第7話
それから数日後。互いのスケジュールを調整して――サラリーマンでもないのに、等とは言うなかれ、そのサラリーマンのために夜働き、昼間もなにがしかのバイトを入れている身としては、互いに意外なほどスケジュールが合わないのだ――、私は
亮子の男、
なので、亮子には、桐崎の痕跡が残っているような物、具体的にはタバコの吸い殻や肌着を少し持って来てもらった。もし相手が人ならざる者なら、私の符術で何かしらの反応が出るはずだから。
「あのね、あの人ね、夜、すごいの」
亮子は、私の部屋で軽く呑みながら、そうのろけた。私は、話を合わせつつ桐崎の情報を聞き出しながら、カードを切る。亮子によれば、桐崎という男はいわゆるジゴロ、ありていに言えばヒモで、このところは亮子のところをメインに居着いている、らしい。昼間は何をしているのかは詳しくは教えてくれないが、あまり大きな声では言えないようなことをしているのは間違いのないところらしく、上納金やら仕入れやら、常にどこか得体の知れない相手と連絡を取り合っているとの事だった。
そんな相手は、とっとと分かれた方が安全じゃないの?カードを切りつつ、さりげなくそう水を向けた私への亮子の返事が、さっきの一言だった。
「もうね、次の日、本当に昼まで起きられないくらい。すっごいの」
「ああ……そう……」
私は、多少あきれつつも、その言葉の裏の、亮子が気付いていないある要素について、考えていた。
つまり、桐崎の正体は、「吸精鬼」ではないか、という事を。
「吸精鬼?」
聞き慣れない言葉に、
「吸血鬼、ではなくて?」
「吸精鬼っていうのは、人の精気を吸う魔物の総称ね。そういう種類の魔物がいるってわけじゃないわ……そうね、そういう意味では吸血鬼も吸精鬼の一種かも」
微笑みながら、
「桐崎も、種族としては人間だった、少なくともその時の私の
柾木は、記憶をほじくり返してみる。そんな奴、居たような、居なかったような。
「……そうなの。桐崎は、人間だった。多分、そこは間違いないんだけど……」
五月は、少し固い声で、話を続けた。
それからさらに十日ほど後の深夜のこと。私は、依頼人である
勿論、単なる飲み会というわけじゃ、ない。今夜、ほぼ確実にここ、亮子の部屋に来るであろう
亮子には、この期に及んでもまだ、本当のところは教えていない。桐崎という男が「当たり」、つまり私の師匠、私の母の敵だったとしたら、どこから情報が漏れるか分からないからだ。亮子はいい娘なんだけれど、どうにも男に騙されやすいというか、何でも言うことを聞いてしまうというか、要するにダメンズウォーカーなふしがあって、今時点でも私のことがどの程度、桐崎に伝わっているか分かったものじゃ無い部分がある。勿論、この私、
桐崎は、どうやらどこかの団体、組織、要するに何とか組には属さず、フリーで何らかの禁制品やら情報やらの売買をするブローカーらしい。なるほど、バランス取りの苦労は多いかも知れないが、一つの組に属さなければ上からの押しつけも少なく、万一の時に逃げ隠れするのに都合が良いのかもしれない。勿論、組織には渡りは付けているのだろうけれど、でももし何かあったら怖い人がカチ込んでくるかも、そんな事を遠回しに言って、なるべく早く桐崎と手を切るよう私が亮子に勧めていたところに、桐崎が現れた。
桐崎は、見た目は痩せ型の、言ってしまえば貧相な男だった。歳は三十過ぎくらいに見えたが、実際の所はわからない。金のアクセをチャラチャラ付けて、日焼けしたというより肝臓でも悪そうな浅黒い肌の、ある意味典型的なチンピラの見てくれをした桐崎に、私はまるで好感は覚えなかったが、それでもそこは仮にも酒場の女、営業スマイルであたりさわりなく挨拶してお茶を濁す。風呂を浴びて軽く呑むという桐崎の相手を始めた亮子を見つつ、当初の予定通り、私は酔ったフリをして、ソファベッドでうたた寝を始めた。
勿論、本当に寝てしまったわけではない。この場で本当に寝てしまうほど私は無防備でも愚かでもないし、寝入ってしまうほど呑んだわけでもない。息をひそめ、いかにも寝たふりをして、寝室に消えた二人――元々は亮子と別の女の子でルームシェアしていたというこのアパートは、今居るダイニングキッチンの他に個室が二つある――の様子を、私は窺っていた、根気強く。
これは、要するに罠だ。桐崎がいわゆる吸精鬼の類いだとして、そういう類いの妖怪、魔物というのは居るものだから、亮子が、桐崎の正体を知っていようがいまいが、それでもいいと言うのなら、亮子のためもあって、少なくとも今この場で祓うことはしない、そう決めていた。
だが。もし桐崎が亮子だけで満足せず、同意も無しに酔い潰れている私にも手を出そうとするのであれば、母の仇であるかどうかに関係なく、私は桐崎を、その吸精鬼を全力で祓う、そのつもりでもあった。
そして。
二人が寝室に消えて小一時間も経っただろうか。
桐崎が、こちらにやって来た。
私は、息をひそめていた。
寝息をたてるフリをして、無防備なフリをして、奴を誘っていた。罠にはめるために。
思うに、母は、師匠は、この桐崎がその仇だとして、その正体を知らないまま、依頼者に請われるままに憑き物落としを仕掛けたのだろう。そしてそれは恐らく、利き目が薄いか、下手をすると全く利き目が無かったのだろう。何故なら、今の時点で桐崎は、私から見ても明らかに人間であり、落とすべき憑き物も、付け入る隙も、全く見えなかったからだ。
けれど、私は、そうであろう事は予想していた。仇であるかどうかはともかく、コイツは人の中で生き残る
だから、罠をかけた。美味しい餌に食い付いたその瞬間、油断して本性を現したその瞬間に必殺の一撃を叩き込むべく、息をひそめ、しかし意識と術は研ぎ澄ませて。
そして。
奴の手が、私の髪に触れた。
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