コーヒーとサンドイッチ
孫から「トートゥの少年」を紹介された時、ワイズは驚きを隠せなかった。なんとか面会しようとホダカーズに赴いたものの、驚いたことに逃走したと聞かされた。一度捕獲されながらまんまと逃げ遂せるとは、余程の凄腕と想像できた。
逃走経路が分からない以上、もう接触することは不可能だった。肩を落として帰ってみれば、まさか件の少年が我が家を訪問していたとは。
その少年は今、厨房で料理を作っている。シオンが作り直すと言ったのを、彼は「それなら、俺が作ります」と申し出たのだ。ぶちまけられたシチューを見て、なんとなく事態を察したワイズは、意外な来訪者に同情した。
なぜか男の格好をしていた少女は、風呂に入っている。頭から被ったシチューを洗い流さなければ落ち着いて話もできないだろうと勧めたのだ。そろそろ上がってくるはずだ。彼女の服は洗って干してある。代わりにシオンの服を着てもらえばいいだろう。
改めてキーラ・キッドと名乗った少年を見つめた。シオンは彼のことを「子猫と虎が同居している」と評したが、どこらへんが虎を連想させるのかさっぱり分からなかった。少しおどおどしている様子は、子猫と呼ぶに相応しくはある。
しかし、油断はできない。ホダカーズで噂だけは掻き集めてきたが、稲妻のネィディを殺したのも、脱獄したのも事実らしい。逃走の際、何人もの保安官を倒したとの不確定な情報も耳にしている。文字通り、猫を被っていないとも限らない。
「あー、いいお湯だった。広々とした温泉もいいけど、落ち着いて浸かれる家風呂もいいもんね」
リムは、全身でさっぱりとしたという感じを醸し出し戻ってきた。上気した頬が少女とは思えないほど色っぽい。
彼女は男装を解いた時、もう意味がないから本名を教えると言い、リム・フォスターと名乗った。ワイズにはなんのことか分からなかったが、シオンは「それが本当の名前なんだ」と言っていた。ワイズは自分の知らないところで、何かしらのやり取りがあったのだと推察したが、フォスターというラストネームが気になった。
「わざわざ服を貸してもらっちゃって悪いわね。でも、この服、胸がキツイわ」
ピクッとシオンが反応したのが見えたが、ワイズは気付かない振りをした。
「上がった? こっちも丁度できたところだ」
光来は厨房から料理を運んだ。ある物は勝手に使っていいと言われたので、鶏肉と卵を使って、照り焼きチキンサンドを作ってみた。調味料に醤油っぽいものがあったので、それを試したら案外いけたのだ。
「ほお、初めて見るサンドイッチだが美味そうだな。どれ、コーヒーを淹れてやろう」
ワイズが腰を上げた。シオンは砂糖とミルク、リムはミルクのみを入れたものを所望し、光来は何も入れないものを頼んだ。
光来のサンドイッチは好評だった。甘みのあるタレというのが斬新だったようで、三人共、驚きながら食べてくれた。
「しかし、鶏肉と卵を同時に使うとは、なんとも残酷な料理じゃな。美味いがな」
「本当。とても人のすることとは思えない。美味しいけど」
「美味しい……」
褒められているのか貶されているのかよく分からない感想だが、美味いと思って食べてくれているのは確かなようだ。
リムが二枚目を頬張りながら微笑んだ。
「キーラ、料理なんかできるんだ」
「好きなんだ。他にもいくつかレシピを持ってるよ」
光来はこの世界の住人にも自分の料理の腕は通用すると知り、少しだけ自信が付いた。将来の夢の一つに喫茶店の経営というのがあり、料理研究の真似事を続けているのだ。
三人は光来のサンドイッチに喜んでくれたが、光来はワイズが淹れてくれたコーヒーに感激した。まず鮮烈な苦味が舌に広がり、熱さを保ったまま喉を潤す。そして、微かな酸味が舌先に残っている間に、驚くほど芳醇な香りが鼻孔を通過する。砂糖もミルクも入れないコーヒーをブラックと呼んで飲むのは日本人だけだ聞いたことがあるが、それは眉唾な説だろう。この混じり気のない味わいは、美味と称して良いのではないだろうか。
「このコーヒー、美味いですね」
「ふん、若造がコーヒーを語るなどと十年早い」
ワイズは憎まれ口を叩いたが、口元には笑みを浮かべていた。
「この街で採れた豆を使ってるの」
「へえ……。寒いくらいなのにコーヒーが栽培できるんだ。やっぱり俺の世界とは違うんだなぁ」
「なんのこと?」
「あっ、いや……。ひと味違うなって言ったんだ……」
食事は和んだ雰囲気で進んだが、ワイズの心中は落ち着かなかった。キーラがどのような経緯を経てトートゥを入手したのか、どう話を持っていけば聞き出せるのか頭を巡らせた。もし、グニーエと繋がりがあったなら警戒を抱かせてしまうし、下手すれば敵対関係になる恐れもある。それに何より、グニーエに自分を追っている者がいることを悟られるのはまずい。
まずは搦め手から……。
「お前さん達、なにしに来たんじゃ? なにか用があって来たんじゃろ?」
リムが食べかけのサンドイッチを皿に戻し、ホルスターから拳銃を取り出した。
「こいつの修理をお願いしたいの」
差し出された拳銃は奇妙な壊れ方をしていた。バレルの部分が途中から無くなっている。ワイズは手に取ってしげしげと見つめた。銘はないが中々の逸品だ。僅かに残っているバレルの先端は、割れたとか砕けたといった感じだ。銃に囲まれて生きてきたが、こんな不思議な壊れ方をした銃を見るのは初めてだった。
「珍しい壊し方をしたな。なにをしたんじゃ?」
「ちょっとね……」
「ちょっとではなかろう。拳銃のバレルなんて、滅多なことで壊れるもんじゃないぞ」
「余計なことは聞かないで。直してくれるでしょう?」
理由を言うつもりはないらしい。キーラの方を一瞥したが、目を合わせずにコーヒーを啜っている。
ワイズは改めて傷口を観察した。なんだこれは? 何か硬い物にぶつけた? 金属疲労? いや、そんなもんじゃない。常識では考えられない程の強い力を加えなければ、こんな風にはならない。強力な力。……強力な魔力?
