無効化できる人がいるなんて。思ってもみなかったわ」

 複雑な表情でため息をつきつつ、五月はそうこぼした。


「な……」

「……やっぱり、こうなるのね……」

 驚き、拘束され硬直しつつ呟く桐崎の喉元を――目を合わせるのは、危険すぎる――見つつ、私も呟く。

 桐崎が、例えば、単なる女癖の悪いゴロツキで、単に獣欲に駆らて私に手を出しただけなら。もしそうであっても、私は制裁するのに手加減するつもりはなかったが、霊符ふだを使う程のことはなかっただろう。

 だが。式札を通じて感じる、この感触は。肉体こそ人間のものだろうが、その内に潜む、計り知れない、あふれんばかりの精神力の気配は。

 私は、手の中の霊符にありったけの気を込めながら、それでも尋ねずには居られなかった。

「……あんた、一体、何者……?」

 その質問に、桐崎は、しばらく私を見つめてから、答えた。

「……そうか、貴様、陰陽師の類いであったか。これは不覚をとったものだ」

 くつくつと、桐崎は含み笑いを漏らし、言葉を続ける。

「褒めて遣わそう、小娘。だまし討ちとは言え、よくぞわれいましめをかけたものだ……とはいえ、この程度では我を抑えるには少々役者が足りぬがな」

 その余裕は、芝居か本音か。私の式は、それがハッタリでは無いことを直接、私の感覚に伝えてくる。

 手は抜けない、どころか、今の私の全力で掛かっても、落とせるかどうか。そんな力量。

 その相手に、私は、尋ねる。冷静に。

「あんたを祓う前に、聞いておくわ……六年前、私に似た女を、殺した?」

 母を知る人は、私の顔は母によく似ているという。二十歳を過ぎてからは特に似てきたと、たまに会うお山の師範も太鼓判を押すほどだ。

 だが、桐崎は、にたりと顔を崩して、言った。

「さあて。いちいち喰ったものの顔など、覚えてはおらんでなあ」

 その言葉が、引き金になった。


 桐崎にまとわりついていた式が、砕け散った。

 術でも何でもない、力業の一撃。

 それで、充分なのだ。桐崎という、人の皮を被ったこの何者かは、私の式神など、小細工無しで力で圧倒出来る、あえてそう見せているのだ。

 恐らくは、私を絶望させ、その絶望を喰らうために。

 でも。私だって、その程度は予想していた。そう簡単に絶望してはあげられない。何故なら。

 師匠の、私の脳裏に残る母の亡骸なきがらの表情が、それを私に教えてくれていたから。

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