孤独の王の敗北

 光来の焦りがみるみる減っていく。それはダーダーにも分かった。しかし、理解はできなかった。

 このキーラという小僧の目。絶望しないどころか、闘志すら感じられる。こんな状況で何ができるというのだ? いや、待て。そう言えば、こいつには気を付けなければならない何かがあったような……。

 じわりと這い寄る闇のような嫌な感覚を覚えたが、ダーダーはそれを認めようとはしなかった。深く考えようとはしなかった。

 こいつと関わった詳細は思い出せないが、引鉄を引けば決着だ。


「なぜ……」

「あ?」

「なぜ、仲間を助けに行かなかったんだ」

「ああ? なに言ってんだ。てめえ」

「一家を壊滅されたのが悔しかったんなら、俺なんかの所に来ないで、仲間を助けに行けば良かったんだ」

「バカ野郎。ガキ共にやられる情けない連中なんか要るか。この街を脱出したら、また他の奴らを集めるさ」

「あんたみたいのは、どの世界にでもいるな。毎日何十人もの人達に囲まれているのに、独りぼっちって奴がさ」

「なんだぁ? このガキャァ」


 ダーダーは、光来の言葉の意味をすべて理解したわけではないが、見下されているのは分かった。自分の足元で踏み潰されている相手に侮辱され、瞬時に頭に血が上った。


「舐めた口叩くなっ。惨めったらしく這いつくばってろっ」


 周囲の鳥や獣が逃げ出す程の大声で怒鳴り、引鉄に掛けた人差し指に力を込めた。それでも、足元の少年は目を逸らさなかった。


「とことん気に入らねえっ」


 沸騰しそうな頭に、少年の静かな囁きがするりと入ってきた。


「だから、あんたは負けたんだ」

「なんだと?」


 腕を踏み付けられたまま、光来は手首を捻って銃口の向きを変えた。ダーダーの野蛮な大声に対抗するかのように手の中のルシフェルが咆哮した。

 ツェアシュテールングの魔法が太い枝を砕いた。幹から強引に引き剥がされた枝は、抗うように葉を飛び散らせてダーダーの頭上に落下してくる。


「目隠しのつもりかっ? しゃらくせえっ」


 ダーダーは降り注ぐ葉や破片を振り払った。


「目隠しじゃない。伝導体だ」


 光来とダーダーは、ほぼ同時に引鉄を引いた。光来は首を傾いで弾丸を避けた。ダーダーの銃は眉間を狙ったまま固定されていたので、少し頭をずらすだけで簡単に避けられた。

 一方、光来が放った弾丸は、落下中の枝に命中した。光を帯びた青白い魔法陣が発生し、電流が枝先まで走った。そして、先端まで瞬時に駆け巡った電撃は、まるで枝そのものが発したように宙を伝わり、ダーダーに襲い掛かった。


「ぎゃああああっ⁉」


 ダーダーに電気の奔流が直撃する瞬間、光来は、彼の足元から脱出した。転がりながら体勢を整え、青く焦げるダーダーに銃口を向けた。

 昨日はリムが何発も魔法を撃ち込んでも効かなかった。まだ安心はできない。


「き、きさまっ。よくもこんなことっ」


 全身を痙攣させながら、光来に手を伸ばす姿は巨躯の怪物を連想させ、恐ろしさを増大させた。

 こいつ、化物か?

 たまらず、指先に力を込めた。しかし、電撃のショックで硬直したダーダーは、切れ目を入れられた巨木が自重で倒れるように、もどかしい程ゆっくりと崩れ落ちた。

 ダーダーが倒れても狙いを定めたままだったが、ゆっくりと舞い落ちる葉が次々と着地してもぴくりとも動かない。最後の一葉が地面に溶け込み、先に落ちた葉と見分けが付かなくなって、ようやく銃を下ろした。