煮詰めた推測が一点に突き刺さった。トートゥだ。この銃でトートゥを発射したのだ。話には聞いていたが、トートゥとはこれ程までに凄まじい力を秘めた魔法なのか? やはり、グニーエ・ハルトが絡んでくるのではないだろうか。ここで聞き出すべきだろうか。
ワイズが躊躇していると、シオンがいきなり切り出した。
「キーラは、どうやってトートゥを手に入れたの?」
唐突な質問に光来は焦った。名指しで訊かれているのに、無視する訳にはいかない。しかし、自分でトートゥを精製できることは秘密にしておかなければならない。どんな悪人に利用されるか分からないからだ。
「いや、その……道を歩いてたら、知らない男から貰って……」
あまりにも下手くそな嘘だったが、ワイズはその嘘に乗ることにした。咄嗟の判断で、考えるより先に言葉が口から出ていた。
「その男というのは、グニーエ・ハルトというのではないか?」
ワイズが言い終わるか終わらないかの瞬間、リムが躍り出た。目にも留まらぬ早業で腰の後ろに装着しているナイフを抜き、座っていた椅子を踏み台にして一気にワイズに飛び掛かかった。そのまま背後に回り、喉元に刃を押し付けた。只の刃ではない。電撃の魔法で形作ったブリッツのナイフだ。
「あなたたち、何者?」
リムの凄みのある言葉に、ワイズは一瞬だけ強張ったが、決して動じはしなかった。リムのナイフより切れそうな鋭い目に当てられ、一番ビビっているのは光来だ。
「落ち着け。とにかく下ろすんじゃ」
「いいえ、答えるのが先よ」
ワイズの落ち着き払った態度が癇に障ったのか、リムはより一層、ナイフを押し付ける力を強めた。
「勘違いするな。下ろせと言ったのは、お前さんじゃなくてシオンに対してじゃ」
ワイズの台詞に、リムと光来は揃ってシオンに視線を移した。いつの間に構えたのだろう。シオンの華奢な手には拳銃が握られており、狙いはしっかりリムに向けられていた。
リムが戦闘態勢に入った時に見せる鋭い目は刃物を連想させたが、今のシオンの目は冷たい氷を思い起こさせた。
「お祖父ちゃんを離して」
シオンは淡々と要求した。感情的になっていないところが、尚のこと恐ろしさを増幅させた。リムは姿勢こそ崩さなかったが、心の中では葛藤しているのは確実だった。
「ワシは長年、グニーエ・ハルトの行方を追っている」
ワイズの突然の告白に、リムの手先がぴくりと動いた。
「ワシの娘、つまりシオンの母親はカトリッジで暮らしておった。詳しく話してやるから座ったらどうじゃ」
もうナイフで脅迫する必要はないと判断したのだろう。リムはゆっくりとナイフを収め、蹴り倒した椅子を元に戻し、座り直した。リムが座ったのを確認したシオンも、銃をホルスターに収めた。
今の短い諍いの中で、光来一人だけが何の反応もできなかった。やり取り一つで銃やらナイフやらが出て来るこの世界では、光来の人生は平和過ぎたのだ。
「そうじゃな……やはり、ことの発端は『黄昏に沈んだ街』じゃろうな」
「ちょっと待って」
ワイズが語り始めたが、すぐにリムが遮った。
「なんじゃ?」
「長い話になるんでしょ? コーヒーのおかわりをちょうだい」
リムなりに気を利かせたのだろうか。緊張感を帯びた雰囲気が少しだけ軽くなったような気がした。
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