 鳥の鳴き声や葉擦れの音が、妙に耳に流れ込んできた。喧しいくらいなのに、森に静けさが戻ったと感じた。


「キーラッ」


 風の中にリムの声が聞こえた。今度ははっきりとだ。


「こっちだ。ここにいる」


 手を振りながら大声で叫んだ。迷い子が母親に見つけてもらったみたいだ。不安が溶けて蒸発していく。

 リムとシオンが駆け寄ってくる。

 既に二人の視界に入っているのは分かっていたが、光来はもう一度叫んだ。


「ここだよ。俺はここだ」


 さっきまでは我慢できていた痛みが、再び熱を帯びながら神経を刺激した。しかし、光来は構わず手を振り続けた。



 ワイズはシオンに肘を抱えられながら椅子に座った。ワイズの体重で、椅子がぎしりと悲鳴を上げる。治癒の魔法で怪我は治ったが、疲労まで癒す効果はない。それこそ、全体重を椅子に預けた。


「やれやれ、ひどい目にあったわい」


 嫌味のつもりで言ったのではないだろうが、光来は思わず俯いてしまった。


「今度こそ、おしまいじゃろうな」

「ここの保安官だって、二度も脱獄される程、無能じゃないでしょ」


 リムの台詞に、ワイズは苦笑で返した。


「ワイズさん……」


 光来はおずおずと切り出した。


「リムとも相談したんですが、俺達、明日にはこの街を出ます」


 僅かな間があった後、ワイズは鼻から息を漏らした。


「そうか。あてはあるのか?」

「ええ。ディビドという街に行くつもりです。今回のダーダーの行動には裏があるようです」

「裏?」

「ダーダー自身、自分の意思で行動していなかったフシがあります」

「なんじゃ、それは?」

「さっきのダーダーが本来の彼で、昨日のは違う何者かに操られていたということです。それなら、昨日と今日で雰囲気がまるで違かったのも頷けるし、魔法が効かなかったのも、ダーダーの意識が深いところに沈んでいたからだと思います」

「人を操る……。にわかには信じられん話だな……」

「昨日は三発撃ち込んでも耐えたのに、今日は一撃で倒せました」


 光来の説明を聞いて、シオンは自分の推測が遠からず当たっていたと確信した。オリジナル・ソーサリー『ファントム』は、ダーダーにはしっかり掛かっていたのだ。しかし、あの時、彼の精神は心の奥底に沈まされていた。だから効果が少なかったのだ。ファントムの効果が発揮されたのはダーダーの方で、彼を動かしていた何者かには影響がなかったということになる。


「その、ダーダーになにかしらの魔法を掛けた奴が、ディビドにいると言うのか?」


 その質問にはリムが答えた。


「分からない。でも、ディビドで会ったと言ってたらしいから、手掛りくらい見つけられると思う。何者かは知らないけど、キーラに会いたがっていた。いえ、キーラの魔力を知りたがっていたなんて、放っておけないわ」

「ディビドか。ここからだと、馬車で四〜五日は掛かるな」


 言いながら、ワイズは一つのことが気になっていた。ディビドは、『暁に沈んだ街』カトリッジのすぐ近くなのだ


「大体、俺のことを調べる奴がいるっていうこと自体、おかしいんだ。俺はつい数日前にこっちの世界に……」


 リムが思い切り光来の足を踏んだ。


「あ痛った」

「なんじゃい?」

「なっなんでもありません。はは」


 光来は笑ってごまかしたが、シオンは違和感を覚えた。このキーラという少年、何度か世界という言葉を口にしている。世界。世の中。特定の領域。空間の広がり、時の流れ。日常生活ではあまり使わない言葉だ。彼にとって、特別な意味があるのだろうか。

 ふと静寂が訪れた。決して気まずい空気ではない。たまにごく自然と降りてくる沈黙の時。その静寂を追い払うように、ワイズはパンッと勢い良く両手を合わせた。それは、一つのことが終わり、新しいことが始まる合図だった。


「そうと決まれば、今夜は心ゆくまで楽しんでいけ。収穫祭も今夜で最後じゃ」


 ワイズの言い方には慈愛が込められていた。光来たちの訪問によって、トラブルに巻き込まれたにも関わらず、それさえも優しく包容する。長い歳月を経ることでしか得られない風格があった。

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